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黄昏どきを愉しむ

傘寿を過ぎた田舎爺さん 「脳」の体操に挑戦中!
まだまだ若くありたいと「老い」を楽しんでま~す

「松籟(しょうらい)」 狩野永徳伝

2017-03-13 | 日記・エッセイ・コラム

 「松籟」という本を読み終えた。

     

狩野永徳伝だ。 著者は神部眞理子さん。

著者のプロフィールに なんと現在仙石病院の

消火器内科部長さん…これはちょっと面白いでは内科。

 

 このところ「若冲」「長谷川等伯」「海北友松」と稀代の画家

 を読み込んだ。 そして 今回「狩野永徳」を。

 いずれも作者の切り口が鋭く 面白かった。

 

 絵画に興味のある方ならご存知の大御所ばかりですが

 本人の生き方については細かく理解してはいなかった。

 作者の巧みな筆と、大量の資料を使いこなしての1冊は飽くことなく

 最後まで楽しませてもらいました。

  特に、永徳、友松、等伯は、同じ時代で活躍した人

 そして、時の覇王 信長、秀吉に仕え、その才能を開花した。

 

 狩野派は「集団」の絵画創作カンパニーともいえる大規模会社

 この物語にも 信長の安土城、秀吉の「大坂城」「聚楽第」を始めとして

 数々の障壁画、襖等の「大物」の仕事が後世に残った。

  まず 長谷川等伯は「松林図」 国宝    

   

   海北友松の 建仁寺方丈障壁画全50面の一部「雲竜図」

   重要文化財

 

  そして 永徳は この本作品の物語に取り上げられた自筆の作品は

  将軍足利義輝に依頼された

   

    「洛中洛外図屏風」

 

 信長から直接依頼された 

   「 狩野州信。そのほうに絵を描いてほしい。

       …このおれの姿をそのままに描くのだ」 

          

   「ううむ、…よく描けておる。これはまさにおれおのものだ」

  「思った通りにその方の技量は並外れたものがある。そこでだ、

    この安土城の襖絵、板絵など、すべての絵の制作をその方に任せたい。」

 

   これは 途方もない大仕事・・・・

   この依頼された 安土城の全景の屏風

    渾身の絵は 完成されたが…あの本能寺の変で 安土城は焼け落ちた…

    もし、現存しておれば…

    戦乱の世のはかなさ。 残念なことです。

 

   先に 劇的な発見 「豊臣期の大坂城」の屏風絵のこと。

    秀吉時代の屏風絵が ヨーロッパの古城に…

     ブログ 2016.4.8 掲載

    どんな形であろうと、当時の絵が…400年の時を経て。見つかったのだ。

 

   己の絵が残っていないことほど絵師にとって不幸なことはないだろう。

 

 現存する永徳の絵は 僅か10点ばかり

    現在宮内庁にある 国宝  

「唐獅子図屏風」

  

    京都 南禅寺 「群仙図襖」

  

    東京国立博物館  「檜図屏風」

  

   京都 大徳寺聚光院 「四季花鳥図襖」

   

 

   狩野派の豪壮な絵は 戦乱の世で光輝いた。

    しかし、どの絵も一瞬の輝きだった。

    永徳が描いた絵は どれほどの量であったろうか…

    彼に依頼してきた相手は、戦国時代の者たち。

     そのほとんどが戦乱に巻き込まれて 潰れていった。

    その豪華な1枚1枚の絵も 同じ運命を辿っていき消失していった。

 

    彼が生きていた時代が 家康の時代であったならば 歴史的な絵は

    もっと もっと残ってたであろうに。

    これも 運命だったのか?

 

     でも 今回 改めて 狩野永徳の絵を再認識した。

    機会を見つけて 現存する「絵」を この目で 確認してみたい。

    絵師の物語なんですが、 やっぱり 信長 秀吉が絡んでくると

    とにかく歴史が身近になって 面白い。

     次は誰だ!   

 

   

    

 

 

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続 黄昏どきを愉しむ

 傘寿を超すと「人生の壁」を超えた。  でも、脳も体もまだいけそう~  もう少し、世間の仲間から抜け出すのを待とう。  指先の運動と、脳の体操のために「ブログ」が友となってエネルギの補給としたい。