オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

老、来る

2015-12-17 | Weblog

12/17(木) 昨夕、元スタッフのUSUI老が一月振りに顔を出した。奥方の癌も肺に一か所と云うことで、当初の複数個所と思われた診断と異なり先ずは落ち着いたようだ。が、肝臓の方がアルコールの過剰摂取でダメージが大きく、先ずはそっちの方が落ち着いてから手術になるとのこと。長丁場になりそうだな・・・。

そんな話を聞きながら「高松」で飲み始めたのは六時頃か。前夜より二時間もスタートが早い。その分、仕舞も早いだろう。遅れてスタッフのAOKI君も参加。焼酎の一升瓶ボトルが空いた処で、店替えとした。「ちょっぷく」で、仕事を終えてから参加する予定のTOKIOと合流することにしてあった。

「ちょっぷく」に向かうすがら、「ローカーボ」の前を通るのだ。マスターに挨拶がてら、一杯だけ飲んで行くことになった。店に入ると、見かけぬ女性が、それも妙齢である。先に店に居たマッチャンが「金融関係の人」とか呟いて席を譲ってくれた。『あまり見かけないけど、よく目るの?」と声を掛けた。すると、たどたどしい言葉が返ってきた。

どっから見ても日本人のようだが、違っていた。インドネシアから、ビジネスで来ている女性だった。そんな処に、さっきまで「高松」に居たHOYA兄いが入ってきた。老は三十五年も前になるが、インドネシアに仕事で一月ほど滞在している。HOYA兄いも、一年程仕事でメダンに居たことがる。二人があれこれと訊く。それをAOKIがブロークンな英語で通訳。俄然、AOKIは張り切るが、それを見せないようにするところがいじましい。

                     

                 テンガロンハットのマスター、AOKIとマッッチャン・HOYA兄  

女性はメダン出身で、二人のオヤジの言う地名などもよく知っていた。両親とも中華系とのことで、色白なのが頷けた。ジャカルタの日本系の銀行に勤めているとか。今週の日曜日まで東京に滞在するとのことで、金曜日に店に来ると言ったそうだ。そうだと云うのは、我等は本当に一杯だけで店を出たのだ。AOKI独りが、その後も残ってそんな情報を持って「ちょっぷく」に現れた。

先に「ちょっぷく」に入った我等と、既に待っていたTOKIOとで、「AOKIはサービス精神が旺盛だからな・・・、でも詰めが甘いから首尾よくはいかんだろう。老が来てると云うのに、しょうがなぇな」なんて、ネタ話にしていた。暫くしてAOKIが来た「ビール奢っちゃいました」と。詰めが甘いね~!

「ちょっぷく」はこの夜は満席状態がつづいていた。YAMAちゃん店長のご機嫌はすこぶるいい。『忘年会の日程早く決めろよ!』と催促し、29日の夕刻と決まった。俺たちは愛唱歌「江釣子の女」をスマホで聴きながら口ずさんで遊ぶ。前夜につづいて、安ワインの赤であった。AOKIと一緒に中目黒まで。帰宅は23時と上々の時間であった。

早く帰った成果か? 今朝五時に目が覚めた。弁当タイムには早すぎる、一時間ほど時間を潰し、六時から台所に入った。男の厨房タイムだ、愉しもうぜ!

今日のメニューは「ハンバーグ」、キャベツを刻む。煮物は「鶏・椎茸・蒟蒻・人参・油揚げ」、焼き物は「紅&時鮭のカマ」、「ポテトサラダ」「茄子&豚の味噌炒め」、最後に定番の「卵焼き」、以上となった。今朝の弁当は三つ。先月から独り暮らしを始めた末娘が、家に帰り「弁当を作って」とのことだ。

                     

幾つ作ろうと問題ないが、菜が六品もあると・・・・弁当箱が写真のような状態だ。暇にあかせて作ったが、菜は、三品ぐらいが宜しいようだ。

                      

 

 

 

 

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