オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

バンコクより来る・・・

2015-12-15 | Weblog

12/15(火) 今年も残り半月となった。早いものだと思うが、年の瀬だという実感が湧いてこない。妙に落ち着いた師走の日々を送っている。昨晩、タイ・バンコクから、家族を引き連れてNOGUCHI君が遊びに来た。家族・娘夫妻から孫、親戚と11人も引き連れて。

郷里の同級生MATUMOTO君から連絡を貰い、人形町「ちょっぷく」で、外出をしていると云うNOGUCHI君からの連絡を待った。一時間ほどして連絡がついたが、朝成田に着き、チェックイン後都内観光に出掛けたとのことでお疲れのご様子だとか。そんなことで、我々が滞在先の湯島のホテルまで向かうことにした。

ホテルのロビーに、NOGUCHI君一行が待っていた。MATUMOTOは、NOGUCHIのカミさんや子供達とは何度か会っている。取り敢えず、一行に挨拶をし、NOGUCHIと三人で軽く飲ることにした。

ホテル近くの「寿司店」に入り、日本酒を飲りながら近況や旅の予定などを聞きながら懇談した。東京ディズニー・河口湖の温泉・銀座などで遊び、19日(土)の夜に帰国するとのこと。築地の市場も見たいが、日程的に帰国の日になるという。築地市場の案内を買って出たのは、云うまでもない。

疲れているだろうと、一時間半程でお開きにした。刺し盛りと握りを肴に日本酒・二合徳利を三本であったか。処が、この寿司が酷かった。シャリの味がしない。酢も塩も、砂糖も、なんの味も香りもしない握りだった。お値段は〆て、21000円。店を出てから「酷い味だっな、これじゃ廻る寿司の方が断然に良いぜ」と、MATUMOTO。同感である。NOGUCHIまで「ご馳走なっていながら申し訳ないが、酷かった」と言った。

小ジャレタ入り口、落ち着いた店構え。10人程が座れるカウンター、テーブル席が二卓で10人座れるか。板場が二人、フロアに二人いたか。大きな店ではないが、客は我等の他に、常連らしき姿が10人程。あの味で、常連客が居るとは・・・・、蓼喰う虫も好き好きか。いや~参ったぜ。

そんなことで、帰宅は23時前と早かった。

 

今朝は、六日ぶりの弁当を作る。残りご飯が茶碗に三杯程在った。新規に飯を炊くのを控え、残り飯で「オムライス」を作ることにする。具は、鶏肉と人参・ピーマンであった。

                          

菜の方は、ホタテ&生鮭(冷凍)をバターでソテーする。ピーマンを炒めて添える。小松菜の胡麻和え、豚肉とター菜の炒め物。以上であった。

                     

簡単明瞭な弁当の菜と、どちらかと云えば、子供向けのような飯である。

 

 ―郷関をいずるー

 さて、帰郷中の話だが、木曜日の夜から明け方にかけての大風・雨で増水した川も日曜日になると水嵩が減った。「自然薯祭り」の賑わいを尻目に、従兄の柚子畑へ。冬至も近いので、樹に残った柚子を採りに行った。採り残したのか、収穫時に青いので見逃したのか、小さいながらも黄に色ついた柚子が残っている。この柚子を採って会社に送り、スタッフに配って柚子湯にでも入ってもらおう・・・・。

                    

左側の写真、橋の下流となり右の建物は、学校跡に建った町営住宅。正弘橋を中に、上流の右手はその後移転した学校だったが、今は廃校となって「集落活動センター」になり、校庭跡では温泉の ボーリングが始まっていた。

蜜柑畑の草刈は三月の中旬頃までお休み。今年は文旦も小夏も実りが少ない。小夏は例年の半分以下、ポンカン・ネーブルはゼロに等しい。甘夏と八朔はまあまあだが、小粒である。気候の影響が大きいようだ。

                    

 

今回の帰郷で作った飯を紹介すると、次のようになる。

木曜日は地場獲れの刺身と、東京から送った「活毛ガニ」を茹でた。魚中心に豆腐の味噌汁。金曜日は鍋料理とした。地元産のフグで「河豚鍋」、活車エビとサツマ芋・茄子の天麩羅。この夕食には八人が来た。

土曜日は、従姉が持ってきた「猪鍋」であった。里芋・人参・椎茸の煮物、蕪葉を塩漬けした漬物、同じく蕪の葉と刻み薄揚げ・豆腐の炒め物。自然薯汁。ご飯は「カニ炒飯」となった。

日曜日は自然薯祭りで買ってきた寿司などに、茄子煮、野菜サラダなど。自然薯汁は三食つづけて作ったが、まったく厭きない。美味かった!

こんな結構な日々を過ごし、昨日の月曜日、高知空港を後にして帰京した次第。離陸した搭乗機は、低い雲海の上に直ぐに出た。綿をシーツのように引き伸ばした薄い雲から、室戸岬を眼下にし紀伊半島上空に差し掛かる頃には、雲は厚い氷山のように果てしなく連なっていた。

飛行機の軽い揺れの中で、束の間眠った。気が付くと、搭乗機は房総半島から東京湾に入り下降を始めていた。のんびりと過ごした日々は去り、来春に向けてエンジン始動の時を迎えるのだと、我が胸に言い聞かせた。

 

 

 

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