オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

筍寿し

2014-06-29 | Weblog

6/29(日) 昨夜から朝方にかけての雨が上がったのは、会社に出る昼前頃か。日曜日の今朝は、休日の習慣である朝飯作りと缶ビールで始まった。朝飯は、味噌汁(茄子・タマネギ・オクラ)を作り、鮭と明太子焼いた。卵料理をなににするかで悩んだが、目玉焼き二個とベーコン&ウインナーにした。これで最後の缶ビールを空けて、飯を茶碗に一杯。喰い過ぎではあるが、昨日と同様に充実の朝であった。

飯を喰った後は一休みし、風呂である。会社に出る前に、昨夜SHIMADAさんに約束した本を送るための箱詰めした。それから会社へと向かったのだが、外に出ると夏の日差しであった。昨日、今日とロートルデザイナーで貧乏コンビを組むYOSHIOが出勤している。今日は何のお土産もなしだが、昨日は殿手作りの「筍すし」を毒見して貰った。

昨日の土曜日、北千住において昔の仕事仲間と一杯やることになっていた。北千住に向うには、日比谷線で会社のある人形町を通って行くのが最安・最良のルートである。そこで、一旦出社してから向う計画であった。朝飯をたっぷりと喰らい、遊びに寄った孫の相手をしてから風呂に入った。

風呂から上がり、会社に出ればいいものを『黒竹のタケノコ」のことが気になった。茹でて冷蔵で従姉から届いたが、タケノコは足が速い。日曜日に作る予定であった筍寿しを、急遽作ることにした。米を四合、寿し用に炊いた。そして、タケノコを煮た。煮物用のタケノコもあったので、これは鶏肉・ジャンボインゲンとで煮た。

筍寿しといっても簡単なもので、筍の筒に寿司飯を詰めるだけである。寿し飯の方も、胡麻以外の具は使わない(私流だが)し、お酢の方も柚子酢を加工した「てまいら酢」を使うので至極簡単。問題は、筍の味付けと酢飯の塩梅である。

                        

                        黒いのは、寿司飯の昆布

結局、三合ほどのご飯を使って「筍寿し」を作った。次の写真が、その成果である。

            

 

私のことだから、適当である。そして、適当に煮物も筍寿司も出来上がった。たっぷりの量が出来上がったが、味の方は今一つでパンチが利いてなかった。パンチの利かない筍寿しだが、珍しいだろうとYOSHIOに弁当箱に詰めて持参、味見をさせることにした。昨日、北千住の集合が四時だったので、会社に顔を出して早々に出掛けたのであった。

YOSHIOの反応を今日になって探ってみたが、鈍かった。やっぱ、失敗作であったか。

休日ながらも、朝飯作りを楽しみ筍寿しを作って遊んでいる。なんとも優雅なOYAJIではないか・・・・?

 

 -酒場日記-

一昨日の金曜日、赤坂「祢保希」(ネボケ)において東京黒潮会なる会があった。会の名前からして、また店からして推し量れようが土佐人の会である。私は入会をして三年程の新参者である。郷里の母校の先輩から指示されて入会した、なんちゃって会員であるが。

この会は年に二回、赤坂のネボケと中目黒の大樽に於いて、いわゆる飲み会がある。金曜日は、今年における第一回目であった。昨年から会長を務めるH氏が、会員獲得に熱心なことから新加入が増えている。H氏は国会議員の秘書を長く勤めてきたことから、地元選出の先生方も名を連れるようになった。尤も、秘書が代理出席だが。この夜は、この秘書の方々と話をすることが多かった。

土佐人の飲み会では、杯のやり取りが激しい。生ビールからハイボールに切り替えていた私も、杯を持って日本酒へと移行した。お銚子がすぐ空く、杯が行き交う。土佐人らしい宴会であった。

お開きになったのは、22時前か。日本酒で疲れ果てた私は、人形町まで戻る気力を無くしていた。そこで、赤坂と云えば「禅」である。フラリ、ユラリと歩いて、歌姫のいる店へと向かったのであった。

「禅」のへの階段を下り、ドアの外から様子を窺ったが店内は閑である。なんのことはない、お茶っぴきで客の姿はなく、歌姫とKASAIが暇を持て余していたようだ。客も居ないので、歌姫と昔話をしてKSAIに聞かせていた。そんな中で、歌姫がTVドラマの主題歌やご当地ソングを唄っていた頃の話題になった。

『じゃあ久々に、そんな頃の歌を聞かせてよ』と催促した。「ARIさん、唄う?」と水を向けられたが、『冗談じゃねゃや』と逃げた』。重い腰の歌姫に無理を云い、古い歌を二・三曲聞かせて貰った。一人で聴く、贅沢なもんだ・・・。この夜の帰還は丁度零時、南瓜の馬車がお迎えに来る時刻であった。間に合った!

                  

 

そして昨日の土曜日、北千住は「はなの舞」と云う西口前にある居酒屋での待ち合わせ。メンバーは、十六~十八年前に 職場を同じくした同志が五名。もう一人参加の予定が、母親の付き添いだとかで欠席であった。集合時間は四時であったが、筍寿し作りや、会社に立ち寄ったので10分程遅刻。

売れない通営支店だったが、愉しかったな。唯一頭が痛かったのは、売れな言い訳をしなくちゃいけない会議があることだった(これで一番苦労をさせたのは、販売企画課長だったSHIMADAさんだが)。二年しかいない職場だったが、こうして職場を同じくした皆さんと会い、飲める。こんな嬉しいことはないぜ。何物にも代えがたいとは、こういう付き合いを云うんだろうな。

然し、もうみんな還暦を過ぎ、万年青年のようだったSHIMADAさんも古希を迎えるとか。姐さんのようだったJYUNちゃんも、退職を考えるようになっている。月日は流れているんだと実感する。

                       

生ビールとハイボール(これが薄くて味がしない代物)をやり、仕上げは芋焼酎の湯割りで〆た。バカっぱなし(専ら私だが)をし、誰彼の行方を訊ね、愉しかったこと、嬉しかったこと、そんなことしか覚えていない。そんな仲間がいてくれる、人生捨てたもんじゃないぜ。

この夜は、21時過ぎに帰還。さ~、明日からせっせと弁当作りと酒場通いに精を出そう・・・。

 

 

 

コメント
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