オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

銀座~日本橋~人形町・散歩

2019-03-17 | Weblog

3/17(日) 今日は午後から天気が崩れるとの予報。柔らかな朝日の輝きからは、そんな気配を微塵も感じないが。されど、近頃の天気予報の精度が向上している。特に、一日単位であれば。

そこで、外出は午前中に済ますことにして十時前に家を出た。昨日は駅前まで出ただけで殆どの時間を部屋で過ごした。そんなこともあり、今日は買い物がてらの散歩をすべく先ずは銀座へと出た。

予定は銀座から日本橋、そして人形町である。銀座一丁目の福井県のショップで水羊羹を買い、日本橋の榮太楼本店で「有平糖」を、そこから日本橋橋詰で三越側にある富山県のショップで「マスずし」を買い、最後に人形町「日山」で豚バラの塊を買う。これが今日の買い物&散歩計画であった。

以上ながら、折角なので銀座でちょいと寄り道しJRAのチケット売り場に寄ることにした。チケットといっても、乗り物は乗り物でも、電車じゃなくお馬さんである。そこから外堀通りに近い福井のアンテナショップへと向かう。午前中の銀座は歩行者天国も未だで、落ち着いた街並みであった。

JRAの直ぐそばに、かつてナチュラル社が入っていたビルがある。私がナチュラルに入る前のことであるが、事務所には何度か顔出ししており、そばを通るたびに懐かしく思う。人形町へと移る前のことで、二十年も前になろうか・・・・。

「水羊羹」を買い、日本橋に向かう。銀座一丁目から日本橋は同じ中央通りにあり指呼の間と云ってよかろう。ちょっと気になっていたのは日曜日なので榮太楼本店の営業であった。榮太楼の大きな缶入り飴はデパートの売り場に置いてない。田舎の人が好きなこの飴をお土産にと思い立ち向かったのだが・・・。

心配したとおり、シャッターは降りていた。その閉まったシャッターに、休日閉業とデパートでの営業の張紙があった。三越デパートに出店しているのは承知jだが、求めている品がないんだよ~。だが、致しかたない。すぐそばの日本橋へと向かう。

         

未だ午前中のことで、観光客の姿も少ない。天下の日本橋、ここを起点にして地方までの距離が測られているのだから。久々に写真を何枚か撮った。この西詰?三越側の袂で、関端さん、OISHI君と写真を撮ってから十年近く経つであろか。関端さんが亡くなれられて早や三年になるか・・・。

            

「富山館」で首尾よくマスずしをゲット(残り二つしかなかった)。目の前の三越別館から本館に渡り、地下一階の榮太楼の売り場に行ったが目指す品はなく、ちっちゃい飴を三袋買う。田舎の土産は、何時もの「源吉兆案庵」で贖い送った。

         

コレド室町を抜けて人形町へと向かうが、コレドを抜けた処を横切る通りに「豆桜」の並木がある。ピンクと云うよりは紅桃色という感じの小さな花びらの桜だ。早咲きなので花の盛りを過ぎ、そろそろ散ってしまう時期になっていた。この桜が咲き始める二月の下旬になるとこの通りに来るのが楽しみであったが・・・。

                

 昭和通りを渡って堀留町へと入る。この辺りは商店が少なく中小のオフィスビルと、最近はマンションが並ぶ。人どおりはまばらで閑散としているのは、何時もの休日と同じである。

人形町交差点を渡り「日山」へ。ここで豚バラ肉と弁当用の牛小間肉などを買い今日の散歩が終わった。豚バラ肉を買ったのは、夕食に「ポトフ」を作ろうと思い立った故だ。朝のTVを見ていて、酒場仲間に頂いたSUTOUB鍋でポトフを作ろうと思い立った次第。

上空には未だ青空が残っている。見慣れた町、休日ながら、私が居る場所は既にない。夜の酒場すらも今日は休みだ。

 

そこかしこと歩くも、懐かしき場所になっていくのは人の世の常、宿命であろう。そんなことを思いながら駅の階段を下りたのであった・・・・。

明日からしばらくの間、田舎暮らし。お馴染みの田舎の風景など届けます!。桜の写真や来高の三人の姿も一緒に・・・・。

 

 

 

 

 

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