オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

武島一鶴先生、ご逝去

2013-08-22 | Weblog

8/22(木) 昨日、日本研修センターの代表をされていた『武島一鶴先生』が7月28日逝去されたとの通知を頂いた。ついては、9月12日の午後、先生が学ばれた上智大学「聖イグナチオ教会」においてミサを執り行うとのことである。

先生は、数年前に病を得たが、車椅子で研修を行ってるとの便りを頂いていた。つい一月ほど前に、その後の先生のことを思い浮かべたのだが・・・。気になりながらも、お見舞いもしないままに時間が経った。

私が先生に出会ったのは、平成八年五月のことである。その春、上野通信機器営業支店長として着任したが、その新任支店長研修の講師が一鶴先生であり、四泊五日に渡りご指導を受けた。

先生は上智大学神学科を卒業され、神父になられた後、40歳近くになって教会を出られて結婚、研修講師の道に入られたと記憶する。

研修では、小さな体ながらパワフル・パッションに溢れ、哲学に基ずく研修内容には教えられることが多かった。当時、NTTの幹部にそのファンが多かったのも頷ける。その後、自分が研修関係の責任者となった折には数多の管理職を先生の研修に派遣した。

そんなご縁からか、サラリーマンを辞めた後もご厚意を頂き、当社にお立ち寄りくださったこともあった。

先生は人間としての生き方、原理・原則、哲学を教えておられた。先生の教えが日めくり的に記された小冊子「冒険の旅」がデスクに在る。これからは、更に大切にしなくては・・・。

                       

                      冒険の旅            第三週・木曜日のページ

74歳の折には、南アフリカ・ヴィクトリア瀑布の111mのバンジージャンプにも挑戦されたほどのお元気であったが・・・81歳で幽明を境にされた。

                          

                         ジャンプ!(冒険の旅、裏表紙)

先生の教えの中で特に好きだったのは「私がやります。責任は我にあり。」と云う言葉。また、「問を発せず答えを発せよ」などと教えられた。

17年前の研修所初日、ポケットに手を入れたりすると手厳しく叱られたこと。研修メンバーが出会って一日しか経ってないのに、一人ひとりの「好ましい点・気になる点」を、何十項目を書き出したことが懐かしい。

研修から戻り、自分のことが書かれたその模造紙を肴に、食堂で課長さん方と一杯やったことが思い出される。

もっともっと、先生と厚誼を重ねればよかった。もっともっと先生の生き方、人柄、酒の飲み方からゴルフ、あらゆることを吸収しておけばよかった・・・。

先生がよく立ち寄ると言われていた、柏駅近くのすし屋辺りに出没すれば可能だったろうに・・・。ご逝去の報に接し、そんなことを思う。

 

一昨日午後から体調不良、夏バテ?お酒の量は控えているのだから、アルコールの所為ではないだろう。暑気当たりかな・・・。

会社のベランダにある鉢。YOSHIOがトマトを植えて大失敗した鉢に、吐き出したスイカの種が、数本モヤシのようにひょろひょろと芽をだした。

先の方が双葉になりつつあるが、何処まで成長できるやら。せめて、YOSHIOが出社して来る日まで、元気にいろよ!

                            

 

 

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