オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

帰郷~帰京へ

2018-11-16 | Weblog

11/16(金) 十一月も中旬となり、朝夕の冷え込みは冬の到来を予感させます。昨夕に帰京、出社後は久々の酒場パトロールへと向かった。手始めは蕎麦店「高松」にて金魚割ならぬハイボールからスタートした。店が立て込んできたので馴染客と同席。その後、「こま吉」にてボジョレワインを飲んでいるところに、近所の小さな住むビルオナーの孫とか云う姐さんが来た。

姐さんが住むこの小さなビルは、一階が薬局だったが廃業し空いたままである。その孫にあたる姐さんが二階に住んでいることは承知していた。事のついでと、一階を貸さないかと持ちかけた。造作に費用を要するが、小さな酒場をやるには手頃そうなのだ。名刺を持ち合わせてなかったので、会社に連絡して届けてもらったら、TANAKAとFUJIKURAが帰り仕度で持ってきた。かくして一緒に飲むことになった次第。

姐さんには上の姉がいるので、相談をしないと判断できないとのこと。これまで、賃貸の依頼があったようだが断ってきたと云う。ダメもとながら話を通したという次第。そんなところに、HOYA兄いとマッチャンが乱入してきた。そうそうに「こま吉」を切り上げ、直ぐの「ローカーボ」へと男性陣で移動。

「ローカーボ」では専らハイボールをやりながら歓談。取締役のT・NOBORUが飲み会が済んだとのことで、顔をだした。夕方の出社で、後任の社長と話をした件について確認などするが・・・酔いが回っていた。今になると、どう結論付けたかも碌に覚えちゃいないぜ

連中を置いて、HOYA兄いと「セイジュへ」へと流れ、二人でカラオケの競演。そこにNAKAMURA大将も流れて来、最後にマッチャンまで合流した。ウイスキーを51°のニッカのバレルにしてもらい飲む、流石に美味い! が、然し酔う。久々のパトロールで、しっかりと酔った。酔ったついでに閉店まじかの「ちょっぷく」になだれ込んで、更に一杯。

                             

そんな次第で、遅い時間にメトロに乗った。中目黒に着くと、なんと東横線が事故とかで動いていない。中目黒からタクシーでの帰還となったが、帰宅は丁度零時であった。郷里でのアルコール空白を埋めたパトロールであった。

そんな今朝は、流石に体が重い。重いながらも弁当を軽く作り、弁当オヤジの面目だけは辛うじて保った。自分の朝飯は、キューイと小松菜のスムージになった。

                   

 

さて、郷里での日々だが。8日に帰省したが、その夜に先輩からの連絡で隣街の居酒屋で一杯となった。大先輩方三人を相手に、ハイボールから日本酒と飲む。この店ではハイボールがメニューにないとのことだったが、ソーダもウイスキーも置いてある。そこで、濃~いハイボールを作ってみせ、手前味噌ながらこれぐらいが美味いんだよと教えた。土佐流に杯が行き交い酔った。

翌日は亡父の法事の準備をする。11日の11時から坊さんが来て経を上げ、お墓に参る。その後、隣町のホテルの宴会場で食事となる、前日の土曜は、母校の創立記念行事があり、在京の支部長とやらで一日拘束されるので、前々日の準備となったのだ。墓掃除をし、部屋の祭壇を作り、花やシキビを活けた。

                             

そして土曜日、十時前に隣町に在る母高に行く。僅かな在校生、来賓や歴代校長、PTAやOB、地元の有力者などが並ぶ中、十時半から粛々と始まる。午後からは記念コンサートやよさこい踊り、餅投げが行われた。餅を投げるのも楽じゃなかったよ。

そして、五時からは会場を移して祝賀会が開かれた。またしても出番があり、今度は鏡割りとかを。樽を強く叩きすぎると酒が飛び散る。それを案じてか、三人での鏡割りは、豪快さの欠片もない鏡割りとなった・・・・。なにしろ、いっちょらのスーツに、締め方を忘れたネクタイまでしていたのだからね。

若い先生との会話で、大学の剣道部出身がおり『武道館があると云うに、剣道部が廃部になっているとは情けない。剣道部を作れ!』と発破をかけ、挙句に校長と副校長にまで、その旨を伝え『剣道部ができるまで、本採用にするな』なんてことを言った。なんと、乱暴なOBであろうか。我が町で剣道を指導している後輩に電話かけ、若い先生を紹介した。

               

殆ど知り合いはいないが、杯をやりとりするうち、いろんなシーンで関わりがあることも判明。なかなか面白かった。何十年ぶりかに唄った校歌も懐かしく思えた。

かくして、日曜日を迎えた。十一時前に菩提寺の住職が来宅。来てくれた従兄妹達が座敷に揃って、読経が始まる。三十分程で終わり、墓地へと移動し、墓地でそれぞれが参拝して法事が済んだ。そこからマイクロバスや、自家用車で隣町のホテルへ移動して食事会となった次第だが、こんな機会でもなければ、離れたところに住む従兄姉たちと会うこともない。久々に顔を揃えて、いい機会となった。

                   

諸行事が済んだ翌日は、片付けや支払いに歩く。この夜から雨となり、翌日の朝まで降った。午後から、妹夫妻の応援で柚子の収穫。幸いと云うか不幸にか、今年の柚子は例年の三分の一と少なかった。

                  

翌日の十四日は、前日に収穫した柚子を絞った圧搾機に柚子を一つずつ入れて、手足で押すだけのことだ。量が少ないので二時間ほどで終えた。柚子酢は九升足らずと、こっちも三分の一である。これを漉して瓶に詰めた。塩入りと、塩抜きを半々にした。

                       

帰京の前夜、絞った柚子の皮を煮だして、柚子マーマレードを作ったが・・・、出来あ栄えや如何に?。妹のやる方法を聞き作ってみたが、どうも納得がいかん。

                       

各の如くに、多忙、多様な郷里での日々であったが、楽しかった。全てを終え、昨日の午後便での帰京。珍しく故郷の街の上空を飛んだ。機窓から安田川と田舎町を撮った次第である。田舎者は田舎に戻る、に如かずか?。

                                 

 

 

 

 

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