
1/12(月)成人の日 祝日。
我が家でも、末の娘が成人式を迎えた。年月を経れば誰でも成人となるが、この日を起点に何を思い、どんな決意をするのだろうか。
自分の足で立つ、自らの責任で生きて行く人間であれ。それを、願うばかり。
其の為には考えること、行動すること。其処から初めてどうあるべきか、どうすべきかが見えてくる。
土曜日、妻と末娘の三人での食事となり、成人式を祝いがてら焼肉店に行った。
成人祝いの乾杯をしながら、「若し、と云う事があるなら。君が病気にならず、エースとしてスパイクを決める姿が見たかった」と、言った。
娘は、笑いながら「何処まで通用したのかね~、身長のこともあるし…。あの時は、体が壊れてもいいから続けようかと思った」と、応えた。
末娘は、中学二年の夏前、慢性腎臓炎の診断を受け入院、去年の秋まで薬での治療が続いた。完治は難しいだろうが、何とか人並みに暮らせるとの診断を漸く得た。
小学四年生の秋から、地元のバレーボールチーム「鷹番JVC」に入部した。
自分の娘が、バレーボールを始めるとは思いもしなかった。末っ子で甘えん坊、自分では、ビーズを編んだりのチマチマとしたことが好きだと言っていたが。
それまでは、土・日の休みには僕の散歩に、自転車でついてき、散歩ノートを記していたが、入部以来、土日の休みが無い生活となった。
何時まで続くかと思っていたが、よく続いた。6年生では、チームのエースとして全国大会へ出場するまでとなった。
中学での、彼女のバレーノートをたまさかに捲ると、「殴られても、蹴られても、これくらい何だ。小学校ではこんなものでなかった。泣くんだったら、試合で勝て」なんて書いてあった。
そう云えば、小学生の時のチームでも、よく絞られていた。
練習や練習試合を見に行くのは厭だった。自分の娘が、監督とは云え、他人から張り倒され、蹴り飛ばされて扱かれている姿を見るのはつらい。
その成果として、全国や関東大会に出場できたが。
小学校のバレーボールの延長で、私立の学校に入った。監督が目にかけてくれたのか、入学早々からレギュラーとして使ってくれた。
二年生となり、夏の大会で上級生が引退。真のエースとして活躍する時が来た。
そのとき彼女は、病気が判明した。その前から、顔色が青白く、心配はしていたが、当人は弱音を吐かなった。体が疲れるのは、これまでの練習で何時も疲れていたから当然と思っていたようだ。
検査入院の結果、二度と激しい運動は出来ないと診断された。
チームに迷惑を掛けてはいけない、退部をさそうかと思ったが、当人はチームに残ると言う、監督も残って欲しいと云ってくれた。
そして、高校卒業までの5年間をボール拾い・運びで過ごした。その間、紆余曲折、折れそうになっている姿は何度も見た。
それまでのレギュラー生活が一転、裏方に廻り経験した貴重なこと。「大勢のベンチの仲間がいて、レギュラーが活躍できること。支えてくれる人達の有り難さを知った」が、中学の卒業のときの彼女の文章だった。
その時の思いを、何時までも忘れず生きて欲しい。
今朝、妻がお祝いの「赤飯」を炊く。なかなかの出来栄え。
善い習慣だ。正月の七草粥、クリスマスのケーキや食事、冬至の柚子湯、粽・菖蒲湯、豆まきetc。季節季節の祭事を祝うことは、伝統文化や習慣を守る、伝えると云うこと以上に、家族やチーム、同胞を大切にする、尊ぶ、守ることに繋がって行くだろう。
会社の誕生会や、バーベキューにもそれは共通するはずだ。
減量作戦をスタートして、一週間となる。風呂の前に体重計に乗る。
なっ・なんと!増えている。200g増加。嗚呼・・・。
土曜日の焼肉か、昨日の善哉と餅か、それとも今朝の赤飯か?
今夜から仕切り直しで、今月の目標達成に向けて前進しよう。投げてはいかん。
我が家でも、末の娘が成人式を迎えた。年月を経れば誰でも成人となるが、この日を起点に何を思い、どんな決意をするのだろうか。
自分の足で立つ、自らの責任で生きて行く人間であれ。それを、願うばかり。
其の為には考えること、行動すること。其処から初めてどうあるべきか、どうすべきかが見えてくる。
土曜日、妻と末娘の三人での食事となり、成人式を祝いがてら焼肉店に行った。
成人祝いの乾杯をしながら、「若し、と云う事があるなら。君が病気にならず、エースとしてスパイクを決める姿が見たかった」と、言った。
娘は、笑いながら「何処まで通用したのかね~、身長のこともあるし…。あの時は、体が壊れてもいいから続けようかと思った」と、応えた。
末娘は、中学二年の夏前、慢性腎臓炎の診断を受け入院、去年の秋まで薬での治療が続いた。完治は難しいだろうが、何とか人並みに暮らせるとの診断を漸く得た。
小学四年生の秋から、地元のバレーボールチーム「鷹番JVC」に入部した。
自分の娘が、バレーボールを始めるとは思いもしなかった。末っ子で甘えん坊、自分では、ビーズを編んだりのチマチマとしたことが好きだと言っていたが。
それまでは、土・日の休みには僕の散歩に、自転車でついてき、散歩ノートを記していたが、入部以来、土日の休みが無い生活となった。
何時まで続くかと思っていたが、よく続いた。6年生では、チームのエースとして全国大会へ出場するまでとなった。
中学での、彼女のバレーノートをたまさかに捲ると、「殴られても、蹴られても、これくらい何だ。小学校ではこんなものでなかった。泣くんだったら、試合で勝て」なんて書いてあった。
そう云えば、小学生の時のチームでも、よく絞られていた。
練習や練習試合を見に行くのは厭だった。自分の娘が、監督とは云え、他人から張り倒され、蹴り飛ばされて扱かれている姿を見るのはつらい。
その成果として、全国や関東大会に出場できたが。
小学校のバレーボールの延長で、私立の学校に入った。監督が目にかけてくれたのか、入学早々からレギュラーとして使ってくれた。
二年生となり、夏の大会で上級生が引退。真のエースとして活躍する時が来た。
そのとき彼女は、病気が判明した。その前から、顔色が青白く、心配はしていたが、当人は弱音を吐かなった。体が疲れるのは、これまでの練習で何時も疲れていたから当然と思っていたようだ。
検査入院の結果、二度と激しい運動は出来ないと診断された。
チームに迷惑を掛けてはいけない、退部をさそうかと思ったが、当人はチームに残ると言う、監督も残って欲しいと云ってくれた。
そして、高校卒業までの5年間をボール拾い・運びで過ごした。その間、紆余曲折、折れそうになっている姿は何度も見た。
それまでのレギュラー生活が一転、裏方に廻り経験した貴重なこと。「大勢のベンチの仲間がいて、レギュラーが活躍できること。支えてくれる人達の有り難さを知った」が、中学の卒業のときの彼女の文章だった。
その時の思いを、何時までも忘れず生きて欲しい。
今朝、妻がお祝いの「赤飯」を炊く。なかなかの出来栄え。
善い習慣だ。正月の七草粥、クリスマスのケーキや食事、冬至の柚子湯、粽・菖蒲湯、豆まきetc。季節季節の祭事を祝うことは、伝統文化や習慣を守る、伝えると云うこと以上に、家族やチーム、同胞を大切にする、尊ぶ、守ることに繋がって行くだろう。
会社の誕生会や、バーベキューにもそれは共通するはずだ。
減量作戦をスタートして、一週間となる。風呂の前に体重計に乗る。
なっ・なんと!増えている。200g増加。嗚呼・・・。
土曜日の焼肉か、昨日の善哉と餅か、それとも今朝の赤飯か?
今夜から仕切り直しで、今月の目標達成に向けて前進しよう。投げてはいかん。
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