オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

会報誌・・・

2019-12-26 | 弁当

12/26(木) 先日、ペシャワール会の会報誌が届いた。会の現地代表としてアフガンの地に殉じた中村 哲さんからの現地報告が載っているのは何時もどおりだが、別用紙で師が無念の最後を遂げたことへの痛哭の思ひと、活動継続への報告が記されていた。

会報誌NO.142号は中村さんが倒れる前に発送の用意がされていたものである。その中でアフガンでの「緑の大地計画」のさらなる拡大・・・最後に「この仕事が新たな世界に通づることを祈り、真っ白に砕け散るクナール河の、はつらるたる清流を胸に、来る年も力を尽くしたい思います。」 良いクリスマスとお正月をお迎えください。 二〇一九年十二月 ジャララバードにて

と、記さされています。今更ながらに、中村 哲 師を失ったことの重さ、非情に胸が痛みます。年が明けた1月25日、福岡市の西南学園教会で師のお別れ会が行われるとのことです。私ごときがお別れに参ると云うのもおこがましい限りですが・・・。遺徳を偲び、一人の人間として御礼を申しあげたく思います。

西南学園講堂で中村さんの講演が開かれる日、その前の時間を頂いて取材をさせて頂いてから何年が経つか定かでないが。二年越しのアプローチで漸く実現した企画であった。大学の部屋をお借りして津川さんと二人で待ったのは暑い季節だったはず。撮影にでた校庭の樟の葉陰が心地よかったのが記憶にある。

小柄な中村さんは紺のスーツに白いワイシャツ、ノーネクタイ姿で、ペシャワールで長年医療活動を共にされてきた秘書役とも云える女史と一緒に現れた。女史から「食事が未だなので申し訳ありませんが」と言われて持参した幕の内弁当を使われた。

取材の合間、校舎の端にある喫煙所で三人でタバコを吸った。取材後、講堂での講演を聴かせて頂いた。そして、窓口として労を頂いたFUKUMOTOさん(石風社代表)の時間を頂き、TUGAWAさんと居酒屋での周辺取材をしたのだ。

TUGAWAさんはアフガンでの同行取材を熱望したが、残念ながら許される環境ではなかった。その後、関東周辺で講演会が開かれた機会に伺うことができた。

会報誌には毎号、中村さんからの現地情報・進捗、今後の計画が掲載されており状況が手に取るようであった。そして現地の仕事を共にされるメンバーからのメッセージが載り人材の育成が進む様子も知れた。これからは、この人たちが中心となって活動が継続されるか・・・。

福岡市の隣とも云える久留米市にはJOUJIMA女史が居る。ポリオの症状が悪化して外出もままならぬ状態のようだが、この機会に会ってきたい。

TUGAWAさんとタッグを組み、フィランスロピーワールド、フュージョン、ライフアシスト誌と広報誌の企画・制作で二十年余になろうか。この間、数多の方々に会い、話が聴けたが。その中で、佐藤初女さん、田部井淳子さんが故人となられ、、この度の悲報である。

命あるもの何時かは消える運命であろうが、何時までも残ってほしい、生きてほしいと思うのは儚い願いか。せめて我が生があるうちは、我が胸に生きる儚さと云うべきか。

 

そんな儚いOYAJIのリアルは弁当作りだ。明日で仕事仕舞いとなる今日は、ド~ンと張り込んでステーキをメインにした。一年間のご苦労に報いようと、昨日人形町にj出掛けたついでに「日山」で肉を贖ったのである。

一枚でコンビニ弁当なら7~8個は買えようと云う値段であったが、ここは男を見せなくちゃならぬと清水の舞台ならぬ、スカイツリーから飛ぶつもりで(パラシュート付きさ)買った。

このステーキに、豚シャブ肉と野菜のスープ和え、卵焼きやらポテトフライ、竹輪胡瓜などである。

           

学童保育所に通う孫のSORAの弁当まで作ることになり、茹で卵や塩揉み胡瓜、ザーサイサラダ、塩ムスビを用意した。肉とゆで卵は要らないとのことだったが、リンゴをデザートに持って行った。

            

 

  

 

 

 

 

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