12/7(土)気になっていた茶室の破れ障子を張り替えようと、外注にだすつもりでいた。それを聞いた老が「障子張なら毎年やってきたよ、やってやるよ」と言ったのは昨日のこと。外出中の妹に電話して、障子紙を買ってきてもらった。
そして、今日の昼前から障子の張替えとなったが、老に任せきりにして私は愛宕柿を剥いて吊るし柿に取り掛かる・・・。
作業を始めた老が首をかしげながら悩む。買ってきた障子紙は糊付きで、熱圧着する仕組みだった。この方式の張替えは初めてとのことで悩んでいたのだ。どうにか作業を始めた・・・『裏表間違いないの?』と言うと「そんなことはしないよ!」と応じる。
暫く作業つづけ、アイロンを当てて糊付けが始まる。「糊が浮いてしょうないな、布をあてるから頂戴」と云うので、手ぬぐいや半紙を渡す。それでも上手くいかない。あらためて説明書を読み返す老!。なんと裏表を間違え、糊の麺にアイロンを当ていたのだ。お疲れ様!である。
呻吟、四苦八苦したが最後は立派にやり遂げた。亀の甲より歳の功、戦前生まれは大したものである。
そんなことで、今夕の食事は早めに用意した。
帰郷してひと月近くになるが、ご飯を炊くのは三度目。菜は「チンゲン菜と豚肉の炒め物」「豚肉の生姜焼き」「アジの開き」「自然薯汁」にした。
薩摩焼酎の「熟柿」の湯割り、佐賀の銘酒「鍋島」を友に、歓談しながらの食事。久々に炊いた飯が美味かったし、自然薯汁もよかった。
五時半から始まった食事は七時過ぎに終わった。珍しく早々と老が部屋に引き上げた。疲れたとのことだ。障子張の疲れが出たか・・・。
洗い物を終え、ひと休みしていると電話が・・・。吉村さんからであった。行政管理庁から理事としてN社に来られて、我らが職場の隣に単独で席を置いておられた。そんなことから、ことある毎に声を掛けて一緒に懇談をした。退任された後も、私たちの会がある時に声かけすると参加された。
フランクで捌けた人柄、若い人とも分け隔てなく話をされ、指導もされた。電話業務抜本改善の新組織が名古屋に出来た際に、そこのトップに就かれた。暫くして私のチームにいたKAWAI君をそこの係長に取ってもらった。
先日、その吉村さんを囲む会が名古屋であったとのこと。「三十年前のメンバーが二十名ほど集まってくれた会だったよ」と楽し気に話、KAWAI君も出席し、私のことが話題になった。「宜しく伝えてくださいとのことだったので、電話した」とのことだった。
ご様子を伺うと、ますます元気にやっているとのこと。私たちが集まる時は是非声をかけてくれと仰った。
元気な声を聴き、愉しくなって当時一緒だった久万高原町に在住のKATUTA君に電話をした。開口一番「四年半目の検診に行ったら、問題なしでした。半年後の五月には無罪放免になります」と、元気であった。吉村さんのこと、KAWAI君のことなどを伝え、奥さんと一緒に遊びにおいでよと誘った。
思い返せば、彼らと席を同じくしてから三十年余の年月が流れたことになる・・・。然し、声を聞けばあの頃と同じシーンが浮かぶ。