以前によく使っていた言葉。
「一寸の虫にも五分の魂」と「盗人にも三分の理」
夫々に、夫々の思いがあり。立場たちばで其々の言い分・理屈がる。
是を上手く、よく聞くことと、聞かないことのバランスが必要じゃないか。そんな意味合い含め使っていた言葉。
今の時代、三分の魂どころか一分の魂も無く、七分・八分いや~十の理を言い立て、世間を渡ろうというのが跋扈している。
そんな輩を、新聞やTVで目にするだけでなく、仕事や日々の中で、付き合っていかなくてはならない事も多い。
何処まで聞くか、何処まで許せるか。夫々が持っている器量・度量の多寡が決めるのか?
五分の魂を持ちながら、三分の理を云わない。そんな男になれたらいいが・・・。
或る時、納得させられた「魂と理」があった。
前にいた会社で、社会貢献活動の仕事をしていた頃の話。
宣伝担当が予算を出し、私のセクションが監修で会社の社会貢献活動をテーマにしたCM(インフォマーシャル)を何本か制作した。
取材先の支店や団体との調整、作品の最終的なチェックに責任を負っていた。
制作は、とある映像プロダクションで、宣伝担当が選定している。
このプロダクションで演出(プロデューサ)を担当していたのが、Tさんであった。
Tさんの名は前から聞いていた。(うるさ型として、関係者の間では有名だった)
何度か打合せをし、現場への取材や撮影にも立ち会った末、納品前の試写となった。
私は、この作品のタッチが気に入らなかったが、そのまま進んでいた。特に注文もつけなかった。(我々のセクションの名前が使いたい由の企画と割り切っていた)
私の好みからすると、もう少し歯切れがいい、テンポの早い方が好きだ。
試写が終った。我々のセクションの人間は、誰も、何も言わず散会した。
Tさんが、私を呼び止めた。
「ちょっと話をしたい」と云う。いいですよと、休憩コーナーへ行った。
「何で、有難うといわへんのや」「わしら、一生懸命やったんや」
と真剣な眼をして云う。「有難う」と言え、と云われたのは初めてだった。
一生懸命やるのは、仕事だからあたりまえ、だが、Tさんにとっての一生懸命は、一期一会の一生懸命。半端なものではなかったろう。
Tさんの思いが伝わってきた。
Tさんは、「有難うやおおきに」の世界を生きてきた人だった。
その言葉でしか表現出来ない、報いることができない世界を生き抜いてきた人。
私は、作品が気に入らなかったから、何も云わなかった。
Tさんは、作品を仕上るために、よりよくするために一生懸命やったから『有難う』を云うのが、人間としての有り様ではないかと云っている。
魂を込め、その理を云うTさんの生き様が分かったような気がした。
「申し訳なかった、有難う御座いました」と素直に言った。
魂と理を教えて貰った。そんなひとこま。
Tさんとの長い付き合いが、そこから始まった。
「一寸の虫にも五分の魂」と「盗人にも三分の理」
夫々に、夫々の思いがあり。立場たちばで其々の言い分・理屈がる。
是を上手く、よく聞くことと、聞かないことのバランスが必要じゃないか。そんな意味合い含め使っていた言葉。
今の時代、三分の魂どころか一分の魂も無く、七分・八分いや~十の理を言い立て、世間を渡ろうというのが跋扈している。
そんな輩を、新聞やTVで目にするだけでなく、仕事や日々の中で、付き合っていかなくてはならない事も多い。
何処まで聞くか、何処まで許せるか。夫々が持っている器量・度量の多寡が決めるのか?
五分の魂を持ちながら、三分の理を云わない。そんな男になれたらいいが・・・。
或る時、納得させられた「魂と理」があった。
前にいた会社で、社会貢献活動の仕事をしていた頃の話。
宣伝担当が予算を出し、私のセクションが監修で会社の社会貢献活動をテーマにしたCM(インフォマーシャル)を何本か制作した。
取材先の支店や団体との調整、作品の最終的なチェックに責任を負っていた。
制作は、とある映像プロダクションで、宣伝担当が選定している。
このプロダクションで演出(プロデューサ)を担当していたのが、Tさんであった。
Tさんの名は前から聞いていた。(うるさ型として、関係者の間では有名だった)
何度か打合せをし、現場への取材や撮影にも立ち会った末、納品前の試写となった。
私は、この作品のタッチが気に入らなかったが、そのまま進んでいた。特に注文もつけなかった。(我々のセクションの名前が使いたい由の企画と割り切っていた)
私の好みからすると、もう少し歯切れがいい、テンポの早い方が好きだ。
試写が終った。我々のセクションの人間は、誰も、何も言わず散会した。
Tさんが、私を呼び止めた。
「ちょっと話をしたい」と云う。いいですよと、休憩コーナーへ行った。
「何で、有難うといわへんのや」「わしら、一生懸命やったんや」
と真剣な眼をして云う。「有難う」と言え、と云われたのは初めてだった。
一生懸命やるのは、仕事だからあたりまえ、だが、Tさんにとっての一生懸命は、一期一会の一生懸命。半端なものではなかったろう。
Tさんの思いが伝わってきた。
Tさんは、「有難うやおおきに」の世界を生きてきた人だった。
その言葉でしか表現出来ない、報いることができない世界を生き抜いてきた人。
私は、作品が気に入らなかったから、何も云わなかった。
Tさんは、作品を仕上るために、よりよくするために一生懸命やったから『有難う』を云うのが、人間としての有り様ではないかと云っている。
魂を込め、その理を云うTさんの生き様が分かったような気がした。
「申し訳なかった、有難う御座いました」と素直に言った。
魂と理を教えて貰った。そんなひとこま。
Tさんとの長い付き合いが、そこから始まった。