年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

自分の分

2016-02-16 19:10:35 | Weblog
 「Where there is a will, there is a way」などと云われると、will のことが気にかかる。

 午前の相談室に連行されてきた刑余者は高卒後数年経っている。その間テイクアウトの食べ物屋さんや住宅リフォームなんでも屋さんでアルバイト経験あり。でも継続していたのは日本古武道の段保有者につき指導員として街中の道場にて教えることであった。罪名は先日以来ニュースで大きく話題になっている元プロ野球選手と同じ。

 クリスマスローズが我が家の庭にも次々と咲いてくれる。

 相談室の青年との話合いは、珍しくも長く70分。多く質問させてもらったことに、どれほど自分の意志を自分が客観的につかんでいるのか・・を聞く時間に費やしたこと。
「身の程を知らない奴」とか言われたりするのは若者の特権。 可能性を秘めているわけだし、「あいつがそこまでやれたか」、「あの男にそこまでやれる能力が備わっていたのか」等とびっくりさせられる事もある。反対に、 何事も無難で、挑戦することを知らず、危険なことは他人任せで、躊躇することが大好きで、他人の動向にばかり神経を使い果たし、人の指図を受けることを殊のほか好む人・・・も私の周りにもいる。が、皆50才以上の知人ではあるがお友達ではない人。なぜならば面白くないの一言がそうさせる。実は私も身の程を知らない、そんな一人かもしれない。例えば、超引っ込み思案の消極的性格を幼少期以来引きずっていた自分が皆を前にしてしゃべるなど、何かを教える器量も能力もないことを考えるとやはり身の程をわきまえていないことに気がつく。これは自分を慰めるのに、まだ、前に一歩でも進もうとする思いがあるんだろうかと思ったり、人生の最終コーナーに差し掛かり幾らかエネルギーの残存が自分の中にあるのかと思ったりして慰めている。
 で、問題は今日の青年のこと
 ただただ何も考えることがない今までであったと・・。漂流しているだけ、ただただ海流に乗っかって溺れずに浮遊している感じ。経済的には両親そろって普通の感じ、やや厳格な父親のイメージはあるが。
 出所後の仕事についての希望は、社規社則を持つ会社、社会保険が完備されている普通の会社で仕事をしたいと述べた。そこでマジメに働くことが希望ですと添えた。

自分の分を知る。自分の立場や能力を過大評価も過小評価もしない。自分の分を聞こうにも、本日は「自分の分」の前の「自ら」の所が見つからなかった。身ずからの身が行方不明。どうやって身の程のほどを拡げようか、どのようにして分を深めようか・・決して知識などだけでは足りないのかも、豊かな失敗の経験や成功の経験の反復によって成し得るんだろうか?