35226 田能村竹田
安永六年(一七七七)ー 天保六年(一八三五)
豊後岡藩の田能村、藩医の家に生まれ、藩校の由学館で学んで、同校の儒員となり、頭取をつとめている。江戸時代後期の南画、文人画家で、名は孝憲、字は君彜(くんい)、通称を竹蔵といい、別号に老画師、九畳、仙史などを名乗っている。
「豊後国志」の編纂に携わる一方で、地元の画家に画を学び、谷文晁に私淑した。
書、画には独特の気品があり、優れたものが多い。
致仕後、京都、大阪に遊び、この間に大坂の岡田米山人、半江親子。浦上玉堂、春琴親子、竹原の頼山陽、篠崎小竹、梁川星巌、紅蘭夫妻、神辺夕日黄葉村舎の菅茶山、青木木米らと交わった。大阪の源八橋の近くで米屋を営んでいた岡田米山人をしばしば訪ね、浦上玉堂とはことに親しく、一ヶ月近くともに暮らしている。竹田は、頼山陽らと伊丹郷町を訪ね、剣菱酒造の坂上桐陰、白雪酒造小西家、岡田家で酒肴のもてなしを受けているが、酒のあとで出された「台柿」を写生し讃をした。岡田家の台柿は著名で、いまも「柿衛文庫」として名が伝わる。
岡田家は、このあと、飛騨高山で数々の屋臺に名を残す谷口與鹿が長年滞在し、藤本鉄石、天誅組で知られる岡田藍田、新選組創設を提案し、山岡鉄舟らと入洛した清川八郎、吉田寅次郎(松陰)らがあいついで訪ねている。
田能村竹田の代表作には、
亦復一楽帖 寧楽美術館蔵 重要文化財
松巒古寺図 東京国立博物館蔵 重要文化財
船窓小戯帖 個人蔵 重要文化財
稲川舟遊図 個人蔵重要文化財
などのほか、
屠赤瑣瑣録 山中人饒舌、竹田荘師友畫録、陪駕日記、暫遊日記 、花竹幽?の記、葉のうらの記、黄築紀行、竹田荘詩話、百活矣、瓶花論、填詞圖譜。、
著作には、
山中人饒舌、竹田荘師友画録。
がある。
安永六年(一七七七)ー 天保六年(一八三五)
豊後岡藩の田能村、藩医の家に生まれ、藩校の由学館で学んで、同校の儒員となり、頭取をつとめている。江戸時代後期の南画、文人画家で、名は孝憲、字は君彜(くんい)、通称を竹蔵といい、別号に老画師、九畳、仙史などを名乗っている。
「豊後国志」の編纂に携わる一方で、地元の画家に画を学び、谷文晁に私淑した。
書、画には独特の気品があり、優れたものが多い。
致仕後、京都、大阪に遊び、この間に大坂の岡田米山人、半江親子。浦上玉堂、春琴親子、竹原の頼山陽、篠崎小竹、梁川星巌、紅蘭夫妻、神辺夕日黄葉村舎の菅茶山、青木木米らと交わった。大阪の源八橋の近くで米屋を営んでいた岡田米山人をしばしば訪ね、浦上玉堂とはことに親しく、一ヶ月近くともに暮らしている。竹田は、頼山陽らと伊丹郷町を訪ね、剣菱酒造の坂上桐陰、白雪酒造小西家、岡田家で酒肴のもてなしを受けているが、酒のあとで出された「台柿」を写生し讃をした。岡田家の台柿は著名で、いまも「柿衛文庫」として名が伝わる。
岡田家は、このあと、飛騨高山で数々の屋臺に名を残す谷口與鹿が長年滞在し、藤本鉄石、天誅組で知られる岡田藍田、新選組創設を提案し、山岡鉄舟らと入洛した清川八郎、吉田寅次郎(松陰)らがあいついで訪ねている。
田能村竹田の代表作には、
亦復一楽帖 寧楽美術館蔵 重要文化財
松巒古寺図 東京国立博物館蔵 重要文化財
船窓小戯帖 個人蔵 重要文化財
稲川舟遊図 個人蔵重要文化財
などのほか、
屠赤瑣瑣録 山中人饒舌、竹田荘師友畫録、陪駕日記、暫遊日記 、花竹幽?の記、葉のうらの記、黄築紀行、竹田荘詩話、百活矣、瓶花論、填詞圖譜。、
著作には、
山中人饒舌、竹田荘師友画録。
がある。
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