備忘録として

タイトルのまま

鑑真

2008-10-07 23:47:00 | 古代
シンガポールのチキンライスは、茹でた鶏肉とそのゆで汁で炊いたごはんがセットになった食べ物で、Hawker CentreとかCanteenと呼ばれるフードコートには必ずひとつやふたつのチキンライスの店がある。正式名称は、Hainanese Chicken Riceといい、訳すと海南風チキンライスである。Hainaneseとは、中国の最南端にある海南島のことである。シンガポールの華僑は、中国各地から来ており、中でも福建省、潮州、海南島出身者が多い。少数ではあるが、首相のリー一族のような客家出身者もいる。海南島出身者が持ち込んだか、売り出したチキンライスということである。他にも、Hokkien Mee(福建麺)、Chaozhou Porridge(潮州粥)などというものがあり、いずれも美味で、よく食べていた。いまでも、タイ米を手に入れて、チキンライス、バクテー(肉骨茶)、インドカレーなどのシンガポール料理を、妻が作ってくれる。

おっと、鑑真の話をするのだった。
上原和の”トロイア幻想”の続きである。上原和は1984年に海南島を訪れている。そのころ私はシンガポールにいて、海南島にリゾートホテルを作る話に参加していた。海南島のさらに最南端の三亜の近くに世界涯(はて)というところがあり、そこにホテルを建てるというものだったが、何度か打ち合わせをした後、その話は消えてしまった。世界涯とは、まさに中華思想的な命名だと思う。上原和は最南端の三亜を訪れ、鑑真一行の漂着に思いを馳せている。三亜の街の真ん中に河口が大きく口をあけ、そこに無数の漁船がつながれているのを見て、淡海三船の著した”唐大和上東征伝”の記述そのままであることに感動するのである。そして、鑑真の漂流がなかったとする松本清張や仏教史家の辻善之助の説に疑問を投げかける。当地の市場でトビウオやうみへびを見て、東征伝にいう「三日蛇海を往く。その蛇の長さは1丈余り、小なるは五尺余りなり。色皆斑班(まだら)にして海上に満ち浮ぶ。三日飛魚の海を往く。白色の飛魚、えいとして空中に満つ。長さ一尺ばかり。五日飛鳥の海を往く。」その地であることを確信する。ホメロスの”イリアス”や”オデッセイ”が虚構であり、だからトロイという都市も虚構であるとする説にも関わらず、イリアスの記述を信じ、トロイの場所を特定発見したシュリーマンを思い出す。上原和のように、一次資料による確認、現地での確認を大切にするものが、真の学者であり探究者だと思う。ただ、そこに斎藤茂吉が人麻呂の終焉の地を自己の感性だけで特定したような思い込みや頑なな執着があってはならない。研究者は事実に素直であるべきである。

鑑真が海南島へ漂流したのは五回目の渡航時であり、海南島から故郷の揚州に帰る途上で失明したり随行の弟子が亡くなったりするが、日本へ渡航する意思は固く、六回目にして終に日本の地を踏む。東征伝の内容を追うだけで十分感動的なのだが、井上靖”天平の甍”は、東征伝を下敷きにして、鑑真を招来する命を受けた留学僧が、使命と自己の人生の狭間で運命に翻弄される苦悩をえがき、また別の感動があった。史実や研究書ばかりを読むこの頃だが、学生時代は井上靖、司馬遼太郎、海音寺潮五郎、陳舜臣らの時代小説を読み耽ったものだ。




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