備忘録として

タイトルのまま

渋江抽斎

2011-07-10 02:13:40 | 他本

 今日7月9日が命日の森鴎外は小学校の絵本で読んだ「山椒大夫」と中学の時に読んだ「ヰタ・セクスアリス」以来である。息子が読んでるというので何気なく青空文庫を開いたところ、話に引き込まれ気が付いたら読み終えていた。

 鴎外が小説の題材を探すために江戸時代の「武鑑」を渉猟しているときに偶然、”渋江氏蔵書”とか”抽斎云”という書き込みに出会い、自分と同じような蒐集をしていた先人がいることに興味を抱く。それからの鴎外は、渋江抽斎の子孫を探し当てて話を聞くなど、抽斎という人とその周辺を細大漏らさず調べ、この本を書き上げる。医者の渋江抽斎を中心に抽斎に関わる人々の消息が年代を追って細かく語られる。例えば妻の実家の兄の子供がいつ生まれいつ死んだか、抽斎の子供の儒学の先生がいつ生まれ死んだかまで、とにかく少しでも抽斎に関わる人はすべてなのである。安政の地震、幕末の動乱、明治の変革など幕末から明治の時代背景が散りばめられ、当時の人々の生活や習慣、考え方までがわかる。また、谷文晁、安積艮斎、福沢諭吉、中江兆民など聞きなれた人も関わっている。話は抽斎が死んでも残された抽斎の妻や子供の話を中心に鴎外のいる時代まで続く。

 ところが、抽斎の伝記のつもりで読んでいると、いつのまにか抽斎の4番目の妻五百(いお)の伝記じゃないのかという気がしてくる。抽斎の話より彼女の逸話が面白いのである。家に三人の侍が金目当てで押し入ったときちょうど沐浴をしていた五百は匕首(あいくち)を片手に腰巻ひとつで飛出してきて侍を追い出した話は龍馬のお龍のようである。結婚前言い寄る男を池に突き落とした話や五百という名に雅がないとして伊保と書いていたとか、放蕩を続ける腹違いの息子に切腹のような名誉を与えては申し訳ないとして事を納めた話とか抽斎の話より小説的である。分量的にも「渋江抽斎」は119章から成るが、抽斎は半分の62章あたりで死んでしまいあとは五百と子供の話が中心になるのである。先に話は年代順に進むといったが、実は五百が抽斎に嫁いだ驚きの秘密は、五百が死んだ後の107章で明かされ、ちゃんと小説仕立てになっているのである。五百があまりに魅力的に書かれているので、鴎外は抽斎に名を借りて、実は五百の話が書きたかったのではないかという気さえしてくる。

 抽斎は人間の修養として六経を読んだ上で、”過ぎたるは猶及ばざるがごとし、を身行の要とし、無為不言を心術の掟となす。この二書(論語と老子)をさえ能く守ればすむ事なり”と考える。六経とは、”詩経、易経、礼記、書経、楽経、春秋”である。論語と老子はかじったが、六経は読んだことがない。”過ぎたるは猶及ばざるがごとし”は中庸を説く論語で、”無為不言”はまさに老子であることは先般勉強した。

 「渋沢抽斎」は、漢文の難しい言葉が多い中にカタカナ英語が散りばめられ、斬新な感じを受けた。順不同だが、contemporain, dilettante, antipathy, situation, possibility, reconstruction, definition, dissonance, approximatic, recitation, corps diplomatic, reaction, generation, spelling, reader, mutualism, paditism, bibliography。ひとつだけ、ボンヌユミヨオルがわからなかった。Bonne~というフランス語かもしれない。また、クルグスは臨床講義という医学用語である。

 2年前、津和野で、”自分は石見の森林太郎として死にたい”、官職や小説家など表向きの肩書とは無関係に素の人間として死にたいという鴎外の言葉に接し感動したが、抽斎の一生を振り返れば、藩医や考証家という表向きの肩書の背後に、その何倍もの時間と労力で家族や友人と接した生身の人間の一生があることに気付かされるのである。


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