備忘録として

タイトルのまま

地獄変

2016-04-29 22:38:56 | 仏教

提婆達多は3つの罪を犯し無間地獄に落ちた。源信は『往生要集』において小乗仏教の説に従い八つの地獄を立て、そのうち苦痛が絶え間なくつづく地獄が無間地獄だという。芥川龍之介の『地獄変』に出てくる”横川の僧都”とは源信のことだとされている。物語の平安中期、源信が比叡山の横川に住していたからである。

『地獄変』

絵師・良秀は大殿から屏風に地獄絵を描くように命ぜられる。自分の目で見た物でしかいい絵が描けない良秀は、弟子を鎖で縛ったりミミズクに襲わせたりして、その様子を見て地獄絵を描いていくが、もっとも重要な部分で行き詰る。燃え盛る檳榔毛の車(高官の牛車)にあでやかな上臈(高級女官)が乗り空から落ちてくるというイメージはできているのに、それを目にしていないために絵にできないと大殿に訴える。大殿は、「良秀。今宵はその方の望み通り、車に火をかけて見せて遣はさう。」と、庭の車に火を放つ。その車には良秀の娘が乗せられ、良秀は目前で娘が焼かれるという地獄の責め苦を受ける。まさに炎熱地獄である。だが次の瞬間、良秀の顔つきは恍惚とした表情に変わる。この話を聞いた横川の僧都(源信)は、「如何に一芸一能に秀でようとも、人として五常をわきまえなければ、地獄に落ちるしかない。」と良秀を非難する。しかし、出来上がった屏風の絵を一目見て膝を打ち「出かし居った」と感嘆の声をあげる。その良秀は屏風の絵を仕上げた翌晩に縊死した。

良秀は屏風の絵を仕上げた代わりに自分も奈落(地獄)に落ちたのである。「いわばこの絵の地獄は、本朝第一の絵師良秀が、自分で何時か墜ちて行く地獄だつたのでございます。……」

中村元『往生要集を読む』で解説する源信の『往生要集』にある焦熱地獄が炎熱地獄(『倶舎論』玄奘訳)である。炎に身が焼かれ、その熱に耐えがたい地獄であると描写されている。源信の地獄は等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄(無間地獄)の八大地獄で、それぞれどこにありどのような責苦が行われているか細かく説明されている。『地獄変』で娘が炎に包まれ焼かれる場面の強烈な描写と同じで、ここで文字にしたくない内容である。中村元によると、飛鳥時代の聖徳太子の『三教義疏』や平安初期の最澄・空海は地獄について特に論じていないのに、平安中期以降には地獄の思想は民衆で一般化していたという。平安時代初めの景戒による『日本霊異記』や中期の『往生要集』の地獄や、地獄変、地獄図、地獄絵などと呼ばれる一連の図絵が民衆に広まっていたのである。中国には地獄の描写はあまりなかったようで、日本で地獄が一般化した理由を「人間のはかなさ、無常を感ずるとともに、人間のあさましさ、罪業に対する反省と呵責の念が人々の心をとらえたからではなかろうか。現代人は人間の罪業を現世のことがらとして表現する。ところが常に彼岸を思っていた上代・中世の人々はかなたに地獄の責苦が待っていると考えて、罪業の恐ろしさにおののいていたのであろう。地獄の恐ろしさの観念は無常観と一体となって発達した。」と中村元は説明する。

地獄の描写が続くので源信の『往生要集』は地獄の解説が中心だと思っていたが、以下の10章で、地獄の描写だけでなく、極楽浄土の描写、西方極楽信仰と弥勒信仰の優位性、念仏修行の心構えや作法、念仏の御利益、なぜ念仏が大切かの解説、念仏以外の他の修行の勧め、教義上の問題についての哲学的な議論を行っている。

  1. 厭離穢土
  2. 欣求浄土
  3. 極楽の鉦鼓
  4. 正修念仏
  5. 助念の方法
  6. 別時念仏
  7. 念仏の利益
  8. 念仏の証拠
  9. 往生の諸業
  10. 問答料簡

念仏の利益には、浄土教の教えを的確に表明した以下の最も有名な文章が示されている。

「光明遍く十方世界を照し、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。」

源信の『往生要集』は浄土教の教義の基礎となり、法然も親鸞もこの基礎の上に自分たちの思想を展開した。

中村元は、漢文で書かれた源信の『往生要集』のほとんどは中国の経文や仏典の引用であり、それら経文や仏典にはサンスクリット語やパーリ語で書かれた原文がある。その原文と源信の解釈を比べてみようというのである。これによって源信の漢文の読み方の修正、中国の翻訳者による原文のねじ曲げ、源信自身の原文にない解釈と独自思想などを読み取ることが可能になる。すなわち、インド人、中国人、日本人による解釈の相違を解明する手掛かりが得られるかもしれないというのである。 本書を読んで細部の相違はわかったが、残念ながら浅学の自分には、中村元の言う手掛かりを読み取ることはできなかった。


最新の画像もっと見る