散歩、旅行そして海外滞在の写真備忘録

過ぎ行く時間の中で、心に残り、蘇る記憶を、「私の写真備忘録」としてここにまとめたい。

2003.12.14 (日) カフェ窓越しの光景・・・・サダム フセイン拘束!

2006-04-30 18:05:49 | 回想・チュニジア日記
メディナ見物を終え、フランス門前の広場を見下ろすカフェで一服。
下の写真はその窓越しの風景である。(カメラ: FinePix F700)
 我々、日本人三名以外に、チュニジア人一人。真剣な顔でテレビニュースに見入っていた。眼を合わせると一言、「サダム フセインが捕まった」。大ニュースだ。しかし、チュニスの町全体で、それが特別に大きなニュースになったとは、そのときは感じられなかった。

 この件に関連して言うと、チュニジア滞在中、特にタクシーの運転手から「何故日本は自衛隊をイラクに派遣するのか?」という質問を受けた。恐らく彼らにはたいへん理解しにくいのであろう。
 ここの人は、アラブ語は当然として、殆ど全員がフランス語も話す。したがって、私へのその質問はフランス語である。
 残念ながら、フランス語が殆どダメな私には、それにはうまく答えようもなかった。


2003.12.14 (日) チュニスのメディナ見物

2006-04-30 17:26:03 | 回想・チュニジア日記
「メディナ」は、チュニスのほぼ中央に位置する、いわゆる「旧市街」である。7世紀にアラブにより建設が始まり、13世紀にイスラム都市として完成したという。東西約700m、南北約1kmの楕円形に近い街となっている。
このメディナ、世界遺産に登録されている。

これからチュニスに二年間も住むことになるということで、いわば今日は「下見の散歩」だ。
正門のような形になっているフランス門からすぐに続くにぎやかな土産物屋通りは別にして、メディナ内部には、我々異邦人にはまさに「別世界」が凝縮されている。古い建物、その間を縫う迷路のような、殆ど空を見ることがない細い道。そこに住む人々が強烈に発散する生活の匂い。
 それで、散歩とは言え、つい身構えた気持ちになってしまう。

この日見たHamouda Bachaモスク、それと道沿いの家の典型的なチュニジアスタイルの窓、がらんとして朽ちたような路地の風景の写真を下に添付する。(カメラ: FinePix F700)
ついでに、メディナのイラスト風地図を写した写真も添付しておこう。

さて、今にして思うと、このメディナ、なかなか懐が深い。
区画ごとに異なる小品を売る店或いは作っている「工房」があったりする。特に肉・魚・穀物・スパイスなどの食料品を売る一角で、ひしめきあうような雑踏に身をまかせたりすると、チュニスの人々の暮らしに一歩密着するような感覚を味わうこともできる。
雑然として、はっきり言って綺麗ではない路地から一歩建物の中に入ると、何か文化と歴史を感じさせる心地よい空間に入り込むこともある。
思わぬところに小さな「文化センター」みたいなところがあったりする。
チュニジア料理を楽しむレストランも、ここの北側にある"Dar el Jeld"が、私には結局最高であった。
一見雑然と密集しているここの建物の構造は、厳しい夏の暑さを避けるのにたいへんうまい造りになっているという話も聞いた。