『8割が偽物? 中国・アリババと4万人の盗賊』という記事を見て考えてみた。中国政府首脳が幾ら本当の物造りをしたいと訴えて見てもそんなのは寝言に過ぎない。偽物サイトを半ば公然と国が認めている状況は変わらない。ニセものを造った製造業者を取り締まらない限り偽物天国は変わらないのだ。問題は、製造業を潰してしまうと恐らく数千万人の失業者が出てしまうこと。
失業者を出さないためには、別の方法を考えなければならない。輸出するためにいい製品づくりを考える必要がある。安物を大量に造ってもそれを売る場所は限られる。日本も戦後、一時期に同じ道を辿っていた。しかし、日本人はそこから探究心が芽生えてきたのだ。職人が多くいたことも幸いした。日本の職人は江戸時代から始まっている。そして、明治時代に入って細々と暮らしていたが、その技術は保ち続けていた。西洋から入ってきた技術と日本古来の技術がぶつかり、日本古来の多くが捨てられていった。
昔からの残った技術が今の日本の技術の根幹である。中国は古来素晴らしい技術を持っていた。その歴史的な製品を見ると、立派なものが揃っている。特に陶芸品は素晴らしいものがある。これらの製品を造る技術は一体どうなっていったのか。恐らく、共産党革命で引継ぎが出来ないまま衰退し、消滅してしまったのではないか。今中国がやらなければならないことは、西欧諸国でやっている技術をしっかりと研究し、良いものを造ることをやらなければならない。それは物真似ではないものだ。
西欧と同じものが自分たちの手で出来るようになれば、そこからもっと新しい物へと進歩して行ける。しかし、今の中国に本当に物造りをやろうという気があるのだろうか。チャンスはいくらでもあるのに今のやり方に満足をしている。いや、政府中枢の人間たちは、中間層以下の人たちを余り裕福にさせたくはないのかもしれない。裕福にさせると余計なことを関げてしまう。従って、適当に物造りをさせて現状を維持する程度にしておきたい。
200年間にはモノ造りにおいて立派なものを造ることが出来た国だが、それは昔のこと。伝統は引き継がれていない。昔のようなモノ造りは残っていない。共産主義というものを続けていくには現状維持が良い。そんな考えが今の政府中枢にはあるようにも見える。共産主義には伝統を重んじることは余り相応しくない。今の政権を黙って指示すればいい、という考え方が浸透している。余計なことをしなければ、共産主義独裁政権は永続できる、という考え方なのだろう。