遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

継子落し無念

2011-02-11 00:56:49 | 山行
 
上;現在の土柱 下;04年3月当時 

 昨年秋,大町から明科・押野崎に至る東山丘陵の中でも特異な姿を見せていた継子落しのシンボリックな土柱のてっぺんの松の木が枯れ落ちてしまったと言うニュースを聞いた。
 どんなことになっているのか気になりながらそのままになっていたので4年ぶりに押野山から継子落しまでのコースを歩いて土柱の現状を見て来ようと思い立ち、仲間を誘って歩いてみた。
 結果,写真の通りの残念な姿になっていた。土柱は頭に生きた木が乗っていることで崩壊をまぬがれ、その形を保つことが出来ると聞いている。なので、てっぺんの木を失った土柱は早晩,その姿を消すと思われる。



 東山丘陵の地層はアルプスからの激しい流れによって運ばれたもので、大峰山にその証拠となる岩石が露出している場所があることや、岩石の組成が礫を含んだものから泥岩を含んだ砂岩に変わるところから、現在の犀川が過去においては海が深く入り込んだ静かな入り江だったものと考えられ、継子落しや登波離橋の奇観は80万年前に起こったフォッサマグナの隆起の中で形成された大峰帯の隆起によって出来上がったと考えられていること等々・・,継子落しを含む一帯の特異な景観の背後にはこのような大地と海の織りなす壮大な歴史がある。
 土柱はその象徴であり、てっぺんの松が無くなったからと言って一帯の魅力が失われるものではないが、池田町の県道からも、生坂村の国道からも見ることが出来るそのシンボルタワーが失われるのはやはり惜しい。






安曇野市・光城山~長峰山

2011-02-10 14:14:14 | 山行


 旧『境界線』を退会して以来、2年間近くフリーの立場で気の合った仲間と年に数回登る程度で山行回数は激減し、縦走からも冬山からも遠のいてしまった。一度停滞すると、次の足がなかなか踏み出せないものだと痛感する。
 と言うことであちこちに声をかけて光城山~長峰山を歩くハイキングを企画。9名が参加して穏やかな日差しの山道をのんびりと歩き交流した。
 旧交を温めると共に新たな出会いも生まれ、久しく途絶えていた『里山を楽しむ会』を再開させる場となった。



 光城山~長峰山のコース自体は1月3日,4日に歩いて記録にも載せているので取り立てて書くほどのことはなく、前回と違う点は正面のルートから登り、長峰山から長峰荘(登山口)に下った点だけである。
 光城山は一般的なハイキングのコースとしてだけでなく、例えば7時半に集合して準備しているともう降りてきて『これから出勤します』とか『もう1回登ります』と言う人等,毎朝の散歩やウォーキングに代わる健康保持や体力づくり,トレーニングの山としても地元の人に人気のある山であり、年に100回以上登る人は数知れず、365日,毎日欠かさず登る人も少なくないと言う山である。



 今回の参加者の構成は、旧境界線のメンバーだった人が自分を含めて3名,冒険学校の子ども(4才)とお父さん,かつて冒険学校の会員だった子どものお母さん,アルバイト先のリンゴ園で働く仲間で現役登山ガイドとその夫人,市の福祉課が主催した『1人暮らしのお年寄り』を訪問するハイキングで知り合った仲間の合わせて9名。



 参加者の中には、登山を続けたいけれど持病があって無理が出来ない人や、ハイキングや山歩きを渇望しつつも、主婦ゆえの時間的なしばりと経験のなさ,体力的不安から踏み出せないでいた人がいて、そう言う人にとって斜面をほとんどジグザグを切らずまっすぐ登って行く正面ルートはきつすぎるのだが、実はもう1つゆったりのコースがあって、そのコースは斜面から大きく横にそれ、かなり先まで行ってそこから折り返すと言う風につけられているので、距離は長くなるがゆっくり歩けば無理をせずに登れるように配慮されており、自分はそれを横目に見ていただけだったのだが、今回一緒に歩いてみてハンディがある人にも無理なく登ってもらえると言うことが分かってよかったと思っている。
 旧境界線の仲間同士以外は初対面であるが、一緒に歩けばたちまち仲間になるのが中高年の登山である。そして参加者の中には年間50回は登ると言う『常連さん』もいて心強い。
 みなそれぞれに話したいことがいっぱいあるようで、自分は聞き役を,と努めてはいるが、いつの間にか一番喋っていたりする。まぁ,いいか・・。



 光城山に登るだけと決めていた4才君とお父さんを山頂で見送ったのち、常連さんから『杉の葉のアルビノがあるのを見せたい』と言う提案があって、『ゆっくり先に行っている』と言う1人を除く6人が林道を逆方向に500mほど下る。
 途中,冬期閉鎖中の林道雪上には無数の獣たちの足跡が交錯していて、ウサギだ,キツネだ,いやタヌキだ・・,等と言い合うのも楽しく、初めての人には新鮮な驚きだったようだ。ウスタビガの繭の美しい緑に感嘆する等,冬には冬の良さがある。



 アルビノを見て引き返し天平の森で合流して昼食となる。食事の間も話しは弾み、旧知のように打ち解けて楽しい山遊びの一日となった。
 好天無風で温かだったが、惜しむらくは、終日,春霞のような眠い空でアルプスの展望がイマイチだったこと・・。

 『けぬがうちにまたもふりしけ 春がすみ たちなばまれに み雪こそふれ』



 長峰山の山頂から押野崎を見下ろし、翌日の押野山-継子落しのコースを目で辿りつつ説明していると、登波離橋の赤い手すりが見えると教えられて驚く等,大勢いれば教わることも多い。
 歩く時間より立ち止まって道草する時間の方が長かったかもしれない。そういう企画の陽だまりハイキングである。
 次の企画を望む声も多く、予定より幾分早めに下山して長峰荘で入浴・解散とした。



二十四節気『立春』・・・西暦2月4日,太陰太陽暦1月2日

2011-02-04 14:16:44 | 月・星・太陽・暦・天体&気象・自然現象

 オランダフウロ,花:2010年3月18日/葉:同1月28日


 立春 (りっしゅん) 2月4日 旧暦1月2日 
 正月節 八節 
  太陽視黄経315度

  『春の気たつを以て也(暦便覧) 』

 この日から立夏の前日までが春。まだ寒さの厳しい時期ではあるが日脚は徐々に伸び、九州や太平洋側の暖かい地方では梅が咲き始める頃であるが・・・,今年は西日本に雪が多い。
 三八豪雪(1963年)の時、広島県芸北町八幡の中学校に勤めていたと言う同僚から、電線を跨いで出勤したとか、雪融け後に高鉄棒のバーが地面に届くほど下に引き伸ばされているのを見て度肝を抜かれたと言う話しを聞かされたことがある。


 ここ3年ほどは畑の土が凍ることがなかったが、今年はカチカチに凍って埋めておいた大根が抜けなくなった。ハウスの中に埋めるべきだった・・。



 葉;2010年1月28日/実:同5月16日



 オランダフウロ

 散歩の途中でひときわ目立つ赤い葉を見つけた。3月になって赤い小さな花をつけているのに気づく。
 初めて見る草で名前が分からなかったが、野草に詳しいブロガーの方に写真を送って『オランダフウロ』と教えてもらった。今年は未確認。




冬野菜,緑濃く

2011-02-03 17:46:03 | あまってら農園



 ホウレンソウの葉っぱをむしってむしゃむしゃ食べて見た。
 甘い!





 3年間植えっぱなしのヤマ(ト)イモを掘ってみた。ヤマイモとかヤマトイモと呼ばれるイモには、長い棒状のもの(ナガイモ等),丸い形のもの(ツクネイモ等),手のひらを広げたようなもの(イチョウイモ等)等、形状や大きさが様々で600種もあるらしい。
 本種は名前が分からないので、とりあえずイチョウイモとしておこう・・。

 見ての通り、複雑な形をしたコブコブがあっちこっちに張り出していて掘りにくい。慎重に掘ったつもりでもスコップで傷つけてしまうし、その前に折れてしまうことしばしばで、バラバラになったものを拾い集める羽目になる。
 それだけに傷つけずにうまく掘り出すことが出来たら嬉しい。





 例によって、夏冷たくて冬暖かい湧水の洗い場で泥を落とす。掘るのも難しいが、複雑に入り組んだコブコブのつけ根に詰まっている泥を取り除くのはもっと難しい。なので結局はポキッと折ってバラバラにして調理することになる。

 バラバラになった一つひとつの皮を剥くなんてやってられない。そこで折れたかけらの表面を湧水の水草でしっかりこすってそのまま食べてみたら何ら問題なく、小さなヒゲは邪魔になるが、しっかり洗えば皮を剥く必要はないことが分かった。
 ヤマ(ト)イモの類は洗えば何時でも何処ででもナマで食べられるって訳だ。

ハクチョウ,只今582羽・・・ひしめく水鳥たち

2011-02-01 00:12:21 | 安曇野

 
 
 一級の寒さが続く安曇野・御宝田・・,騒がしい池にさらに降りてくる



 

 いつの間に増えたのか・・,只今582羽 幼鳥もかなり交じっている
 




 カモ達は何故だか陸の上をゾロゾロと歩き、突然飛び立って池に戻る 





 池の騒ぎをよそに悠然と舞うトンビ 夕暮れせまる梢に羽を休める群 向こうは常念岳