初めての山が白馬岳だった。以来40余年白馬に通い続けて、明日からまた白馬。
昨年に続くアルプス冒険学校は、平郡島のキャンプとの関連で日程を散々捏ね回した挙句、こともあろうに夏休みが始まる前の授業日に設定してしまった。長野県の小中学校は8月から夏休みに入ると言うことを、すっかり忘れてしまったのだ。
そんな訳でスタッフとして手伝ってくれることになっていた広島の山仲間の援助を無にしてしまったが、彼らはその計画を夏の山行としてそのまま実行することになり、純佐伯FHCのメンバー5人による山行が実現することになった。
メンバー中の2人の若者は、広島時代の冒険学校のOB。1人は小学1年生からのつき合いで25年になる。今はバリバリのクライマーとして『岳人』誌の表紙に度々登場している。
もう1人は中学に入ってからの入会で黙々と歩いていつの間にかそこにいると言う寡黙ながんばり屋だった。昨年は怪我を克服しての再開第1歩の山行だったが、今年も同じコースを歩きたいと言う。今年のコースは彼女の意向を汲んで決めたコースでもある。
かつての冒険学校の子ども達が成人となり、同じ会のメンバーとして共に登ると言うことには感慨深いものがある。
台風5号の強風下を歩いた昨年とは打って変わって、今年は暑い日になりそうな予感がする。
平郡島には西地区と東地区があり、それぞれに港があって柳井から来るフェリーは先に西港に寄ってから東港に来る。東と西がどうつながっているのか知りたくて、kojiさん達が出漁して後、車で西の港方面に行ってみた。
西の空にかかる虹を追いかけるように走る。
西港
朝虹
西港を通り越してさらに進むと、ミカン畑が現れる。道はそのための農道と思われたが、どこまで走っても行き止まりになる気配がない。そのうちに何と水田まで現れてびっくり・・。
道端にヘメロカリスやランタナ等の花があるのも不思議だ。
ひょっとするとこの道は島をぐるっとひと回りしているのかもしれない・・,と言う気がしてきて行ける所まで行ってみようとどんどん進む。ミカン畑があるところは道もよく整備されている。
だがそれも怪しくなってきた。ある地点からは道が草で覆われていて、最近車が通ったような形跡がない。それでも行くしかない。
行く手に五十谷三島の3つの島影を発見。ここに来て道が東まで続いていると確信した。
フェリーだ!
沿道で見慣れない植物に出会う。
ミツバを大きくしたようなこの植物は見たことがない。ミツバの1つが10cm以上あり、ニョキっと立ち上がっている。
もう1つはナルコユリにそっくりだが桁違いに大きい。
遂にひと回りして五十谷三島に着いた。1周は約30km。
誰かが助手席にいたらきっと引き止められたに違いない。酷い道だったが面白かった。こう言うのは1人に限る!
五十谷三島海岸
五十谷三島
三島の先端
航路から見る三島
7月16日、柳井港8:30のフェリーに乗船。今回はテント、食糧、クーラーボックス、ブルーシート等、大量の荷物があるので車ごと乗り込む。
10:10着。昨年のロケハンと今春の電車旅でお世話になり、今回のキャンプでも協力頂くJunさんと愛娘のNonちゃんの出迎えを受ける。
koujiさん達はタコ漁の最盛期で早朝4時から出漁中。Masakazuさんは1人で潜り漁へ・・。
ひとまずJunさん宅に落ち着いた後、詳細な計画案と依頼状を持って地区の役所(支所),診療所,JA支所と物資部等を廻ってキャンプを行うに当たっての協力要請を行う。
キャンプの内容は何も決めず、子ども達が集まった段階で4日間をどう過ごすかを話し合って決めることになっているが、食料の調達と水の確保が最も大きな活動になるのは明らかで、島に渡る前に必要な物資を買出しし、島に渡ってからは子ども達が海や磯,海岸,野山で調達することになる。
そのために、島の人達に釣りや磯での採集,潜り漁を指導してもらったり、思うように獲物が獲られない場合は仕事を手伝わせて労働の報酬として食料や水をわけて頂くことにを依頼する・・,その場合,子ども達に甘い顔をして過剰にサービスするのでなく、しっかり働かせてもらうように手を回して置く・・,Junさんやkoujiさん達の他に、五十谷三島付近で牛を飼い、みかんを栽培しているkiyosiさん等にそのお願いに行く・・,これが今回の打ち合わせの最大の狙いで、子ども達だからと決して甘やかさないように、しかし最後だけ少しサービスしてやって下さいとお願いし快諾を得た。
五十谷三島
三島の先端
航路から見る三島
7月16日、柳井港8:30のフェリーに乗船。今回はテント、食糧、クーラーボックス、ブルーシート等、大量の荷物があるので車ごと乗り込む。
10:10着。昨年のロケハンと今春の電車旅でお世話になり、今回のキャンプでも協力頂くJunさんと愛娘のNonちゃんの出迎えを受ける。
koujiさん達はタコ漁の最盛期で早朝4時から出漁中。Masakazuさんは1人で潜り漁へ・・。
ひとまずJunさん宅に落ち着いた後、詳細な計画案と依頼状を持って地区の役所(支所),診療所,JA支所と物資部等を廻ってキャンプを行うに当たっての協力要請を行う。
キャンプの内容は何も決めず、子ども達が集まった段階で4日間をどう過ごすかを話し合って決めることになっているが、食料の調達と水の確保が最も大きな活動になるのは明らかで、島に渡る前に必要な物資を買出しし、島に渡ってからは子ども達が海や磯,海岸,野山で調達することになる。
そのために、島の人達に釣りや磯での採集,潜り漁を指導してもらったり、思うように獲物が獲られない場合は仕事を手伝わせて労働の報酬として食料や水をわけて頂くことにを依頼する・・,その場合,子ども達に甘い顔をして過剰にサービスするのでなく、しっかり働かせてもらうように手を回して置く・・,Junさんやkoujiさん達の他に、五十谷三島付近で牛を飼い、みかんを栽培しているkiyosiさん等にそのお願いに行く・・,これが今回の打ち合わせの最大の狙いで、子ども達だからと決して甘やかさないように、しかし最後だけ少しサービスしてやって下さいとお願いし快諾を得た。
念願の電柵の設置を完了した。広島・山口への旅行中にジャガイモを全部やられているのではないかと気が気ではなかったが、一部被害はあったものの最小限に食い止めることができてホッとしている。
多数のイノシシがドッと繰り出して、一晩で食い荒らしてしまう状況を想像していたが、敵は意外と少数で夜な夜な出没して少しづつ食べて行くらしく、この点は集団で豆畑を襲って食い荒らす鹿とは違うようだ。
鹿の場合は大挙して押しかけ、嵐のように去っていくので踏み跡に道が出来るほど被害状況が一目瞭然だが、猪の場合は注意深く見ないと分からない程度で、見た目の印象とはずいぶん違う気がする。
猪による被害
地主さんの話しによると、ビリッと来て驚くところまでは一緒だが、鹿はその後パニックに陥って闇雲に突進し、コードを引きちぎりポールをへし曲げて暴れまわるので後始末が大変だと言う。一方,猪は丁度鼻先の位置にコードが来るように設置されているのでぬれた鼻先にビリッと来て驚いて逃げるだけで、1度学習すると2度と来なくなるそうで、意外と利口な獣だと言う。鹿のように飛び跳ねて侵入することもなく低い位置に電線を張るだけで対処出来るのも助かる。
電源は単1乾電池8個の直列12Vで1ヶ月の連続使用が可能。自動車のバッテリーに切り替えることもできるが、夜になるとスイッチが入るように設定できるし、収穫期だけ運転すればいいので乾電池でも充分。草に埋もれてしまうと漏電して能力が落ちるので、むしろコード周辺の草刈り等の管理が大変になる。
電話の主はもちろんオーシャン21師。切迫した声で『ウナギだと思うんですが、大物らしくて上がらないので来てもらえませんか!』とおっしゃる。
竿を放り出し、手網を持ってフェンスを乗り越えるのももどかしく駆けつけて海を覗くと馬鹿でかいチヌだった。
堤防の壁にピタリと寄せられたチヌは、リール&竿の力と魚の重さが吊り合って壁に張りついた状態で動かなくなっていて、それ以上巻き上げることも緩めて泳がすことも出来なくなっていたのだった。
空気を吸わされたチヌは手網を入れても暴れることなくおとなしかったが、壁から剥がすのに苦労した。
この時点では推定40cm。丸々と肥えた見事なキビレである。取り合えず携帯やら時計を並べて写真を撮る。
翌日,師のお宅を訪ね、改めて記念の写真を撮ってから3枚に下ろし、師と一緒に頂いた。
42cmのチヌは車椅子の釣人,オーシャン21師の復活を祝す記念の釣魚となった。その場面に立ち会えたことは無上の喜びである。
復活の42cm
我が海釣りと野草料理の師であるオーシャン21師は、廿日市市周辺の野・海・原の事情に明るく、あくなき探究心を以って野山や海の幸を求める人であった。
・・が,突然の事故から車椅子生活を余儀なくされるに至り、竿を折ってリハビリに邁進される日々であったことを後日知らされた。
2年間の苦闘の甲斐あって車の運転は言うにおよばず船の操船をも再開されるまでに漕ぎつけ、再び竿を振って釣りを楽しむ心境になられて共に釣りをする機会を得たのが昨年の夏のこと・・。
はからずも、17日夜,昨年師が釣りを再開されたその港で一緒に釣ることになった。
師は本来は車椅子に乗り換えて釣るのだが、最近は面倒なので車の中から竿を伸ばして電気浮きで釣っているとのこと。
車を停める場所に制約があるので必ずしもベストの位置での釣りではなく、筏や船がひしめいていて無数のロープが張られている釣りにくい場所であるにも関わらず巧みに狭いポイントに仕掛けを送って辛抱強くアタリを待つと言う、師に取っては不本意な忍耐の釣りである。
私は、そこよりも幾分釣果を望める実績のある場所に移動する。潮は大潮で満潮は21時頃。喰いが止まるまで時間があまりないのですぐに仕掛けを投入して釣り始める。
仕掛けは1.5号の道糸に2号のチヌ鉤,ハリスは1.0,カミツブシの中をつけての探り釣り。餌はアオムシ。
投入直後にいきなり鋭いアタリがあったが次の瞬間フッと軽くなった。切られたのでなく結び目が抜けると言う痛恨の初歩的ミス・・,思えばこれがこの夜最大級のアタリだった。
手のひらサイズが2枚,3枚と上がったが全部放流。やがて満潮を迎えて潮が止まると喰いも止まってしまった。
集中力が切れて気分がいくらかだらけて来た頃,突然携帯が鳴った。
我が海釣りと野草料理の師であるオーシャン21師は、廿日市市周辺の野・海・原の事情に明るく、あくなき探究心を以って野山や海の幸を求める人であった。
・・が,突然の事故から車椅子生活を余儀なくされるに至り、竿を折ってリハビリに邁進される日々であったことを後日知らされた。
2年間の苦闘の甲斐あって車の運転は言うにおよばず船の操船をも再開されるまでに漕ぎつけ、再び竿を振って釣りを楽しむ心境になられて共に釣りをする機会を得たのが昨年の夏のこと・・。
はからずも、17日夜,昨年師が釣りを再開されたその港で一緒に釣ることになった。
師は本来は車椅子に乗り換えて釣るのだが、最近は面倒なので車の中から竿を伸ばして電気浮きで釣っているとのこと。
車を停める場所に制約があるので必ずしもベストの位置での釣りではなく、筏や船がひしめいていて無数のロープが張られている釣りにくい場所であるにも関わらず巧みに狭いポイントに仕掛けを送って辛抱強くアタリを待つと言う、師に取っては不本意な忍耐の釣りである。
私は、そこよりも幾分釣果を望める実績のある場所に移動する。潮は大潮で満潮は21時頃。喰いが止まるまで時間があまりないのですぐに仕掛けを投入して釣り始める。
仕掛けは1.5号の道糸に2号のチヌ鉤,ハリスは1.0,カミツブシの中をつけての探り釣り。餌はアオムシ。
投入直後にいきなり鋭いアタリがあったが次の瞬間フッと軽くなった。切られたのでなく結び目が抜けると言う痛恨の初歩的ミス・・,思えばこれがこの夜最大級のアタリだった。
手のひらサイズが2枚,3枚と上がったが全部放流。やがて満潮を迎えて潮が止まると喰いも止まってしまった。
集中力が切れて気分がいくらかだらけて来た頃,突然携帯が鳴った。
砺波市からR369で富山に向かったはずが、どこでどう間違えたのか気がつくとR156を走っていて訳が分からないままに富山に入り、最後の給油をしてR41を神岡へ,神岡からはR471を平湯に向かう。高山を廻るより30kmも近い。
上宝村の道の駅で一服して平湯に向かう。平湯温泉で工事中の場所があって、指示に従って迂回路を走って安房トンネルに向かっているうちに突然道が分からなくなり、安房峠の方に向かっていることに気づいて戻ろうとすると、同じようにトンネルの入り口を探している車が2台あった。聞いても誰も分からないらしい・・。
キツネにつままれたような気分だった(そう言えばキツネを見た!)が、安房峠は一度は走ってみたいと思っていたので1人峠越えを敢行。トンネルなら5分で通過できるところを40分かかって通過する。
それにしてもどこに消えてしまったのか,安房トンネルの入り口は見つからなかったが、反対側にはちゃんと出口があって1台の車が何事もなかったように猛スピードで出てきた(アタリマエカ・・)。
安曇野着22:10,富山から4時間弱で帰着。
上宝村の道の駅で一服して平湯に向かう。平湯温泉で工事中の場所があって、指示に従って迂回路を走って安房トンネルに向かっているうちに突然道が分からなくなり、安房峠の方に向かっていることに気づいて戻ろうとすると、同じようにトンネルの入り口を探している車が2台あった。聞いても誰も分からないらしい・・。
キツネにつままれたような気分だった(そう言えばキツネを見た!)が、安房峠は一度は走ってみたいと思っていたので1人峠越えを敢行。トンネルなら5分で通過できるところを40分かかって通過する。
それにしてもどこに消えてしまったのか,安房トンネルの入り口は見つからなかったが、反対側にはちゃんと出口があって1台の車が何事もなかったように猛スピードで出てきた(アタリマエカ・・)。
安曇野着22:10,富山から4時間弱で帰着。
砺波平野の屋敷林
内灘から羽咋を通って能登半島を横断し、氷見に抜けた。5月の海岸線行脚が半端な場所で終ったので、射水と氷見線の伏木駅までの道を確かめたかったのだ。
目的を果たして一息ついたところで、以前から気になっていた砺波市の友人のことを思いだし、104で電話番号を訪ねたところ、何と名前が載っているとのことですぐに電話をかけると本人につながり、40年余の交信を果たした。
4時から所用だがそれまでには着くだろうからとR8を金沢方面に向けて走り始めたが、小矢部市の岩動まで40分以上もかかってしまい、目的地の砺波市まではさらに相当な距離があるので会うのは断念して出かけてもらった。
帰りを心配する友に、ここまで来たら糸魚川に回るより高山に出る方が早いかもしれない~と答え、せっかくだから友の家だけでも突き止めておこうと探すことにした。
友人の家はお寺なのだが、砺波平野の一帯の家々はどこもみな立派な屋敷林に囲まれていて遠目に見ただけではお寺かどうか分からず1時間あまり探し回ってようやく辿り着き、伝言メモを残して帰途に就く。
明るいうちなら砺波から庄川沿いに五箇山,白川郷を通って牧戸まで遡り、高山経由で帰るのもいいが、夜道を走るなら富山まで戻ってR41で神岡~平湯経由で帰るのがベストだと考え、富山市に向かう。
内灘から羽咋を通って能登半島を横断し、氷見に抜けた。5月の海岸線行脚が半端な場所で終ったので、射水と氷見線の伏木駅までの道を確かめたかったのだ。
目的を果たして一息ついたところで、以前から気になっていた砺波市の友人のことを思いだし、104で電話番号を訪ねたところ、何と名前が載っているとのことですぐに電話をかけると本人につながり、40年余の交信を果たした。
4時から所用だがそれまでには着くだろうからとR8を金沢方面に向けて走り始めたが、小矢部市の岩動まで40分以上もかかってしまい、目的地の砺波市まではさらに相当な距離があるので会うのは断念して出かけてもらった。
帰りを心配する友に、ここまで来たら糸魚川に回るより高山に出る方が早いかもしれない~と答え、せっかくだから友の家だけでも突き止めておこうと探すことにした。
友人の家はお寺なのだが、砺波平野の一帯の家々はどこもみな立派な屋敷林に囲まれていて遠目に見ただけではお寺かどうか分からず1時間あまり探し回ってようやく辿り着き、伝言メモを残して帰途に就く。
明るいうちなら砺波から庄川沿いに五箇山,白川郷を通って牧戸まで遡り、高山経由で帰るのもいいが、夜道を走るなら富山まで戻ってR41で神岡~平湯経由で帰るのがベストだと考え、富山市に向かう。
金沢から内灘にまわって見た。当時は砂丘と演習場があるだけだったが、今や大海水浴場に変貌して大変な人出だった。
40年前,初めて白馬岳に登った時の帰途,深夜列車乗車の時間調整で金沢駅に降りてこの海岸に夕陽を見送りに来た。
当時は自衛隊の演習場がある以外に何もない砂丘だったように記憶しているが、最近大規模な浚渫が行われ一大海水浴場へと変貌したと聞いた。
砂浜には多数の車が乗り込んで縦横に走り廻り、大勢のキャンパーや海水浴客,サーファーが思い思いに夏を楽しんでいた。
浜の人の多さに比べて海中の頭数が少ないのはどこの海水浴場も同じ、近年の傾向らしいだ。
丘の上の風車
サンセットブリッジ
道の駅・サンセットパークから、河北潟にかかるサンセットブリッジや風力発電の風車を見る。
加佐ノ岬
ヒオウギスイセン
念願だった加佐ノ岬に寄る機会を得た。灯台の下,西側の斜面に広がる草原いっぱいに咲くノハナショウブの写真を見てから一度行って見たいと思っていた。
その花を見るには1ヶ月ほど遅く、代わってヒオウギスイセンとオニユリの花が目立った。
オニユリの濃いオレンジ色と、それよりなお濃いヒオウギスイセン(モントブレチア=クロコスミア)の緋色が、草原の緑,灯台の白,空と海の碧に強烈なアクセントを与えている。
白亜の灯台
岬の先端に立つと、加賀海岸の特徴である『海蝕崖』と言われる景観を見ることができる。軽石質砂岩から成る段丘が日本海の荒波に削られて出来たこの海蝕崖は35kmにわたって続いていると言う。岬の上部には砂岩層や凝灰岩層が乳首状に露出して独特の造形美を見せている所があり、貝の化石や貝がらの跡の窪みが見られる。
貝の化石
裸地化した部分にはイワレンゲを小さくしたような多肉性の植物が見られ、またクロマツの苗が植えられる等、植生回復の試みかがなされていた。
周辺にはクロマツなどの立ち木があるが、強い風の影響か、立ち枯れているものが多い。
イワレンゲの矮小型
植生回復の試み
草原にはホタルブクロ(白花)やツリガネニンジン,ナルコユリ(実),ヘクソカズラなどの植物が見られた。
ヤイトバナ(ヘクソカズラ)
ヒオウギスイセン
念願だった加佐ノ岬に寄る機会を得た。灯台の下,西側の斜面に広がる草原いっぱいに咲くノハナショウブの写真を見てから一度行って見たいと思っていた。
その花を見るには1ヶ月ほど遅く、代わってヒオウギスイセンとオニユリの花が目立った。
オニユリの濃いオレンジ色と、それよりなお濃いヒオウギスイセン(モントブレチア=クロコスミア)の緋色が、草原の緑,灯台の白,空と海の碧に強烈なアクセントを与えている。
白亜の灯台
岬の先端に立つと、加賀海岸の特徴である『海蝕崖』と言われる景観を見ることができる。軽石質砂岩から成る段丘が日本海の荒波に削られて出来たこの海蝕崖は35kmにわたって続いていると言う。岬の上部には砂岩層や凝灰岩層が乳首状に露出して独特の造形美を見せている所があり、貝の化石や貝がらの跡の窪みが見られる。
貝の化石
裸地化した部分にはイワレンゲを小さくしたような多肉性の植物が見られ、またクロマツの苗が植えられる等、植生回復の試みかがなされていた。
周辺にはクロマツなどの立ち木があるが、強い風の影響か、立ち枯れているものが多い。
イワレンゲの矮小型
植生回復の試み
草原にはホタルブクロ(白花)やツリガネニンジン,ナルコユリ(実),ヘクソカズラなどの植物が見られた。
ヤイトバナ(ヘクソカズラ)
五日市発19日9:20。途中,尾道に寄った後は北陸・能登まわりで海岸損行脚のルート調査をしながら帰る予定。
12:45東尾道駅着。知り合いの新居を見て14:15辞去。岡山ではいつもブルーラインを走るが今回はそのまま2号線を走って違いを見る。結果,ブルーラインを分岐した途端に4車線から2車線に縮小し赤穂まで単車線が続く等,ブルーラインの方が走り易いことが分かった。
燃費を分かりやすくするためにガソリンが殆ど0になるまで走って給油する。最初の給油までは20ℓで303km+α。明石で2回目の給油,約21ℓ。
京阪国道から1号線経由,京都でR161に入って敦賀方面へ向かう。湖西道路は無料。道の駅安曇川で休憩。がら空きのR161をひた走って2:45敦賀の手前でR8に合流。3:08河野海岸に降りて海岸線を走り、睡魔に襲われて1時間半の仮眠。
このまま海岸線を走ったのでは、海岸線歩きがつまらなくなるので越前漁港付近からR365に入り、R8に合流するために鯖江方面に向かう。
6:05福井でR8に乗るも高速道路並みの高架2車線道路で沿道にGSがなく給油のために一旦降りる。17ℓ給油。再びR8に戻ってあわら市付近から海岸線を目指して左折。加佐の岬を目指す。7:12着。加佐の岬をゆっくり見たり記録を書いたりして2時間休む。
12:45東尾道駅着。知り合いの新居を見て14:15辞去。岡山ではいつもブルーラインを走るが今回はそのまま2号線を走って違いを見る。結果,ブルーラインを分岐した途端に4車線から2車線に縮小し赤穂まで単車線が続く等,ブルーラインの方が走り易いことが分かった。
燃費を分かりやすくするためにガソリンが殆ど0になるまで走って給油する。最初の給油までは20ℓで303km+α。明石で2回目の給油,約21ℓ。
京阪国道から1号線経由,京都でR161に入って敦賀方面へ向かう。湖西道路は無料。道の駅安曇川で休憩。がら空きのR161をひた走って2:45敦賀の手前でR8に合流。3:08河野海岸に降りて海岸線を走り、睡魔に襲われて1時間半の仮眠。
このまま海岸線を走ったのでは、海岸線歩きがつまらなくなるので越前漁港付近からR365に入り、R8に合流するために鯖江方面に向かう。
6:05福井でR8に乗るも高速道路並みの高架2車線道路で沿道にGSがなく給油のために一旦降りる。17ℓ給油。再びR8に戻ってあわら市付近から海岸線を目指して左折。加佐の岬を目指す。7:12着。加佐の岬をゆっくり見たり記録を書いたりして2時間休む。