8:30無関町/8:56行き止まりか
8:39,無関町の港に着く。海岸線の道を聞くと行き止まりで戻って来なくてはならないと言われたが、いつものように行き止まりの地点までは行ってみることにして港から続く護岸堤の上を歩く。20分ほどで立ヶ鼻と言う岬の突端に達すると堤防はそこで終わり、岬越しに島の北端に当たる百万石から更に本土の穴水町方面と思われる陸地を望むことが出来た。
9:05田圃道を通って無関のバス停に向かう/9:16道を教わって閨へ
山際と堤防の間には水田が広がっていて、そこでも甲斐甲斐しくまた睦まじく田植えに勤しむやや年配の夫婦,若夫婦,子ども達三代の家族と思われる人達の姿があった。
田圃の道を引き返して無関のバス停に戻り、待合室で休憩(9:17~30)の後、道を教わって細い川沿いに坂を登り、県道に出て隣の閨町へ向かう。
9:44三ヶ浦漁港へ/9:51 漁獲(イワガキ,アカニシ等)
9:44,閨町に入り、三ヶ浦漁港に向かう。ここでも釜崎と言う小さな岬で行き止まりとなって引き返し、港を覗くと水揚げされたばかりの牡蠣やアカニシがコンテナに入っているのが見られた。小さな漁村らしく大漁とは言い難い収穫で生計を支えるに足りるとは思えないが、これはこれで他者には測り得ない海の幸なのだろう・・。
9:49港にある五輪の塔/9:52閨港
10:53鴫島入り江と行者鼻方面/笠栗鼻突端
港の傍で壁に五輪の塔の図説を描いた建物を見る。なぜ突然五輪の塔が出てくるのか分からなかったが、それはこの地区にある観音堂の石仏群に因むものであることが後に分かる。
三ヶ浦漁港の先は釜崎と言う行き止まりの出っ張りなので県道に戻って鴫島入江と言う湾に出ると海沿いに水田が現れ、水田の向こうの湾を隔てて右(東)に長く突き出た岬と、その基部辺りの木立ちの中に白いマンションのような建物が見えた。
11:06手植えする婦人と話す
県道の左側には水田が広がり、あっちに1人,こっちに1人と田植えに精を出す人の姿が見えるが、ごく稀に機械の上に座って植えつけている男性を見る他は、どの田圃も女性が1人で手植をしている。
『お疲れさまデス』と声をかけると腰を伸ばして『どこまで歩くのぉ~』とにこやかに答える。『行けると所までです。まぁ今日中には橋を渡れそうですが・・』と答えると『私らもネ,よく歩くのよぉ。日曜日とか夜にネェ~』と仰る。『健康ウォークですかぁ~! 腰を伸ばさないとネェ~』『そうそう!』と言った具合。
11:11閨観音堂石塔群/同
水田の右手海寄りに神社林のようなこんもりとした丘があり、入り口の玉垣と石段に向けてまっすぐに道がついているのを見て迷わず進むと小さな観音堂と無数の五輪の塔,崩れたや石仏の破片が散在している広場に行き着く
同 説明
同 荒廃した石塔
そこは『閨観音堂』という古堂で、完全な形の五輪の塔が30基,不完全なものが十数基ある他、多くの板碑や珠洲焼の骨壺の破片等が散在するところから、室町時代の墳墓の跡と考えられていると言う。先刻,三ヶ浦漁港で見た五輪の塔の絵図はこの観音堂に因んだものと思われる。
観音堂を越えて振り返ると周りはすべて水田で、そこだけが特別に大事にされてきた感じがよく分かった。
11:19 観音堂方面を振り返る/同,越しかた無関方面
観音堂を後にして10分あまりで県道に合し、直進すると右手に『おやき,カレー』と書いた店があって、入り口でおばさんが豪華な具入りの巻き寿司を売っていたのをこれ幸いと昼食用にと買い求める。島には食料品等を売る店がどこにでもある訳ではないのでこれには大いに助けられた。
11:39県道に戻る/11:47百万石町/中能登農道橋
1:50左折して中能登農道橋を渡れば能登半島/11:55百万石バス停
12:06木陰でお昼
11:42,百万石町に入り直進3分で農道橋への道を分ける。左折すれば農道橋を渡って本土に戻れるが、百万石町から久木,田尻,通の各町を廻ってから本土に戻るべく直進。折しも正午のサイレンを聞き、脇道の木陰に腰を下ろして先刻買い求めた弁当を食べる。
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