遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

仙台空港から閖上( ゆりあげ) へ

2013-03-17 19:42:49 | たび・出会い
 3月16日
 日立木を一番の電車で仙台に向かう途中、名取駅で仙台空港アクセス線~云々のアナウンスを聞いた瞬間に体が反応してアクセス線に向かっていた。
 計画段階で空港の周りを一周する予定だったので、滑走路側にして放水路沿いの道を歩いている時、名取市在住で一時避難的に安曇野に仕事に来ていたUmiさんから『閖上市がお薦めですよ』のメールが入った瞬間にまた体が反応してためらわず閖上地区に向かった。

 離着陸する飛行機の写真を撮っていたマニアによると、空港は海に面しているが『津波は海側からではなく名取川を遡って押し寄せて来た』と言う。
 その5~6km先に閖上地区はある。時刻は9時過ぎ。仙台発11:04が今日中に帰るリミットなので帰るのは明日に延期だ。

 放水路でのフォー(高校時代に自分もやっていた)の練習を見ながら土手に沿って歩いていたらその道は行き止まりで、大きく戻って放水路に対して直角に右折して500mばかり進んだ所からまた直角に右折し、そこから2kmはあろうかと言う直線道路をまっすぐ進む。
 それは何十町分にもおよぶ広大な水田の中につけられた復興工事用の道と思われ、原ノ町のそれと同じように辻々に警備員が立って出入りする車両の誘導に当たっていた。

 田圃と言う田圃にはこれも原ノ町と同じように表土を削りとって掻き集めた小山が出来ていた。ただ原ノ町と違うのは土の表面が白い点で、取り除くのは放射能ではなく海水がもたらした塩であること。除塩と言う作業の一行程だと言う。

 その前に田圃に流れ込んだ瓦礫の除去があり、はじめは自衛隊がやり、残った瓦礫の混入物の大きさや種類に応じて次々と専門の業者が機械で選別・除去に当たり、最後は農民自身がボランティアの助けをも借りて人海戦術で取り除く過程があり、除塩と並行して灌水のための配水側溝が施設されてようやく田圃として甦ることになる。
 『それは今年のうちにも完成する見込み』だと若い警備員君が言った。復旧してもすぐに稲を作ることは出来きないんじゃないかと言うと『塩に強い品種を使うそうだ』と言う。

 ここでも田圃の一画が瓦礫の置き場・分別場になっていて、それぞれに応じた業種のトラックが頻繁に出入りしており、その邪魔にならないように気を遣って歩く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿