あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

夏の風物詩、ペルセウス座流星群

2009年08月11日 | うんちく・小ネタ

                                                               8月13日の1時~明け方の4時頃に、ペルセウス座流星群が極大期を迎えます。

数年前に話題になった「しし座流星群」は、時折、大出現を起こす流星群ですが、普段はあまり活動が活発な流星群ではありません。
その点では、この夏のペルセウス座流星群は、毎年一定量の活発な活動を見せる流星群です。そう言う意味では「ハズレ」はあまりありません。
                                P005                          

                                                           ◇流星群とは
流星とは特別な時、例えば今回のペルセウス座の流星群のような流星群がある時にしか見られないと思いこんでいる方がいらっしゃいますが、これは間違いです。

月のない晴れた夜に空を見上げていれば、一年を通して 1時間あたり数個程度の流星を見ることが出来ます(都市部の明るい空だと、ちょっとわかり辛いですが)。
こうした流星は散在流星と呼ばれています。

これに対して、一年のある時期に、特定の方向から流星が飛び出してくるような流星があり、こんな風に群がって流星が出現するものを流星群と呼びます。

流星群は毎年ほぼ一定の時期に、一定の方角から流星が飛び出してくるように見えます。同じ群に属する複数の流星の経路を飛び始めた方向へ延長して行くと、その経路線は空のある一点に集まるように見えます。この「一点」を流星群の輻射点(ふくしゃてん)または、放射点(ほうしゃてん)と呼び、流星群はこの輻射点のある星座の名前を冠して、「ペルセウス座流星群」のように呼びます。

更に細かく言えば、この輻射点の近くに見える明るい星の名前まで付けて呼ぶこともあり、ペルセウス座流星群はこの方法では、

   ペルセウス座γ星流星群

とも呼ばれます。
流星群は、帚星(ほうきぼし)として知られる彗星がその軌道上にまき散らした塵の雲の中を地球が通過する時に起こります。そのため、それぞれの流星群にはその流星群の元となる天体があり、母天体(ぼてんたい)と呼ばれます。

この母天体は先に書いたとおり彗星である場合が大部分ですが、ごく希に小惑星を母天体とする流星群や、母天体自体が不明の流星群もあります。

流星群の特徴として、活動期間は数日から一ヶ月程度の活動期間を持ち、その期間中にも出現の多い時期、少ない時期があります。特に出現が活発になる時期を極大期と呼びます。

                                                           ◇ペルセウス座γ星流星群
ペルセウス座γ星流星群はスイフト・タットル彗星と呼ばれる彗星を母天体とすると考えられています。この流星群の出現は 8月の初め頃から始まりますが、もっとも流星が沢山出現する「極大期」は例年、8/12~8/13にあり、この後は急速に出現数を減らします。

活動の時期が学校の夏休みに当たり、また特別な観測機器など無くても肉眼で観測出来る天文現象であるため、学校の天文部などの格好の観測対象となります。

ではどれくらいの出現数が期待出来るかというと、それを示す指標の一つ、HRという数値でいえば極大期で、

   HR 60

程であるといわれます。このHRは、肉眼で 6等星が見えるような空の下で、さらにいろいろ好条件がそろえば一人の人が 1時間当たり見ることの出来る流星の数です。
なかなかこれほど見えることは無いのですが、それでも田舎の暗い空でならこの数の30~50%程度の流星は見ることが出来ると思います。

                                                          ◇今年のペルセウス座流星群
「いろいろ条件がそろえば」と書きましたが、その条件の一つは月が無くて暗い空であることがあります。その点で今年は理想的。8/13は新月なのです。                            

予想される極大の時刻は8/13の朝 8時頃。残念ながらこの時間では日が昇ってしまって流星を目で見ることが出来ませんので、実際に流星を見たいという方は、 8/13の1時から4時頃がよいでしょう。

「どこを見ればいいんですが」という質問も受けるのですが、基本的にはどこを向いていても大丈夫(ただし、「空」を見てくださいね)。比較的見やすい方角としては、輻射点のある方向の方がいいかと思います。          

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ペルセウス座は北東の空にカシオペア座の後をつけるように昇ってきますから、この方角が開けている場所ならこちらを見ているとかなりの数の流星を目撃出来るはずです。

                                                         ◇ご先祖様は宇宙から?
人が亡くなると星になると言うことがありますが、だとすれば月遅れのお盆のこの時期に毎年出現するペルセウス座の流星群は、ご先祖様が流れ星になって戻って来るみたいですね。

毎年毎年、ご先祖様は宇宙からご帰還?
随分遠い道のりだったでしょうね。

帰省で田舎に帰っているという方、都会に比べて暗い空の下で、ご先祖様の宇宙からの帰還を出迎えませんか?

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花火

2009年08月08日 | うんちく・小ネタ

                                                             今年の夏、家族や友人と花火大会に出かけられる方も多い事でしょう。花火は日本の夏の風物詩。鮮やかな色が重なり合い、はかなく消える美しさは何度見ても飽きませんね。    

中国で発明されたといわれる火薬が、花火の起源に大きな影響をもたらしたと考えられています。日本に火薬が伝来したのは戦国時代、種子島に鉄砲が伝わったのと同時でした(一般的な説)。それから10数年後の1558年には、愛知県三河地方で神社の祭礼に手筒花火を上げた、という記録が残っています。
また、花火にまつわる徳川家康のエピソードもあります。1613年、長崎の平戸に商館を造ったイギリス人ジョン・セーリスが、英国王の使者として駿府を訪れ、家康と面会しました。そのときの記録には、8月6日に家康と一緒に花火を見た、ということが書かれています。あの家康が、現代の私たちと同じように花火を眺めたことがあると思うと、わくわくしませんか?

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その後、花火の普及が進み、江戸時代には、庶民が鑑賞するための花火大会が開かれるようになったとされています。大川(現隅田川)で花火を初めて打ち上げたのが、掛け声でおなじみの「鍵屋」を創業した弥兵衛(やへえ)という人物。その「鍵屋」からのれん分けされたのが、掛け声のもう一方、「玉屋」。
大川の大橋(現両国橋)を境に、上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持って花火大会を行っていました。ところが、1843年4月、玉屋は火事を出し、店だけではなく、町にも延焼したため、江戸所払い(追放)のお沙汰が下り、一代で廃業となりました。一方の「鍵屋」は今でも営業を続け、2000(平成12)年からは、15代目にあたる女性花火師が伝統ある家業を守っているそうです。

ところで、同じ花火といっても、日本と海外ではいろいろ異なる点があります。例えば、花火のシーズン。日本では「夏の風物詩」という印象が強いですが、イギリスでは秋、中国では旧正月に、盛大な花火が打ち上げられます。また、日本の花火は、一般的に花のように360度丸く開きますが、欧米の花火は、ほうきのような形に開くものが多く見られます。これは、火薬を固めた「花火玉」の形の違いによるもので、日本は球形、欧米は円筒形が主流だからです。色についても、日本はいろいろな変化を楽しめるものが多いのに対し、欧米は一色だけか、変化があってもわずかといいます。これは、球形の花火玉はそれぞれの色を出す火薬を何層にも重ねることができるからです。日本の花火が「世界で最も精巧」といわれるのには、このような秘密があったのですね。

日本の花火大会では、大きく分けて「打ち上げ花火」と「仕掛け花火」の2つが見られます。打ち上げ花火で最も一般的なのが、球形に開く「割物」。割物の中でも、まちがいやすいのが「菊」と「牡丹(ぼたん)」と呼ばれるものです。「菊」は丸く開く花火の基本形で、空中で玉が割れたあと、光跡を残しながら(尾を引きながら)中心から外側へ広がっていきます。もう一方の「牡丹」は尾をほとんど引かず、光の点が拡散するように開きます。ほかにも、土星やキャラクター、アルファベットなど、何かを型どった「型物」もよく見られますね。仕掛け花火の代表格は、水辺の花火大会でよく見る「ナイアガラ」です。そのほか、短時間に大量の玉を打ち上げる「スターマイン」も人気があります。いくつもの花火を組み合わせて連続して打ち上げ、一つのテーマを描き出すもので、華々しくスピード感あふれる演出が魅力です。

今まで何気なく見ていた花火も、その歴史や種類などを知ると、少し違った目線で楽しめそうですね。

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忘れてはいけない、広島と長崎の日

2009年08月05日 | うんちく・小ネタ

今年も広島原爆の日と、長崎原爆の日を迎え、多くの犠牲者のご冥福をお祈りする時期となりました。

・ 8/6午前 8時、 B29爆撃機エノラ・ゲイ号が広島市上空に原子爆弾リトルボーイを投下した。実戦に使用された初の原子爆弾であった。                              

・ 8/9午前11時、 B29爆撃機ボックスカー号が長崎市上空に原子爆弾ファットマンを投下した。 実戦に使用された二番目の原子爆弾であった。
                
     E59bb3efbc92_2                                                                                         
            長崎で炸裂した原爆                                                                      

                                                            8/6,8/9の記念日データにはよく似た記述が続きます。
記念日とはは本来、何か特別なことがあったことを忘れないように暦の上に記された日です。
しかし、記念日の多くは、目出度いことで占められます。

人間誰しも目出度い事柄が起こった過去を思い出し、その事柄が起こったことを感謝するとともに、事柄が起こった時と同じように祝うことで、再びそうした目出度い事柄を招来しようとするからでしょう。

その一方で、少数ながらも、辛い思い出の日も記念日のリストの中には含まれています。 
前者の記念日を「正の記念日」だとすれば、後者は「負の記念日」といえるかもしれません。

正の記念日は、思い出したい記念日でしょうから、記念日リストに載るのは当然ですが、出来れば思い出したくない負の記念日がリストに残るのは、思い出したくない日ではあっても、思い出さなくてはならないという正の記念日以上に強い意味があるからだと思えます。

正の記念日が生まれるのは自然な感情の発露で、負の記念日は理性によって生まれるともいえるかもしれません。

8/6,8/9はそうした、負の記念日といえるでしょう。

広島への原爆投下では14万人が、長崎への原爆投下では7万4千人が、その日のうちに死亡。
原爆症等でその後亡くなった方も含めれば、この何倍もの方々が後日に亡くなっています。  
                                                        
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この原爆投下の年からすでに64年。
人間でいえば 2世代から 3世代分の年月が経過しています。
人間一人一人の記憶はそれを引き継ぐことが出来ませんから、 2世代 3世代分の歳月が過ぎ去る間に、そうした個人の記憶や感情は失われていきます。

一人一人の記憶が失われて行く中、それでも人間全体の記憶の中からは消し去ってはならない日として、年ごとにその日を確認する日なのかもしれません。                          

【原爆忌】(げんばくき)
 広島 8/6,長崎 8/9 を原爆忌という。
 原爆忌は、秋の季語。

季語は、連歌・連句・俳句で、句の季節を示すために、詠み込むように特に定められた語。
季の詞ことば。季題。
 
季語には鶯といえば春、金魚といえば夏、月と言えば秋、雪と言えば冬と、それを聞いただけで季節の情景が浮かぶ言葉が選ばれています。

季語というと、古くから決まってしまっているものと誤解する方がいるのですが、そうではなく、その時代時代に生きた人々が季節を思い浮かべる言葉が新しい季語として加わっていきます。
そうした新たらしい季語の一つにこの「原爆忌」があります。

人間が初めて原子爆弾の光を目にしたのは1945年の 7月。
一般の人々の目にふれたのはその年の 8月。広島と長崎に投下された原子爆弾によってでした。
そして一瞬にして数万人もの命を奪ったその光の光った日が、原爆忌として、新しい季語の一つとして記憶されることになりました。

あわれ七ヶ月のいのちの はなびらのような骨かな
   なにもかもなくした手に四枚の爆死証明
 (松尾 あつゆき)

言葉は変わって行くものですから、生まれて行くものが有れば消えていく言葉も有ります。
無くしたくない言葉もあれば、そうでない言葉もあります。

「原爆忌」と言う言葉も、いつか使う必要がなくなって、誰も思い出せなくなるような日が来ればいいのかも知れませんが、そんな日は、個人的には絶対に来てはいけないと思っています。
そして、未来永劫、この言葉が忘れられなければいいなと思います。

E59bb3efbc93                                       原爆投下直後の長崎市の惨状 : 長崎大学付属病院


三隣亡

2009年08月04日 | うんちく・小ネタ

                                                                三隣亡(さんりんぼう)ってご存知ですか?

棟上げ、屋立て、土起こし等は大凶とされている、建築に関わる大悪日です。

今年(2009年)
8月5日(水) 10日(月) 22日(土)
9月3日(木) 18日(金) 30日(水)
10月16日(金) 28日(水)
11月14日(土) 26日(木)
12月11日(金) 23日(水)

来年(2010年)
1月4日(月) 8日(金) 20日(水)
2月1日(月) 6日(土) 18日(木)
3月2日(火) 17日(水) 29日(月)
4月14日(水) 26日(月)
5月13日(木) 25日(火)
6月9日(水) 21日(月)
7月3日(土) 7日(水) 19日(月) 31日(土)
8月17日(火) 29日(日)
9月13日(月) 25日(土)
10月7日(木) 11日(月) 23日(土)
11月4日(木) 9日(火) 21日(日)
12月3日(金) 18日(土) 30日(木)

この日、こうした禁忌を犯すと向こう三軒両隣まで焼き滅ぼされてしまうとか。大層恐ろしい暦注です。このため、建築業に携わる方々には大変気になる暦注で、そうした方々向けのカレンダーや手帳には必ずこの日が記載されているとか。

さて、この恐ろしい三隣亡とはなんでしょうか?

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                                                  ◇三隣亡の撰日(せんじつ)法                                    三隣亡は、二十四節気の節で区切る節切りの月というものと、日の十二支で決められる暦注です。
二十四節気はこの「節」と「中」というものが、交互に並んでいます。
節の始まりは立春なので、立春、啓蟄、清明と二十四節気を一つ跳ばしに拾い出して行けば二十四節気の節がわかります。

こうして拾い出した節は、その順番に

  立春 ・・・ 正月節
  啓蟄 ・・・ 二月節
   (中略)
  小寒 ・・・ 十二月節

と呼びます。節切りの月とはこの各節となる日から次の節の直前までを一月と数えます。この節切りの月と日の干支によってその日取りを決めるという暦注は多く、そういう意味では三隣亡は、暦注の王道を行っているといえます。まあ、逆の言い方をすれば、ありふれた暦注だともいえますが。

では、実際の三隣亡はどうやって決められているかというと、節切りの月毎に、亥・寅・午の三つの干支をただ割り振っただけの単純なものです。
その関係をまとめると次のようになります。

  一・四・七・十月  亥(い) の日
  二・五・八・十一月 寅(とら)の日
  三・六・九・十二月 午(うま)の日

節切りの月の日数は約30日前後で、十二支はもちろん12で、これが循環しています。節切りの月一月の間に、特定の十二支の日は2~3回やってきますから、三隣亡もこの回数だけ出現するわけです。

時折三隣亡が、終わってすぐにまた三隣亡が出現するようなことがあるのですが、これはその間で節切りの月が変わったためです。例えば今年の場合 8/5が三隣亡ですから、普通であれば次の三隣亡は12日後の8/17日頃のはずですが、実際は 8/10。
これは、その間に七月節である立秋(8/7)が入って節切りの月が変化するためです。 8/10の三隣亡は、七月の亥の日の三隣亡ということです。

                                                         ◇三隣亡の流行は江戸時代の末期?
三隣亡は今では大変ポピュラーな暦注なのですが、江戸時代の暦などにその姿を見ることはありません。

三隣亡が広がり始めたのは、江戸時代の末頃からといわれます。このころに流行を始めた三隣亡が、明治の改暦による「暦注の大絶滅」以後、それまでの由緒正しい暦注が滅んだ後にどこの馬の骨かわからない暦だったこの三隣亡が、「おばけ暦」と呼ばれる非合法(?)の暦に取り入れられて次第に人々に知られるようになったと言われています。
この辺の経緯は、現在、隆盛を誇る暦注の六曜とよく似ていますね。

                                                         ◇三隣亡は、「三輪宝」?
三隣亡の出自ははっきりしません。なぜならこれは歴とした暦には書かれていなかったマイナーな暦注だったからです。古い雑書などにも三隣亡という文字自体は見つかりません。

ただ、古い雑書などにはこの「三隣亡」に相当する日取りの日に「三輪宝」という暦注が書かれています。三輪宝は「さんりんぽう」と読まれます。
そしておもしろいのは、この暦注は、

   屋立てよし。蔵立てよし。

と注されていること。つまり建築に関する吉日だったのです。三隣亡とは全く逆の暦注です。調べてみても三隣亡は無くて、その日取りの日にはこの三輪宝の文字だけしか古い暦関係の文献には登場しないことから、暦研究の大家である岡田芳朗氏は、

江戸時代の暦の編者が、「屋立てよし」を「屋立てあし」と一文字間違えて書いてしまい、それが書き写されてしまい、いつの間にか定着してしまったのでは無いか。
さらに「屋立てあし」には、目出度い文字である三輪宝はおかしいので、音がよく似ていて悪い意味にとれる「三隣亡」に置き換えられたのではないか。                                                                                                                                       

・・という推理をしています。一見、そんな馬鹿なと思える話ですが、元々暦注の意味などはこじつけ以外の何者でもありませんので、こうしたこじつけが行われた可能性は高いと思います。
   

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 「三隣亡」じゃなくて、本当は「三輪宝」。
 「屋立てあし」じゃなくて、「屋立てよし」。

 ・・・なんとなく、いいなと思いますね。

                                                     ◇たちの悪い迷信に惑わされないで
その1が、だいたい、家を建てるとか、ビルを建てるなどと言うことは、普通の人の場合、一生に一度といった一大事ですあら、こんな話をされれば迷信とわかっていても、わざわざこんな日にしなくともいいだろうと思って、避けたくなるのは人情。この人情につけ込んで脅かすのが迷信の困ったところです。

その2は、さらに、自分が信じていなくとも「向こう三軒両隣を滅ぼす」なんて言う話だとご近所さんでこの迷信を信じる人がいたら、以後の近所つきあいが難しくなってしまいます。周り全部が信じないようにならないと、自分一人の意見を押し通しにくいというのが、もうひとつの迷信の困ったところです。

そういえば山形などでは、この日家を建てると

   向こう三軒両隣は滅びて、その家だけが栄える

なんていわれるそうで、そんな話をされたらますます「近所付き合い」を考えると家を建てられない日になってしまいますよね。こうなるとまるで、脅し。
たちが悪いこと甚だしい。

こうしたたちの悪い暦注は無視するに限ると思います。
自分が家を建てるときだけじゃなくて、近所に家を建てる人についても気にしないようにするのが一番。
たちの悪い暦注の脅しに屈しないようにしましょう!

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