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三隣亡

2009年08月04日 | うんちく・小ネタ

                                                                三隣亡(さんりんぼう)ってご存知ですか?

棟上げ、屋立て、土起こし等は大凶とされている、建築に関わる大悪日です。

今年(2009年)
8月5日(水) 10日(月) 22日(土)
9月3日(木) 18日(金) 30日(水)
10月16日(金) 28日(水)
11月14日(土) 26日(木)
12月11日(金) 23日(水)

来年(2010年)
1月4日(月) 8日(金) 20日(水)
2月1日(月) 6日(土) 18日(木)
3月2日(火) 17日(水) 29日(月)
4月14日(水) 26日(月)
5月13日(木) 25日(火)
6月9日(水) 21日(月)
7月3日(土) 7日(水) 19日(月) 31日(土)
8月17日(火) 29日(日)
9月13日(月) 25日(土)
10月7日(木) 11日(月) 23日(土)
11月4日(木) 9日(火) 21日(日)
12月3日(金) 18日(土) 30日(木)

この日、こうした禁忌を犯すと向こう三軒両隣まで焼き滅ぼされてしまうとか。大層恐ろしい暦注です。このため、建築業に携わる方々には大変気になる暦注で、そうした方々向けのカレンダーや手帳には必ずこの日が記載されているとか。

さて、この恐ろしい三隣亡とはなんでしょうか?

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                                                  ◇三隣亡の撰日(せんじつ)法                                    三隣亡は、二十四節気の節で区切る節切りの月というものと、日の十二支で決められる暦注です。
二十四節気はこの「節」と「中」というものが、交互に並んでいます。
節の始まりは立春なので、立春、啓蟄、清明と二十四節気を一つ跳ばしに拾い出して行けば二十四節気の節がわかります。

こうして拾い出した節は、その順番に

  立春 ・・・ 正月節
  啓蟄 ・・・ 二月節
   (中略)
  小寒 ・・・ 十二月節

と呼びます。節切りの月とはこの各節となる日から次の節の直前までを一月と数えます。この節切りの月と日の干支によってその日取りを決めるという暦注は多く、そういう意味では三隣亡は、暦注の王道を行っているといえます。まあ、逆の言い方をすれば、ありふれた暦注だともいえますが。

では、実際の三隣亡はどうやって決められているかというと、節切りの月毎に、亥・寅・午の三つの干支をただ割り振っただけの単純なものです。
その関係をまとめると次のようになります。

  一・四・七・十月  亥(い) の日
  二・五・八・十一月 寅(とら)の日
  三・六・九・十二月 午(うま)の日

節切りの月の日数は約30日前後で、十二支はもちろん12で、これが循環しています。節切りの月一月の間に、特定の十二支の日は2~3回やってきますから、三隣亡もこの回数だけ出現するわけです。

時折三隣亡が、終わってすぐにまた三隣亡が出現するようなことがあるのですが、これはその間で節切りの月が変わったためです。例えば今年の場合 8/5が三隣亡ですから、普通であれば次の三隣亡は12日後の8/17日頃のはずですが、実際は 8/10。
これは、その間に七月節である立秋(8/7)が入って節切りの月が変化するためです。 8/10の三隣亡は、七月の亥の日の三隣亡ということです。

                                                         ◇三隣亡の流行は江戸時代の末期?
三隣亡は今では大変ポピュラーな暦注なのですが、江戸時代の暦などにその姿を見ることはありません。

三隣亡が広がり始めたのは、江戸時代の末頃からといわれます。このころに流行を始めた三隣亡が、明治の改暦による「暦注の大絶滅」以後、それまでの由緒正しい暦注が滅んだ後にどこの馬の骨かわからない暦だったこの三隣亡が、「おばけ暦」と呼ばれる非合法(?)の暦に取り入れられて次第に人々に知られるようになったと言われています。
この辺の経緯は、現在、隆盛を誇る暦注の六曜とよく似ていますね。

                                                         ◇三隣亡は、「三輪宝」?
三隣亡の出自ははっきりしません。なぜならこれは歴とした暦には書かれていなかったマイナーな暦注だったからです。古い雑書などにも三隣亡という文字自体は見つかりません。

ただ、古い雑書などにはこの「三隣亡」に相当する日取りの日に「三輪宝」という暦注が書かれています。三輪宝は「さんりんぽう」と読まれます。
そしておもしろいのは、この暦注は、

   屋立てよし。蔵立てよし。

と注されていること。つまり建築に関する吉日だったのです。三隣亡とは全く逆の暦注です。調べてみても三隣亡は無くて、その日取りの日にはこの三輪宝の文字だけしか古い暦関係の文献には登場しないことから、暦研究の大家である岡田芳朗氏は、

江戸時代の暦の編者が、「屋立てよし」を「屋立てあし」と一文字間違えて書いてしまい、それが書き写されてしまい、いつの間にか定着してしまったのでは無いか。
さらに「屋立てあし」には、目出度い文字である三輪宝はおかしいので、音がよく似ていて悪い意味にとれる「三隣亡」に置き換えられたのではないか。                                                                                                                                       

・・という推理をしています。一見、そんな馬鹿なと思える話ですが、元々暦注の意味などはこじつけ以外の何者でもありませんので、こうしたこじつけが行われた可能性は高いと思います。
   

   Jyoto2

 「三隣亡」じゃなくて、本当は「三輪宝」。
 「屋立てあし」じゃなくて、「屋立てよし」。

 ・・・なんとなく、いいなと思いますね。

                                                     ◇たちの悪い迷信に惑わされないで
その1が、だいたい、家を建てるとか、ビルを建てるなどと言うことは、普通の人の場合、一生に一度といった一大事ですあら、こんな話をされれば迷信とわかっていても、わざわざこんな日にしなくともいいだろうと思って、避けたくなるのは人情。この人情につけ込んで脅かすのが迷信の困ったところです。

その2は、さらに、自分が信じていなくとも「向こう三軒両隣を滅ぼす」なんて言う話だとご近所さんでこの迷信を信じる人がいたら、以後の近所つきあいが難しくなってしまいます。周り全部が信じないようにならないと、自分一人の意見を押し通しにくいというのが、もうひとつの迷信の困ったところです。

そういえば山形などでは、この日家を建てると

   向こう三軒両隣は滅びて、その家だけが栄える

なんていわれるそうで、そんな話をされたらますます「近所付き合い」を考えると家を建てられない日になってしまいますよね。こうなるとまるで、脅し。
たちが悪いこと甚だしい。

こうしたたちの悪い暦注は無視するに限ると思います。
自分が家を建てるときだけじゃなくて、近所に家を建てる人についても気にしないようにするのが一番。
たちの悪い暦注の脅しに屈しないようにしましょう!

  Tatemae02