20世紀最大のイギリスの映画人で、「喜劇王」の異名をもつチャールズ・チャップリンを偲んで、彼の誕生日(1889年4月16日生まれ)に設けられた「チャップリン・デー」という日があります。チャップリンは運転手(後にマネージャー)として雇っていた高野虎市に影響されて親日家になり、生涯で4回来日しています。
チャップリンが1932年(昭和7年)5月14日に初来日したとき、彼の身に危機が訪れます。初来日の翌日は5月15日、「五・一五事件」です。このクーデターの首謀者・古賀は、15日夜の首相官邸でのチャップリン歓迎会で彼を殺害し、退廃文化をたれ流している(と首謀者が考える)アメリカを始め、世界中を恐慌に陥れようと企てていたとか。
ところがチャップリン本人の気まぐれから歓迎会は17日に延期され、彼は国技館の大相撲観戦に出かけました。結果チャップリンは難を逃れ、その一方で歓迎会が開催される予定だった首相官邸では、犬養毅首相が海軍の青年将校に暗殺されます。
チャップリンは6月2日の帰国当日、新しい斎藤首相と官邸で面会し、犬養毅前首相の暗殺現場を見せてもらったそうです。自分も遭遇したかもしれない現場で、チャップリンは「恐ろしい」とつぶやき、斉藤首相に首相官邸の警護の強化をアドバイスしたとか。しかし4年後、首相官邸は再度襲撃され、斉藤首相は暗殺されます。「二・二六事件」と呼ばれるクーデターですが、このときも、チャップリンは来日予定だったそうですから、驚きです。