時代劇などで、物事を了承したときに「合点承知之介」と.答えることがありますが、どうして「合点承知」のあとに「のすけ」と付けるのか、この文面に触れてから、気になってしょうがないので調べることにしました。
「のすけ」っていうからには、人の名前だと思うものの、「しょうちのすけ」とか「ちのすけ」という人がいたのか、いたとして何故こういう言葉の使いまわしになったのか、知りたくなったわけです。
これは、広義では「地口」と言い、江戸時代に非常に流行しましたと判りました。
「合点承知之介」というのに似たものは、「冗談は由之介」というようなものがあるそうです。
「合点承知」の場合は、前の表現に関係なく、付け足しているようですが(ただ、「承知した、俺は、合点承知之介だ」というような意味で地口になっているのでしょう)、「冗談は」の場合は、「冗談はよしてくれ」と続く所を、「よしてくれ」の代わりに、「由之介(よしのすけ)」となっているのです。
「その手は桑名の焼く蛤」というのは、桑名の名産が、江戸時代は蛤で、東海道の旅行をすると、桑名の焼き蛤を食べるのが有名だったからだといいますが「その手は食わない」という処を、「食わない」を「くわな(桑名)→の焼き蛤」と続けて、地口にしたもの。
「恐れ入りやの鬼子母」というのも、「恐れ入った」というのを「恐れ入りま(や)した」から、「恐れ入りや→いりや(入谷)」と「や」を付けて展開し、江戸の入谷には、有名な鬼子母神を祭った像があったので、「恐れ入り→入谷の鬼子母神」という冗談を、こういう使い方にして言っています。
ふうてんの寅さんが、論理的には支離滅裂ですが、連想の仕方が面白い言葉を、戸板に水と語呂良く並べたてるのも地口の一種で、江戸時代は、庶民も相当な言葉の教養を持ち、俳諧、狂歌、川柳などで、遊んだのであり、たくさんの地口や面白い表現が作られ、それが、現在まで残っているとありました。
そういえば、「東海道中膝栗毛」などには、こういう地口が一杯載っていました。
しかし、言葉遊び的な要素は、昔からの文学の技巧にあったともいえます。和歌で、「松」と「待つ」をかけるなどは、常套の技法で、「そういうことも有馬山」というのは江戸時代ですが、これも、「そういうこともあります」の最後を、「有馬山」にかけている地口になります。
枕詞というのも一種の地口かも知れません。滑稽さというようなものではありませんが。「山鳥の尾のながながし夜をひとりかもねむ」等は付け言葉が後に付くのと反対に、前に付いているともいえます。
また、語呂合わせではありませんが、美人を「何々小町」と呼んでみたり、地名に何々小町と付けて呼ぶのは、小野小町から来ています。「土左衛門」が水死体に使われるのは、江戸時代にそういう名の力士がいて、容姿がよく似ていた・・ので、使われるようになったのだという話があります。
明治時代に作られた教育目的の話のなかで、登場人物の名が、その職業を表すというようなものもありました。例えば商人の名が、金尾貯蔵(かねおためぞう)とかいうような類です。
日本だけでなく、中国にも、西欧にも、こういう言葉の冗談・洒落・地口の類があります。
ディッケンズの「クリスマス・カロル」の主人公はスクルージと言いますが、あの名は、英語の動詞の強欲に奪う(seizur)に音が類似しているから使ったとか、「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」に出てくる、狂った天才ハンニバル・レクター博士を、「カンニバル・ハンニバル」というように呼ぶのは、ハンニバル(Hannibal)は、 紀元前にローマと戦ったカルタゴの将軍の名前から来ているらしいのですが、カンニバルは、cannibal で、「食人種」という意味をくっ付けたものでした。
ハンニバルという人の悪い綽名でカンニバルと呼ぶことはあるのですが、レクターの場合、文字通り「人食いハンニバル」ということになります。
その他、語呂合せの類とか、もっと複雑な言葉の洒落や地口が、世界中の文化にあることを思うと、興味が深まります。