あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

本因坊のつまみ

2010年05月31日 | うんちく・小ネタ

         
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「異才列伝」というある新聞のコーナーで、江戸から明治にかけての棋士、本因坊秀栄氏(1852~1907年)が紹介されていました。
本因坊秀栄氏は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた本因坊算砂を開祖とする本因坊家の19世家元。名人中の名人と称される伝説の棋士ですが、かなり頑固で金銭を毛嫌いする高潔の人だったようです。冬は浴衣に墨を塗って着る、清貧な暮らしぶりだったそうですから、想像出来ないほどの暮らしが伺えます。
   
      21 本因坊秀栄
                                                                ところがこの本因坊秀栄氏、「にんべん」のかつお節だけは喜んで受け取ったというのです。かつお節を削り、1、2合の酒で晩酌するのが唯一の楽しみだったとか。
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それにしても、こんなところに「にんべんのかつお節」が登場するとは。本因坊家は囲碁界最大のブランドですが、にんべんは乾物業界最大のブランドなんだなと、はじめて知りました。
たしかに戦前の逸話として、「他社のかつお節をにんべんの包装紙に包み直して親戚に贈った」という、今日のコンプライアンス的には腰が抜けそうなネタを聞いたことがあります。
当時のにんべんは、かなりのブランド価値だったに違いないですね。
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現在、全世界で最も価値のある食品ブランドは「コカ・コーラ」であり、資産価値653億ドルといわれています(インターブランド社調査)。
しかし、日本企業のブランドランキングに食品メーカーはなかなか見あたらないのです。

1位…トヨタ自動車、2位…キャノン、3位…任天堂、4位…ホンダ、5位…武田薬品。食品は、59位のキリンビールが最高です。                                        (2009日経ブランドランキング)

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自動車、カメラ、ゲーム…。日本の発展を支えた業界が日本ブランドを構築したわけで、そこに異論はないのですが、食品ブランドももう少し頑張ってほしいと思います。

現在の25世本因坊治勲氏につまんでもらうブランドの出現を、切に願うばかりです。(本因坊治勲氏は世襲ではなく、タイトル戦10連覇による本因坊です)
 
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むなぎ

2010年05月24日 | うんちく・小ネタ

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料理屋で天然物のおいしい魚を食べる度に思うことがあります。それは、「万葉人が食べた魚も同じ味だったのかな」ということ。
畜肉や野菜、果物は品種改良と飼料、肥料の進歩で日々おいしくなっており、千年の味の違いは歴然でしょう。
しかし、天然魚は海水の富栄養化による餌の変化が多少あったにせよ、味は今と同じではなかったかと思うのです。
とすると、他の農畜産物が野生種に近い味だったわけですから、万葉人にとっての魚介類は、現代人が感じる以上においしい食材だったに違いないのではないでしょうか。

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そこで、季刊誌「おたふく」2010年春号に掲載されていた古代人の食事メニューから、魚介類の食事情を確認してみました。

                                                            

◆卑弥呼の夕食・夏                                                 クロダイとアワビの刺身、サザエの壺焼き、ゆでダコとうりの酢の物、モクズガニのたたき汁、焼きなす、ハモ飯、まくわうりのデザート。

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                                                                 ◆聖徳太子の夕餉                                                 強飯(蒸したご飯)、熱汁(さといも、わかめ、ねぎ)、煮大豆、アユの塩焼き、ごぼうの煮物、フナの醤煮、だいこんの豆醤漬、蘇、塩。                                 

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                                                             ◆大伴家持の食膳                                                       ご飯、醤、塩、里芋と青菜の汁、焼きブリ、大根とアワビの煮物、生姜の醤漬、ウリの粕漬、煮豆、酒、栗、胡桃、枝豆、柿、山芋、里芋、鴨肉、鹿肉。                                                                           

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                                                                 なるほど、貴人はおいしい魚を食べていたんだなと感心します。


そういえば、万葉集の編者と言われる大伴家持には、ウナギを詠んだ歌がありました。

「石麻呂に 吾もの申す 夏痩せによしといふものぞ むなぎとり召せ」

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大伴家持が夏バテした石麻呂にウナギをとって食べるよう勧めた歌で、「むなぎ」はウナギのことだそうです。旬の天然ウナギは脂が乗っていて胸のあたりが黄色いことから、こう呼ばれたとか。
なるほど、かなりおいしいウナギを食べていたんだなと判りますね。

家持さんに倣って、むなぎで今年の夏を越したいと思いました。

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北斗七星

2010年05月17日 | うんちく・小ネタ

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                                                                北斗七星は時を測る天然の時計の針のようなもの。

「斗」は元々は酒を汲むための柄杓のような道具の呼び名。北斗七星の柄杓型の並びを思い出してもらえば、「北斗」の名が付いたのも頷けると思います。さて、北斗があればありそうなのが南斗(残念ながら、東斗・西斗はありません)。現在なじみのある星座でいえば、射手座の弓の部分に当たる星を南斗六星(なんとりくせい・なんとろくせい)と言います。

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古代中国の星座でいえば「斗」という星座。月の位置から季節の動きを読み取るために使われた二十八宿の一つ「斗宿」に当たります。
面白い話・・・と思っていたら一つ思い浮かびました。三国志演義に登場する、「卜占神のごとし」と呼ばれた占いの名手、管輅(かんろ)にまつわる話です。

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ある時、管輅が田仕事をしている若者に目をとめました。年齢を聞けば彼は十九歳。管輅はため息をつき、「かわいそうだが、君の寿命は間もなく尽きる」と言いました。
言われた方はビックリ。                                                  どうにか命を永らえる方法は無いかと管輅に尋ねるとしばらく思案した後、「あるとすれば・・・」と秘策を授けました。

「明日南山の麓の大きな桑の木の下で、老人が二人碁を打っている。上等の酒一樽、鹿肉一塊を持って出かけ、ただ黙ってその酒と肉を二人に勧めなさい。くれぐれも口をきいてはならない」

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言われたとおりに出かけると、確かに夢中になって碁を打つ老人が二人。酒と肉をおくと、二人は何も言わず、その酒と肉に手を付けます。しばらくしてようやく若者に気づいた北の方の老人が、

「そんなことをしても、おまえの寿命は決まっている。どうにもならん」

と言う。  南の老人は取りなすように、

「そうは言っても、酒と肉に手を付けて何もしないわけには行くまい」

といって、懐から一冊の帳簿を取り出しページをめくると、そこには若者の名前と十九歳という寿命が書き込まれていました。なるほど、これを延ばして欲しいというわけだなと老人はつぶやくと、十九の前に「九」という文字を書き加え、九十九としました。
そのあと、「管輅には、軽々しく天機を漏らすなと言っておけ」というと、老人は二人とも鶴に姿を変えて飛び去ってしまったと言います。

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帰って管輅にその顛末を語ると、

「北側の老人は北斗七星の精で人の死を、南側の老人は南斗六星の精で人の生を司っている」

と若者に教えてくれたと伝えられています。
北斗は死を、南斗は生をという考えは、北は植物の枯れ尽きる冬を、南は生命を育む夏(太陽)を連想させるところからの対比でしょうか。

また北斗も南斗もいずれも暦と関係があり、時を測るために使われた星座ですから、その点から人の寿命を計る神を考えついたのかも。そういえば星座の名の元となった「斗」は酒を汲む道具である一方、酒の量を量る道具でもあります。二重の意味でものを計(量)る星座といえますね。

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暦から大幅に脱線したこぼれ話でした。
なお、ご紹介したお話は三国志演義にあるストーリー。三国志演義は史実ではなく小説ですが、中国の民衆には広く親しまれたもの。この北斗と南斗の話が書かれたのは民衆の間に

 「北斗と南斗・死と生」

という連想をする土壌があったから組み込まれた話だと思います。

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厄年

2010年05月10日 | うんちく・小ネタ

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「今年は厄年だから、お祓いしなくちゃ」

といった話を耳にすることがあります。
厄年とは陰陽道から唱えられたものだそうで、人の一生のうちで身に災難が降りかかる要注意の年齢だとされています。
厄年は元々数え年で数えたものでしたが、年齢一般の数え方が満年齢によるものに移行してしまった現代では、満年齢で数える例も増えているように思います。

                                                             ◇厄年の年齢
厄年の年齢は、時代や地域により差異があるようですが

  男性: 25,42,61 歳
  女性: 19,33,37 歳

このうち男性の42歳、女性の33歳は大厄(たいやく)といわれ、特に注意しなければいけない厄年とされています。(42歳は「死に」、33歳は「散々」に通じるという語呂合わせ)。

厄年とされる年齢は上記のものが一般的なようですが、他にも 3,5,7,13,77,88 歳も厄年に加えるところ、男性は 2と5のつく年齢が、女性は3,7,9のつく年齢が厄年だと考える地域もあるとのこと。

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更に、厄年の前年、後年を前厄、後厄(厄年そのものは「本厄」)として 3年の間、身を慎む必要があるなどとも云われます。
こうなると、年がら年中、身を慎まねばならなくなりそうです。

                                                           ◇厄年の始まりは
厄年も中国から伝来したものだと云われています。
広がったのは室町時代以降だと云われますが、既に源氏物語にも紫の上が37歳になるため、祈祷をするなどした方がよいと光源氏が忠告する場面があるとのことなので、平安時代にもすでに厄年と云うものが意識されていたことが分かります。

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                       源氏物語絵巻 原本

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厄年がどうして生まれたかについては民俗学では厄年神役説と厄年俗信説があります。

厄年神役説とは、厄年には地域社会(村や町)において祭りの役員など司祭者の役割を担うことになるのだと云うものです。地域社会で一定の役割分担を受け持たなければならない立場に立ったということで、厄年は「役年」なのだと考えるものです。
節分に神社で豆を撒いたり、沢山の人を呼んで宴を開くなどは、こうした役割の一つなのだというのがその説です。
提唱者は、かの柳田國男。

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                                 柳田國男

                                                                   一方、厄年俗信説は、厄年の基本は災厄を落とすために形代(かたしろ)を棄てる行為だとする説で、井之口章次などが提唱したもの。厄払いとして身につける髪飾りや着物、銭などを棄てたり、道に落としたりするというのが、この形代を棄てることなのだと考える訳です。
前述の豆撒きや宴を張ることは、豆を撒くことで、或いは宴を張って多数の人と共同で飲食することによって、自分に降りかかる災厄を多くの人に広く、薄く、分かち合ってもらおうとする呪術行為だ…という説です。

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                                                             ◇厄払い・厄落とし
厄年には、その厄を払うための行事を行います。
既に書いた大勢の人に食事を振る舞うことや、身につけるものを棄てたりわざと道に落としたりするもの意外に、寺社に参拝したり、特定の日に終日無言で過ごす等々。
中には、正月の他にもう一度仮の正月を祝うことで、「もう厄年は終わった」ことにしてしまうなんていうこともあるようで、その行事は多種多様。

厄落としの行事を行う日としては、正月、初午の日、節分など、何らかの形で節目となる日が選ばれることが多いようです。

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                                                                              ◇厄年の習俗
厄年には何か重大な変化があると考えられるようで、厄年には健康に注意してくださいといった話をよく聞きます。

また、厄年には結婚や出産などを避ける習俗もまだ残っており、親の厄年に生まれた子供は厄に負けて育たないなどと云われることもあるそうで、それを避けるために一度儀礼的に捨てられて、これを親戚や知人に拾ってもらうという習俗もあったと聞きます。

既に書いたとおり、前厄・後厄まで考えると、結構な割合で「厄年」に巡り会うことになります。
気の持ちよう次第かも知れませんが、「健康には気を付けましょう」。
そして事故やけがにもご留意ください。

・・・あれ?
別に厄年とは関係の無い話しか・・・も。

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今週の更新についてのお知らせ

2010年05月02日 | うんちく・小ネタ

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