あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

季節の変化について

2009年09月27日 | うんちく・小ネタ

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とあるサイトで、

  季節によって気温が変化するのは、
  地球の軌道が円ではなく楕円だからです。

と書いてありました。「目が点になる」とはこのことか。本当に目が点になってしまっていたかもしれません。
もしかしたら、ジョークサイトでどこかにネタバラしが有るのでは無いかと思いましたが、どうやらジョークでは無かったようです。

                                                           ◇太陽からの距離の変化と気温
季節による気温の変化は地球と太陽の距離の変化で起こるのではないことはご存じのことと思いますが、敢えて地球と太陽との距離の変化と気温の変化について考えてみることにしましょう。

確かに地球の軌道は円軌道ではないので、太陽に近い時期と遠い時期が存在します。太陽に一番近付いた場所を、近日点、遠い場所を遠日点といいます。
「日(=太陽)」に近い点だから近日点、遠い点だから遠日点。判りやすいですね。

さて、地球の近日点と遠日点での太陽までの距離はというと、

 近日点における地球・太陽の距離 ≒ 1億4700万km
 遠日点      〃      ≒ 1億5200万km

その差は何と、 500万km。地球と月の平均距離が38万km程ですから、その13倍も変わるのです。こんなに変化するのなら気温に変化を与えてもおかしくは無いですね。と言いたいところですが 500万kmと言わずに、変化の割合で言えば、

 近日点での地球は、遠日点でより 3.3%太陽に近い。

と言い換えると、なんだか急にたいしたことが無い気がしてきます。
太陽から地球へ降り注ぐ太陽のエネルギー(光の)はどう変化するかというと、この量は太陽までの距離の二乗に反比例しますから、遠日点で地球へ降り注ぐ太陽のエネルギーを 100とすると、

 近日点で地球に降り注ぐ太陽エネルギー
          = 100 * 1.033 * 1.033 ≒ 106.7

増加量は6.7%ということになります。確かに近日点の方が太陽から受けるエネルギーの量は増えるのですが・・・。この6.7%の増加を多いと思うか少ないと思うか・・。

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                                                        ◇地球と太陽との距離で「季節変化」は説明出来ない
地球と太陽との距離の変化で地球に降り注ぐ太陽のエネルギーの量には変化が有りますが、これでは地球の季節の変化を説明することは出来ません。 
 
地球と太陽の距離の変化は北半球と南半球との区別など無く同じに起こるのですから。

よく知られるとおり、北半球と南半球では季節が逆になります。北半球が夏なら南半球は冬という具合ですね。

もし、地球上の季節の変化が太陽からの距離によって起こるとしたら、地球が近日点付近にあるときには、北半球でも南半球でも「夏」になり、遠日点付近では「冬」にならなくてはならないことになります。実際の季節の変化のように北半球と南半球の季節が逆になることの説明出来ません。

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                                                          ◇季節変化は「自転軸の傾き」が原因
地球上に季節変化が起こる最大の理由は、地球の自転軸が地球の公転面(地球が太陽の回りを巡る軌道面)に対して直交していないからです。傾きの角度は約23.4°。
この傾きによって、地球上のある点での太陽の南中高度角(南半球では北中高度角)は一年の間に、46.8°(=23.4°× 2)も変化します。地球の表面(大地)が太陽から受ける単位面積当たりのエネルギーは、

 sin(太陽高度角)

に比例します。単純に太陽の南中高度で計算してみることとして、東京での太陽の南中高度を調べてみると、

 東京での冬至の頃の太陽南中高度 ≒ 30.9°
   〃 夏至   〃      ≒ 77.8°

では、夏至の時期に大地が受ける単位面積当たりの太陽のエネルギーは冬至の時期を100とするとどれくらいになるかというと、

 東京の夏至の時期における大地が受ける単位面積当たりの                                                太陽エネルギー
    = 100 × sin(77.8°) / sin(30.9°) ≒ 190.3

何と 90%以上のアップです。ほとんど倍。
これは太陽の南中時刻だけの比較ですが、さらに夏至の頃は冬至の頃に比べると太陽が地表を照らす時間も長いので、その効果も考えれば効果はより大きなものになります。

地球の自転軸が公転面に対して傾いているため、地表面と太陽の成す角は一年の間に大きく変化します。そしてこれが地球上で季節の変化が起こる主な理由となるのです。

多分、学校の理科の時間に学習したはずの内容のはずなのですが、その時代から月日が流れて、記憶があいまいになってしまったため、おさらいのつもりで、さらに少し突っ込んだ展開にしました。

子供に聞かれて、「地球と太陽の距離が変わるからだよ」なんて答えないために、もう一度思い出してみたいですね。

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ミツバチ失踪事件

2009年09月20日 | うんちく・小ネタ


突然失踪してしまった生物が最近話題になっています。
ミツバチです。

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                                                                 世界中で不可解なミツバチの失踪が相次ぎ、数百万もの巣箱が空になり、授粉を必要とする100種類近くの作物が危機に瀕しているというのです。
日本国内でもミツバチ不足は深刻で、イチゴ、メロン、スイカなどの栽培に影響が出ているそうです(日本で飼育されているミツバチの約2割が授粉用)。
そういえば、ミツバチドロボウなんていう、一見メルヘンな犯罪がニュースで報道されていました。

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全世界におけるミツバチの授粉作業を労働コストに換算すると、2150億ドルにもなるそうです。つまり、ミツバチがいなくなれば、この金額がそのまま農作物の単価に乗ってくるということになります。また、アインシュタインの「ハチが地球上からいなくなると、人間は4年以上生きられない」という真偽不明の予言まで新聞記事で取り上げられていたのですが、現代社会は、こんなにもミツバチに依存していたのかと驚かされました。

しかし、失踪の原因は未だに謎のようです。ウイルス説、寄生虫説、農薬説などが挙がっていますが、ぜひここに失踪願望説を加えてもらいたいと、そんなことを思った次第です。

くれぐれも、働き続けたミツバチの思い切った行動に、自身を重ねてみるなんてことは、しないで下さいね。

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京のほけん屋の日

2009年09月12日 | うんちく・小ネタ

                                                                  生誕〇周年・・こういった著名人の記念イベントが、たくさん開催されていますね。
太宰治の命日とされ誕生日でもあった6月19日は、毎年「桜桃忌」が行われます。今年は生誕100年ということで、いつの年にも増して盛況だったようです。太宰治に関する試験も行われたようで、私もその問題を新聞で見つけて試してみましたが、よほど太宰治に興味を抱いてプロフィールなどを調べていないと判らないような問題が多く、逆に、楽しみながら答え合わせをしていました。
その他、同じく生誕100年を迎える松本清張、200年のリンカーン、50年のバービー人形や30年のガンダムなど、今年の顔ぶれは華やかですね。作品や功績に触れるいい機会だと思います。

「京のほけん屋の日」な~んていうのは、出来ないかな?

                                                                   ※今回から更新頻度を当初の予定だった週1にさせて戴きたく、ご報告申し上げます。

 

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銀座のバー「ルパン」で写真家 林忠彦が撮影した太宰治。

林忠彦は無頼派の作家が集まるバー、ルパンに織田作之助を撮りにきていました。
すると横にいた太宰治が「オレも撮れよ」。
林忠彦は一つだけ残っていたフラッシュバルブを装着するとカメラを構えました。
一発勝負です。
すっかりくだけた雰囲気の太宰が、脚の高いバーの椅子に乗っているところ表現するには、椅子の脚を全部入れたいと思いました。                               現在のように高性能の広角ズームレンズなどない時代ですから、広く撮るには後ろに下がらなければいけません。
ところがところが、トイレのドアが邪魔で下がれない。
林忠彦はトイレのドアを開け、便器にまたがって撮ったのがこの写真です。
                                                               遺された写真の中で、最も自然体の太宰がここにいるような気がします。

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蚊取り線香

2009年09月09日 | うんちく・小ネタ

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9月に入っての話題としては、少し遅い感はありましたが、新型インフルエンザの感染が増え続ける中、忘れてはいけない、蚊によって広まるウエストナイル熱ウイルスという死に至る病が、この時期から流行る恐れがあります。 また、気温が25度から30度になると活発になる蚊にとっては、この時期は元気になる時期でもあり、同時に最も栄養を求めて吸血活動が盛んになる時期なのです。(気温が30度を超えると動きが鈍ります)

そこで、蚊の駆除方法として日本が誇る蚊取り線香について取り上げてみようと思いました。

蚊取り線香が作られるようになったのは明治時代のことです。
「金鳥」ブランドで知られる大日本除虫菊の創業者である、上山英一郎氏が、米国植物会社の社長であったH・E・アモア氏から、1886年(明治19年)に除虫菊の種子を入手し、翌年に第1回の収穫を行い、製粉したことに始まります。

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上山氏は和歌山県の旧家でミカン農家をしていました。
ミカンを輸出する一方でオレンジの栽培なども手がけていたとか。               同社の資料によれば、1888年に線香を販売していた伊藤氏と同宿した際に、初めて蚊取り線香を試作。1890年に棒状の蚊取り線香を完成させたそうです。
棒状の蚊取り線香はヒット商品となったのですが、持続時間がおよそ1時間と短いのが難点でした。

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悩んでいる英一郎氏に「渦巻き型にすればいい」とアドバイスしたのはゆき夫人。
1895年に試作を開始し、1900年には特許を出願、発売されたのは1902年のことです。
こうして現在でも使われている蚊取り線香が広く普及するようになりました。

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渦巻き型には金属製の線香立てがよく用いられますが、雰囲気を出すならやはり陶器製の“豚”でしょうか。
日本に長らく住んでいる人でしたら、一度は蚊取り線香を収納する陶器製の豚を目にしたことがあるでしょう。

さて、この豚のことをなんて呼ぶかご存知でしょうか?

正解は「蚊遣り豚」です。

蚊遣りとは蚊を追い払うために、草などを燻すことで、煙で追い払うという意味です。「蚊遣り」は除虫菊が日本に輸入される前から行われていたようです。
蚊遣り豚はかつて常滑焼きで多く作られていました。

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                                                               常滑に伝わる、蚊遣り豚の起源としては次のような話しがあります。
養豚場で大量の蚊が発生し、困っていた時代があります。
豚は体毛に覆われていないため、蚊に狙われやすいのだとか。
そこで蚊をおいはらうために、焼き物の筒で草を燻して蚊を追い払っていましたが、長時間にわたって煙が出るように口の部分を改良したところ、どこかその姿が豚に似ていたとかで、そのため、蚊取り線香用に豚の焼き物を作ったところ人気商品となったというのです。

もっとも「蚊遣り豚の謎」(著者:町田忍、新潮社刊)によると、それ以前に「豚器」と呼ばれた蚊遣りがあったようです。
ただし、町田氏によれば、豚器の豚は現在でいうところのイノシシだろうと推察されているようですが・・。

残念ながら、電子蚊取り器の普及で、蚊遣り豚の生産は大幅に縮小してしまったそうです。

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蚊取り器は進化を続けています。
「蚊取り器ブラックホール」は屋外での使用を想定した強力な電子蚊取り器で、光と熱と微量の二酸化炭素によって蚊の好む環境を作り出し、周囲の蚊をおびき寄せ、確実に捕獲するそうです。
時代とともに、ハイテクなものが登場し、その効果も大きく期待出来そうですが、大昔から変わらないはずの蚊の生体から、ここに来て、人は死を恐れなくてはいけないウイルスの発生に恐々とする時代を迎えてしまいました。

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さて・・・

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2009年09月06日 | うんちく・小ネタ

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【蜩】(ひぐらし)
セミの一種。全長約 5センチメートル。全体は栗褐色で緑色および黒色の斑紋が多い。雄の腹部は大きく、薄く半透明で、共鳴器となる。夏から秋にかけ、夜明けや日暮に、高く美しい声で「かなかな」と鳴く。カナカナ。秋の季語。   万葉集10「夕影に 来鳴く 蜩」

 
 ふるさとの 天の夕暮れ かなかなかな       三好 曲      


蜩の声は夕暮れに聞くものという思いが強かったのですが、最近は早朝の時間に聞くことが増えてきました。

暁方に鳴く蜩を呼ぶ暁蜩(あけひぐらし)という言葉があるそうですが、近頃はその暁蜩の声を聞くことが往々にしてあります。
本来、夕方の日暮れ時に鳴くことから、「日を暮れさせるもの」としてヒグラシの和名がついたという説があります。

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                                                                   先人の人達は蜩が好きだったようで、和歌などには真夏の蝉よりもむしろ蜩を題にとった歌が多く遺されています。
しかし、どちらかというと、遠くで聞く声に「はかなさ」や「わびしさ」などの物悲しさを感じるという用い方としてのものが多いようです。

とはいえ、「遠くで聴く声の「物悲しい」印象」に蜩の鳴き声の真骨頂があるのではなく、間近の頭上で煩いほどに鳴き喚く、その激しさがそのままに「物悲しい」とも解せます。

「遠くで聴く声の「物悲しい」印象」とは、蜩から遠いということではなく、抒情的に捉えるならば、人里から、人の世から遠い場所で耳にすると、一層、様々な思いが募ってしまうと判ってきます。子供の頃に、家路へと急ぐ夕暮れ時、蜩の声にせかされた思い出や、もっと刹那的な夏の終わり頃の記憶などが、心のどこかに刻まれているのかも知れません。

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まだ日中は暑い日が続いていますが、蜩の声を聞く朝夕には涼しい風が吹く心地よい時間が拡がり始めています。

「暑いですね」という挨拶の言葉がいつの間にか「朝夕は涼しくなりましたね」という言葉に変わり始めました。
蜩の声を聞くと去ってゆく夏の後ろ姿が見える気がします。

明日も明後日も暁蜩の声を聞きながら、去りゆく夏の後ろ姿を眺める事と思いますが、後どのくらいその夏の背が見続けられるでしょう。

あと半月もすれば、暁蜩の声を聞くことも無くなって、夏の背中もすっかり消えて、秋一色となっていることでしょうね。


 もの置けば そこに生まれぬ 秋の蔭   高浜虚子

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