【歳月人を待たず】(さいげつひとをまたず)
[陶淵明、雑詩「時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず」]
年月は人の都合にかかわらず過ぎて行って、少しの間も止まらない。今の時を大切にして努力せよ、という戒めにも用いる。
《広辞苑・第六版》
◇勉強しなさい
「勉強しなさい」
言われたところで、あるいは言ったところで「はい、勉強します」とはならないのが世の常。言う方も言われる方も
またか
と思うだけで効果の程は、どれほどあるか。
「時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず」
この言葉もそうした意味の言葉の一つとして使われることがあります。こちらの方は文語の響きがありますから「勉強しなさい」よりはずっと重々しい感じがしますが、それでも「またお説教か」と、若い頃はどちらかといえばマイナスの印象を受ける言葉でした(一応、「若い頃は」と限定)。
陶淵明
◇陶淵明さん、あなたまで?
「またお説教か」と思ったこの言葉が、陶淵明の雑詩の一部と知ったのは言葉自体を知った大分後のこと。そのときは、ショックでした。
陶淵明さん、あなたまでこんなことをおっしゃるとは!
「我、五斗米の為に腰を折りて郷里の小人に向かう能わず」と職を辞して田舎に帰ったという貴方までが・・・。
しかし、これは断章主義の生み出した誤解でした。断章主義とは、文章の一部を切り取って、本来の文脈とは無関係に解釈する(ある意味、勝手に)というもの。
陶淵明の雑詩にはこの言葉の前段に「歓を得なば当に楽しみをなすべく」とあります。陶淵明は
「ぼやぼやしていると楽しい時を逃し、充実した時間を味わうことなく年老いて死んでしまうかもしれない。だからその時々に真剣に向かい合いなさい。」
と言っているだけで、「勉強しなさい」と説教しているわけではないのでした。ああよかった。
◇今になれば思うこと
「勉強しなさい」と説教される年頃には、なかなか分からないことですが、勉強それ自体は、楽しいものです。大人になると、皆一様に口にします。
ああ、若いときにもっと勉強しておけばよかった
と。そして誰に「勉強しなさい」と云われるわけでもないのに、勉強を始めたりします。「あの時もっとしておけば」と悔やんでみても仕方がない。
歳月は人を待たずですから。
過ぎてしまった時間は取り戻せませんが、これから先の時間だけでも真剣に向かい合って、楽しい時を過ごすことにしましょう。