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天災と人災を憂う日々

2011年04月18日 | うんちく・小ネタ

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【天災は忘れた頃にやって来る】
(寺田寅彦の言葉とされる)天災は、起きてから年月がたってその惨禍を忘れた頃に再び起るものである。高知市の邸址にある碑文は「天災は忘れられたる頃来る」。
                        《広辞苑・第五版》

寺田寅彦1878(明治11)~1935(昭和10)年に生きた物理学者。地球物理学的な研究や、金平糖の角等の身近な物理現象の研究で知られます。また、優れた随筆や俳句で知られた文人でもありました。

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さて、この「天災は・・・」が寺田の言葉だとしたのは、寺田の弟子の一人、雪の結晶の研究で知られた中谷宇吉郎博士。中谷はこの言葉が寺田の著作にあると紹介したのですが、これは誤りで、このとおりの言葉は寺田の著作にはなく、寺田との会話の中に度々登場したため誤解したものであったと、後に随筆「百日物語」などで訂正しています。(結果としてですが、文字としてこの言葉を残した最初の人物は当の中谷博士自身ということになりました)

会話では頻繁にこの言葉を使ったという寺田は「天災と国防」の中で、文明の程度が進んでも一向に災害に対する備えが進まない理由として

「天災が極めてまれにしか起こらないで、丁度人間が前車の顛覆(てんぷく)を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになるからだろう」

と書いていることなどから、「天災は・・・」という言葉をしばしば使ったことも想像出来ます。

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さて、「天災は忘れた頃にやってくる」に対して近頃は、

   「天災は忘れなくてもやってくる」

とも言います。自然現象だから人が忘れようが忘れまいがそんなことにはお構いなしにやってくるものだということで、こう言い換えられることもあるのでしょう。

ただし、寺田が憂えたのは天災が起こることではなくて、起こった天災を教訓とした次の天災への備えが進まないということです。
そうしたことを考えて言葉を接げば

  「天災は「備えを」忘れた頃にやって来る」

と言っている訳です。

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現在、我々は天災そのものを防ぐことはまだ出来ませんが、天災が起こった後の被害をいくらかでも小さくすることは「備え」によって可能です。備えれば防げる災害被害を防がないなら、その被害は天災ではなく人災なのです。

寺田、中谷両博士の使った「天災は忘れた頃にやってくる」は過ぎてしまえば恐怖を忘れ、備えを忘れて防げたはずの天災後の人災をそのままにしてしまう人間の性に対する警句だと考えます。

東北関東大震災で失われたものすべてに同国民として心から合掌を。

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               ご報告とお願い

3月11日の未曾有の災害となった震災後、あらゆる面での事情を考察し、Blogの更新を控えさせて戴きました。
一ヶ月を過ぎてなお、大きな揺れを伴う余震が続く状況下、更新時期をいつにするかを考慮しつつも、新学期・新生活を迎える季節となり、新たなる一歩を踏み出す方々の多くが、震災とは別の意味での不安や心配ごとを抱える時期であることが気になって来ました。
更に、新しいスタートを切るための、それまでの環境や思い出と区切りをつける卒業イベントが中止になった被災地の状況なども鑑みると、いまこそ、人の環を構築出来るBlogが肝要な存在になるのではないかと思った次第です。

そこで、今週よりこの場所を再開させて戴きますが、                                今回はコメントをこの記事ではなく、ひとつ前の3月14日の「靴を脱ぐ場所があけてある」で、皆さんと再会が出来ればと願っております。
記事の基軸になっている「卒業」について触れながら、一日も早い復興により、この日本を襲った未曾有の悲劇からの卒業を念じてみたいと思います。
そういった心情も含むことから、震災についてのコメントはどうかご遠慮下さい。


このBlogが、ほんの少しの時間でも、この国の混迷と悲惨を忘れるきっかけになればと切に念じています。
そして、一人でも多くの被災者の方々を支える手になれるのであれば・・・幸いです。

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