あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

地震お見舞い申し上げます

2018年06月18日 | うんちく・小ネタ

このたびの「大阪府北部を震源地とした地震」により

被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。

全ての皆さまの安全と一日も早い復旧をお祈り申し上げます。




ルーツを知る

2018年06月17日 | うんちく・小ネタ



子供の頃、時代劇を見ていて、武士の”ちょん髷(まげ)”を不思議なヘアスタイルだなと思っていました。

世界の潮流からひとり離れた奇異な髪形をしていると。そして女性の複雑に編んだ髷(まげ)も気になっていました。
一般的な説は「武士が兜をつける際に頭が蒸れてしまうのを防ぐために頭頂部を剃った」というのですが、どこか説得力がありません。



浅田次郎氏の講演録『日本の「運命」について語ろう』を読んでいて、納得しました。
それは”ちょん髷”のルーツは中国遊牧民族にあるという説でした。
満州族が興した清王朝は、漢民族にたったひとつだけ自分たちの風習を強いたそうです。

それが”辮髪(べんぱつ)”で、中国人の象徴とも映るこの特異な髪形は北方騎馬民族の風習であったそうです。
つまり辮髪とちょん髷は”兄弟分”であるというのが、浅田氏の説なのですが、それは取りも直さず「日本人はどこから来たか」というテーマにも影響を与えることになります。



北方民族は胡坐(あぐら)をかき、移動式住居の戸は引き戸。
一方、漢民族はドアのある部屋でテーブル・椅子を使い、胡坐はかけません。

彼らの生活様式はヨーロッパに近いと言えそうです。
私は「文法の語順」を想起しました。
「私はあなたを愛しています」を、中国語では「我愛?(ウォーアイニー)」というのですが、これは欧米の文法と同じです。



中国史に造詣が深い浅田氏は「蒼穹の昴」で、清朝末期に生きた人々の生活を描き出しました。
科挙、皇帝、宦官、そしてアヘン戦争、日清戦争。
歴史小説の面白さは、史実を学んだ上にフィクションを重ねてゆくところにあります。
浅田氏は中国史だけではなく、幕末の新選組、江戸時代の参勤交代にも興味を持たれています。
小説「一路」を書くにあたり、中山道を実際に踏破したとか。
図書館から飛び出して自分の足で歩くことにより歴史は活き活きと動き出す・・・。
それが”歴史学の醍醐味”だと言えそうですね。




伝統を支えているもの

2018年06月03日 | うんちく・小ネタ



関東と関西の違いは、さまざまな角度から論じられています。 
枯節だしの関東に荒節だしの関西、濃口醤油の関東に淡口醤油の関西、肉じゃがは関東が豚肉で関西が牛肉。 


さらに切り込んで、家庭の食卓メニューを比較してみました。 
メニューの出現頻度を比較したデータによると、関東で多いのは味噌汁、サラダ、納豆、のり、漬物、佃煮。
対して関西は、食パン、菓子パン、うどん、お好み焼き、たこ焼き。 



見事なまでの関西粉もん傾向ではないですか。
ごはんに味噌汁、のりに漬物という古典的な日本食は関東限定となってしまったのでしょうか。 

特に意外だったのは食パン。スーツを着ながらトーストを牛乳で流し込むサラリーマン像は、東京近郊の朝の定番だとばかり思っていたのですが、朝食における食パンの出現率は関東の27%に対し、関西は45%。 



さらに、パンに関するデータを掘り下げると、1世帯当たりのパン消費額ランキングの1位は意外なことに京都市で、年間3万8千円。
2位以下は神戸市、岡山市、堺市、大阪市、奈良市、大津市、和歌山市、広島市。10位に塩パンの発祥、松山市で年間3万3千円。

京都がパン食トップとなった背景には、伝統産業を支える職人の暮らしぶりがあるとか。 
パン食が京都で流行し始めたのは戦前で、西陣織の職人さんたちが忙しい仕事の合間を縫って食べられるものを求めたそうです。
旦那衆の新しもの好きも後押しし、京都大や同志社大などが面する今出川通りは、パン戦争勃発のたたずまいです。 



関西には米どころが少ないからかもしれませんが、和食の聖地である京都がパン日本一になる不思議。 

かつて、大陸からの渡来人とその技術を受け入れた京都。

その柔軟性と合理性が伝統を支えているのではないかと思いました。



京の6月

2018年06月03日 | 日記
京の6月