あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

トンでもない?文化

2019年10月13日 | うんちく・小ネタ



豚肉といえば東京なのだそうです。ランチで豚の生姜焼きが出ない定食屋はないし、肉じゃがもカレーも豚肉派が主流。そもそも東京で肉といえば豚肉のことを指し、牛肉はわざわざ「牛」と呼んで区別するのだと知人の江戸っ子が語ってくれました。



では、なぜ東京に豚肉文化が定着したのか。
諸説あるのですが、幕末の偉人が豚肉好きだったからという説がおもしろいのです。
15代将軍徳川慶喜は大の豚肉好きで、小麦粉と溶き卵を付けて焼くポークピカタなどもも食べていたとか。

また、新撰組の近藤勇局長は、屯所の生ゴミをエサに豚肉を飼い、スタミナ源としていたそうです(その後、壬生の屯所から江戸に持ち込んだという説があります)。



両者とも官軍じゃないところが少々気になるところですが、牛肉の15倍も含まれるビタミンB1の効果で、尊皇攘夷の踏ん張りが効いたのかもしれません。


もちろん、武士が多い江戸には馬も多く、農民が多い地方と違って牛を飼う余裕などなかったので、飼いやすい豚が増えたという理由も捨て置けません。



武士の生活が影響を及ぼした習慣は他にもあります。
左脇に差す刀がすれ違う相手とぶつからないよう往来が左側通行となり、それが世界的にマイナーな日本のクルマの左側通行となりました。

エスカレーターで左側に立つのも同じ理由だそうです。



和歌山の下級武士で、1860年ごろ江戸に詰めていた酒井伴四郎の日記にこうあります。

「大通りにて『ふた』を買い、また山下御内の辺りにて『うぐい』の生切身を試に一切れ買い帰り」


酒井伴四郎は、ほかに永代橋で「永代餅」を食べたり、京橋で「かしわ鍋」や「蛤鍋」を食べたりしています。
豚肉の街で単身赴任をエンジョイする伴四郎さんに親しみを感じる、今日この頃です。