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花火

2009年08月08日 | うんちく・小ネタ

                                                             今年の夏、家族や友人と花火大会に出かけられる方も多い事でしょう。花火は日本の夏の風物詩。鮮やかな色が重なり合い、はかなく消える美しさは何度見ても飽きませんね。    

中国で発明されたといわれる火薬が、花火の起源に大きな影響をもたらしたと考えられています。日本に火薬が伝来したのは戦国時代、種子島に鉄砲が伝わったのと同時でした(一般的な説)。それから10数年後の1558年には、愛知県三河地方で神社の祭礼に手筒花火を上げた、という記録が残っています。
また、花火にまつわる徳川家康のエピソードもあります。1613年、長崎の平戸に商館を造ったイギリス人ジョン・セーリスが、英国王の使者として駿府を訪れ、家康と面会しました。そのときの記録には、8月6日に家康と一緒に花火を見た、ということが書かれています。あの家康が、現代の私たちと同じように花火を眺めたことがあると思うと、わくわくしませんか?

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その後、花火の普及が進み、江戸時代には、庶民が鑑賞するための花火大会が開かれるようになったとされています。大川(現隅田川)で花火を初めて打ち上げたのが、掛け声でおなじみの「鍵屋」を創業した弥兵衛(やへえ)という人物。その「鍵屋」からのれん分けされたのが、掛け声のもう一方、「玉屋」。
大川の大橋(現両国橋)を境に、上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持って花火大会を行っていました。ところが、1843年4月、玉屋は火事を出し、店だけではなく、町にも延焼したため、江戸所払い(追放)のお沙汰が下り、一代で廃業となりました。一方の「鍵屋」は今でも営業を続け、2000(平成12)年からは、15代目にあたる女性花火師が伝統ある家業を守っているそうです。

ところで、同じ花火といっても、日本と海外ではいろいろ異なる点があります。例えば、花火のシーズン。日本では「夏の風物詩」という印象が強いですが、イギリスでは秋、中国では旧正月に、盛大な花火が打ち上げられます。また、日本の花火は、一般的に花のように360度丸く開きますが、欧米の花火は、ほうきのような形に開くものが多く見られます。これは、火薬を固めた「花火玉」の形の違いによるもので、日本は球形、欧米は円筒形が主流だからです。色についても、日本はいろいろな変化を楽しめるものが多いのに対し、欧米は一色だけか、変化があってもわずかといいます。これは、球形の花火玉はそれぞれの色を出す火薬を何層にも重ねることができるからです。日本の花火が「世界で最も精巧」といわれるのには、このような秘密があったのですね。

日本の花火大会では、大きく分けて「打ち上げ花火」と「仕掛け花火」の2つが見られます。打ち上げ花火で最も一般的なのが、球形に開く「割物」。割物の中でも、まちがいやすいのが「菊」と「牡丹(ぼたん)」と呼ばれるものです。「菊」は丸く開く花火の基本形で、空中で玉が割れたあと、光跡を残しながら(尾を引きながら)中心から外側へ広がっていきます。もう一方の「牡丹」は尾をほとんど引かず、光の点が拡散するように開きます。ほかにも、土星やキャラクター、アルファベットなど、何かを型どった「型物」もよく見られますね。仕掛け花火の代表格は、水辺の花火大会でよく見る「ナイアガラ」です。そのほか、短時間に大量の玉を打ち上げる「スターマイン」も人気があります。いくつもの花火を組み合わせて連続して打ち上げ、一つのテーマを描き出すもので、華々しくスピード感あふれる演出が魅力です。

今まで何気なく見ていた花火も、その歴史や種類などを知ると、少し違った目線で楽しめそうですね。

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