電子書籍に関する最近のメディア報道を見ると、首をかしげたくなることがあります。
「電子書籍によって紙の本はなくなるのか」「伝統の文化を消してよいのか‥」など。
全く以て、何ごとも”これが生まれたらこれが消滅する”という二者択一的な論理で語ろうとしています。新しい技術が誕生した時に起きがちなメディアの喰い付き方で、センセーショナルで興味本位の記事が中心となって、紙面を賑わせています。もっと冷静に取材と考察をしてほしいものですが・・・。
紙の本と、電子書籍はその内容や読者の環境によって正しく選択され、共存していくのだと思います。
ITジャーナリスト佐々木俊尚氏の近著「電子書籍の衝撃」を読みました。電子書籍の将来に関する氏の洞察は鋭く、氏はこう言っています。
「決め手はプラットフォームである」重要なのはハード(ブックリーダー)ではなく、プラットフォーム(本を購入して読む魅力的な基盤)である
・・・と。
これは音楽を例にすると分かりやすいでしょう。
SONYがアップル社の〔iPod+iTunes〕に苦杯をなめた事例を考えるとよいでしょう。
アップルは使いやすい端末と使いやすいオンラインソフトを作り、おまけにきっちりとした課金制度まで確立しました。
これが、氏の言う「プラットフォーム」の大切さでなのです。
「電子書籍は紙を使わずエコである」と言うと、反論が出るかもしれません。
本はブックオフ等を通じて再利用されて読み継がれているのです。
どこが資源のムダなのだ、と。
私が一番気になるのは、書籍の「返品制度」です。出版社はおびただしい数の本を書店に預け、売れ残ったものは無条件に引き取ります。そういった古い制度が旧態然と続いている現状が今の本販売業界にはあるのです。雑誌の返品率は35%、書籍のそれは40%になるとか。返品された本は、誰の目にも触れられずに廃棄処分されるのでしょう。
再販制度によって、廉価販売の道も閉ざされています。
これくらい売れるだろうという見込み生産で印刷され、ダメだったら廃棄する。この構造こそが、現在の”書籍流通の問題”なのです。
しかし、ページをめくる感覚や紙の音、インクの匂い、栞を挟む習慣。マーキングしたり、ページの隅を三角に折ったり、書棚に納めて背表紙が部屋の中のひとつのオブジェになったりする書籍の存在は、まさしく人類の文化の中で最高の宝物であると言ってよいでしょう。
電子書籍のネット販売もすべてがバラ色ではないかもしれません。
作家とネット販売業者と読者だけで、すべてが完結するとは思えないと、問題定義する専門家もいます。
出版社(編集者)と作家の連係プレーによって優秀な書籍が誕生する場合も多くなるでしょう。
そして、一度デジタル化すれば、いつでもどこでも必要な部数だけダウンロードすることができるのです。これこそ、ムダを生まないエコなシステムだと思うのですが、どうでしょうか?