現在、暦の中でも毎月の日付と曜日が見やすい形にまとめられたものを、カレンダーと呼びます。普段は、辞書を引くまでもない言葉ですが、敢えて辞書を引いてみると
1.[洋風の]こよみ。七曜表。
2.年中行事表。calendar 《学研 日本語大辞典より》
とあります。
こうしてみると、現在のカレンダーは単なる日程表としてみられていることが分かります。「誰でも簡単に作れる表」といったところです。
今でこそ、誰でも簡単に作れるカレンダーですが、それは現在のように暦が一定の形で完成してからの話であって、それ以前はカレンダー作りも苦労が伴っていました。
その痕跡がカレンダーと言う言葉に残っています。
◇カレンダーは、「叫ぶ」ことから
ラテン語に[calo]とよう単語があります。
意味は、「叫ぶ。呼び集める」と言った意味だそうです。
現在我々が使う「カレンダー(calendar)」と言う言葉はこの[calo]から生まれたと言います。
なぜカレンダーと「叫ぶ。呼び集める」が関係するかというとそれは、新月を見つけたことを人々に知らせたからだと言われています。 つまり、
「新月が見えたぞ!」
と叫んで人々に知らせたわけです。
ここでちょっと補足ですが、現在の天文学的な「新月」は日食でも起こしてくれない限り「見つける」ことは出来ません。ここで言う新月は「新しい満ち欠けの周期が始まってから見えた最初の月」の意味です。現在で言えば、三日月か、その一日前にまれに見える二日月のことだと考えてください。
こうして「新月」が見えたことが知らせられると、この日が暦の上での一月の始まり、「朔日」だと宣言されました。このため古代のローマではこの「朔日」を「カレンダエ(calendae)」と呼び、これが英語の[calendar]の語源となったのです。
◇安息日の日の例外
ユダヤ教では、安息日には人間の日常生活を最小限の行動に留めてその一日を神に捧げるということを厳密に行うそうです。
この日は職業としての仕事はお休み、外出も生きていくために必要なごく狭い範囲に限定されて、その範囲を越えることは許されていなかったとか。分かりやすく言うと、安息日には一丁目に住んでいる人は一丁目の範囲を越えてはいけないと言ったようなものです。
しかし人々の生活に無くてはならないものに関してはいくつか例外も認められておりその一つが、「新月の発見を伝達する者」だったそうです。
「新月が見えたぞ」という知らせだけは、安息日でも行ってよかったのです。
◇今でも目で見る「新月」
多くの国では現在は新月を計算によって求めています。
ところが、イスラム暦などいくつかの暦は今もって「月の初見」をもって暦月の始まりとしています。
イスラム教の社会では、特に宗教的な行事に関しては厳密な太陰暦にしたがって行事を行いますので、初めての月が見えるのが何時かは重要。
計算でこの日に見えるはずだと分かっていても、実際に肉眼で確認されるまでは、暦月が変わらないのです。もっとも曇りの日などで見えないこともありますから、計算で見えるはずの日から二日以上ずれることが無いように調整はされるそうですが。
今では、「月が出たぞ!」と叫んで知らせる人は必要なくなりましたが、それでも暦月の切り替えになる新月の発見を叫んで知らせたと言う歴史が「カレンダー」という言葉の中に残ったという話でした。