あんなこと こんなこと 京からの独り言

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殺人犯の首相

2010年01月25日 | うんちく・小ネタ

首相の収賄事件は、残念ながら珍しくもない話ですが、かつて、殺人事件を起こしながらも首相になった人物がいたことをご存知だったでしょうか。

明治21年から2年にわたり首相を務めた黒田清隆がその人です。

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黒田はもともと酒癖が悪いたちだったようですが、子供が2人とも生後まもなく死んだのをきっかけに、酒乱に益々拍車がかかります。

首相に就任する以前の大臣時代にも、飲酒の上船上から艦砲を撃つという無茶をやったこともあり、その砲弾が民家に命中し、家にいた少女を死亡させてしまいます。

その2年後にも、酔って帰宅し、妻を日本刀で殺すという事件を起こしたのです。

いずれも、数名の政府要人が彼をかばったため、黒田は厳罰されることもなく、事件はもみ消されてしまいます。

そして、その10年後、黒田は首相に就任します。

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いくら政治家として有能だとしても、2件も殺人事件を起こした犯人が首相になれるとは、今の日本では考えたくもない・・・ことですね。

50_2                           明治天皇が第2代黒田清隆内閣総理大臣に憲法を渡しているところ(和田香苗作画=衆参事務局『国会議会開設110年記念』より)。

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カレンダーの語源

2010年01月18日 | うんちく・小ネタ

 
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現在、暦の中でも毎月の日付と曜日が見やすい形にまとめられたものを、カレンダーと呼びます。普段は、辞書を引くまでもない言葉ですが、敢えて辞書を引いてみると

 1.[洋風の]こよみ。七曜表。
 2.年中行事表。calendar 
 《学研 日本語大辞典より》

とあります。
こうしてみると、現在のカレンダーは単なる日程表としてみられていることが分かります。「誰でも簡単に作れる表」といったところです。

今でこそ、誰でも簡単に作れるカレンダーですが、それは現在のように暦が一定の形で完成してからの話であって、それ以前はカレンダー作りも苦労が伴っていました。
その痕跡がカレンダーと言う言葉に残っています。    

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                                                           ◇カレンダーは、「叫ぶ」ことから
ラテン語に[calo]とよう単語があります。
意味は、「叫ぶ。呼び集める」と言った意味だそうです。
現在我々が使う「カレンダー(calendar)」と言う言葉はこの[calo]から生まれたと言います。

なぜカレンダーと「叫ぶ。呼び集める」が関係するかというとそれは、新月を見つけたことを人々に知らせたからだと言われています。                                        つまり、

 「新月が見えたぞ!」

と叫んで人々に知らせたわけです。
ここでちょっと補足ですが、現在の天文学的な「新月」は日食でも起こしてくれない限り「見つける」ことは出来ません。ここで言う新月は「新しい満ち欠けの周期が始まってから見えた最初の月」の意味です。現在で言えば、三日月か、その一日前にまれに見える二日月のことだと考えてください。

こうして「新月」が見えたことが知らせられると、この日が暦の上での一月の始まり、「朔日」だと宣言されました。このため古代のローマではこの「朔日」を「カレンダエ(calendae)」と呼び、これが英語の[calendar]の語源となったのです。

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                                                            ◇安息日の日の例外
ユダヤ教では、安息日には人間の日常生活を最小限の行動に留めてその一日を神に捧げるということを厳密に行うそうです。
この日は職業としての仕事はお休み、外出も生きていくために必要なごく狭い範囲に限定されて、その範囲を越えることは許されていなかったとか。分かりやすく言うと、安息日には一丁目に住んでいる人は一丁目の範囲を越えてはいけないと言ったようなものです。

しかし人々の生活に無くてはならないものに関してはいくつか例外も認められておりその一つが、「新月の発見を伝達する者」だったそうです。
「新月が見えたぞ」という知らせだけは、安息日でも行ってよかったのです。

                                                            ◇今でも目で見る「新月」
多くの国では現在は新月を計算によって求めています。
ところが、イスラム暦などいくつかの暦は今もって「月の初見」をもって暦月の始まりとしています。
イスラム教の社会では、特に宗教的な行事に関しては厳密な太陰暦にしたがって行事を行いますので、初めての月が見えるのが何時かは重要。

計算でこの日に見えるはずだと分かっていても、実際に肉眼で確認されるまでは、暦月が変わらないのです。もっとも曇りの日などで見えないこともありますから、計算で見えるはずの日から二日以上ずれることが無いように調整はされるそうですが。

今では、「月が出たぞ!」と叫んで知らせる人は必要なくなりましたが、それでも暦月の切り替えになる新月の発見を叫んで知らせたと言う歴史が「カレンダー」という言葉の中に残ったという話でした。

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鏡開き

2010年01月12日 | うんちく・小ネタ

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◆鏡開き (正月十一日)
正月行事も一段落して、非日常から日常へと生活のリズムが戻って行く頃、ちょっと遅れてやってくる正月行事が、この鏡開き。1月11日に行われるのが一般的なようです。

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鏡開きの主役である「鏡餅」は年神の霊力の象徴または、年神が宿るものです。鏡開きはその年神の宿ったあるいはその力を象徴した鏡餅を細かく砕いて、大勢で食べる。簡単に言ってしまえば神様を食べるようなものです。
これによって、年神の運んできた霊力を皆に分け与える儀式です。

昔から鏡餅を細かく分ける場合は包丁などを用いず、木槌や手によって餅を細かく砕いて行くことになっています。
なぜ包丁などを用いないかと言えば、神霊が刃物(金物?)を嫌うためだと言います。

うがった見方をすれば、神霊が運んでくる新年は春の始まり。春は五行では「木精」。これに対して刃物などの金物は「金精」。これは「金剋木」の関係にありますから、新年、あるいは春の気を運んできた年神に対して刃物を使うのは、春の気を損なう行為。つまり四季の順当な巡りを阻害する行為として禁忌とされたと考えることが出来ます。

ということだと、木槌はいいけど同じ槌でも金属の槌(金槌)はまずいって事でしょうね?

                                                           ◇鏡開きは蔵開き
もともと1月11日は蔵開きの日。農家にあっては畑仕事の開始である野入りの日。この日を仕事の始めとする職種も多かったと言います。
 
蔵の中には鏡餅が鎮座しておりまして、蔵を開いてこの鏡餅を砕き、雑煮や汁粉に入れて食べたのが鏡開きとか。

Photo                                                                      

                                                           ◇御武家様は正月二十日?
江戸時代の武家の鏡開きはもとは、1月20日だったと言います。
この日甲冑・具足に供えた餅を食べたことから、具足開きなどとも呼ばれたようです。
武家も商家と同じように1月11日となった理由としては、三代将軍家光の忌日が1月20日であったのでこれを避け、商家等に合わせたのだと言われています。

35_4                            江戸時代末期に撮影されたと思われる正月記念写真

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謹賀新年

2010年01月01日 | うんちく・小ネタ

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     新年明けましておめでとうございます
                                      2010.01.01



除夜の鐘を聞きながらの御挨拶です。

昨年は多くの方々に愛されるブログとなり、                                     心より感謝申し上げます。
                                                                 今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(次の更新まで、コメントはご容赦戴けましたら幸甚に存じます)


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【除夜】(じょや)
「除日(じよじつ)の夜」の意。
おおみそかの夜。除夕(じよせき)。冬の季語。
                  
《広辞苑・第五版》

除日は、古い年を除く日と云う意味で、大晦日を表す言葉です。
その除日の夜ですから、除夜。また除夕となります。

除夜には、産土神を祀る神社に詣で、そのまま神社に籠もり一晩中起きて新しい年神様を迎えるというのが本来の過ごし方でしたが、その行事が徐々に簡略化されてきています。

現在もなお元日の未明に神社に参拝するといった風習が各地にありますがこれなどは、夜通し神社に籠もった行事の名残と云えます。

また、除夜のよるに早く寝てしまうと白髪になるなどの言い伝えがありますが、これも夜通し起きて年神様を迎えるという風習を破るという禁忌に対する神罰を表したものなのでしょう。

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                                                                今年一年、みなさまにとって善き年となりますよう、                                  心より祈念致します。

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