あんなこと こんなこと 京からの独り言

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歴史に学ぶべきこと

2013年09月28日 | うんちく・小ネタ
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伊勢神宮の社殿をそっくり作り変えてご神体を遷す「式年遷宮」<wbr></wbr>は、20年に一度行われ、今年62回目を迎えるそうです。つまり、<wbr></wbr>1300年もの間、連綿と執り行われてきたということ。
木造の建築は傷むのが早く、<wbr></wbr>建て替えが必要になることはうなずけます。ただ、この儀式には別の意味もあるように感じるのです。
 
それは、次の世代に伝統技術を継承すること。
僧侶で作家の玄侑宗久氏がでこんなことを話していました。
「寺院の五重塔はこんなにもたくさんある必要はないが、<wbr></wbr>それは伝統的な技術を継承しているんです」

氏はまたこうも話されました。
 
「日本人は今までのことをチャラにして、<wbr></wbr>一からやり直す国民性を持っている。「原点に戻る。」という言葉が好き。「こんにちは、こんばんは」<wbr></wbr>という挨拶は、今日こそは、今晩こそは・・という気持ちを表している。災害列島に住む私たちは、定期的に破壊され、<wbr></wbr>また作り直すという作業をやり続けてきた。」
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先の東日本大震災で私たちは、<wbr></wbr>数百年に一度の災害や千年単位で起こる地球規模の災害を身をもって体験しました。神社で20年に一度、<wbr></wbr>伝統行事を行う意味がここにあるのです。<wbr></wbr>語り継いでいくということの大切さです。

数百年前のことは親もお爺さんも分かりません。
確認する手段は、<wbr></wbr>地質学的な地震学や、古文書の研究などしかないのです。
新進気鋭の歴史学者、磯田道史氏の「歴史の愉しみ方」<wbr></wbr>というエッセイを読んでいて、<wbr></wbr>氏が茨城大学から浜松にある大学に移った理由を知りました。<wbr></wbr>氏は3.11の壊滅的な大災害に接し、<wbr></wbr>次に津波被害が予想される東海エリアに居を移し、古文書を解読していくという使命感に駆られたそうです。
災害列島の過去の悲惨な歴史を、古文書や口伝が伝えています。<wbr></wbr>これを軽視してはいけません。
地球規模の定期的な脈動を知って、<wbr></wbr>私たちは生きていかねばならないのです。
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「この地名が危ない 大地震・大津波があなたの町を襲う」という新書を興味深く読みました。
著者は日本各地の地名の中に”地震痕跡”や”津波痕跡”<wbr></wbr>が残っていると語っています。東北の名取・女川(おな=男波、津波)、<wbr></wbr>神奈川の鎌倉などもかつて津波によって大きな被害に遭った地名であるとか。著者は”<wbr></wbr>地名は災害の記録である”と警鐘を鳴らしています。これも、<wbr></wbr>一聴に値する意見だと思いました。
南海トラフ地震は必ずやってくる・・・。
<wbr></wbr>それは過去の歴史が教えているのです。9世紀に発生した貞観大地震の9年後に関東地震が発生し、<wbr></wbr>18年後に南海大地震が起きています。

子供の頃から関西に大地震はない、と教えられて育ちました。<wbr></wbr>結果的に、親やお爺さんの体験だけを信用してはいけません。
2千年に及ぶ長い歴史に学ぶべきなのでしょう。
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幸せ

2013年09月10日 | うんちく・小ネタ
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湖上に住む人々になぜか惹かれることがあります。
カンボジア・<wbr></wbr>トランサップ湖の水上生活者をTVで見たときは度肝を抜かれました。
水の上に住居も学校も市場もあって、100万人ほどが生活をしていたのです。
どうして不便な水上で暮らすのか? 
ひとつは外敵から逃れるため、そしてもうひとつは移動が楽で、何より生活用水が容易に入手できるからなのでしょう。

チチカカ湖にはたくさんの浮島があります。<wbr></wbr>トトラという葦を積み重ねたその浮島に住むのはウル族という人たち。<wbr></wbr>彼らは湖の魚を獲って生活をしています。
魚が余れば、農村でじゃがいもと物々交換。<wbr></wbr>そんな原始的な生活を連綿と繰り返してきたのです。
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                                                                    彼らはすべてを湖から得ています。トトラの浮島に、<wbr></wbr>トトラで作った粗末な家に住むという生活様式。
かつてはトトラで造った船で移動したそうですが、<wbr></wbr>現在ではエンジンが付いた木造船で魚を獲っています。
「不便じゃないですか?」
ルポライターが質問をすると、<wbr></wbr>何を変なことを聞くんだという表情を浮かべるウル族の家族たち。

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                                                                    そのとき、わが国の”シャワーつきトイレ”<wbr></wbr>のことを思い浮かべました。
人間の欲望というのは限りがないもので、<wbr></wbr>水洗トイレやトイレットペーパーだけでは満足できず、シャワーつきのトイレまで考え出したのですから。


政治学者、姜尚中氏の著作「ニッポン・サバイバル」<wbr></wbr>を読んでいると、こんな記述がありました。

『どうしたら「幸せ」になれますか?』という章の中の一節です。

現代社会では、快・不快が幸福の基準になりがちです。しかし「<wbr></wbr>今日は晴天、だから気分がいい」「明日は雨が降る、うっとうしいな」と、<wbr></wbr>天候によって人の気分はコロコロと変化するように、<wbr></wbr>本当の幸福はそのときの気分によって測られるものではないのです。(中略)つまり私にいわせると、他者に関心を持たないで、<wbr></wbr>自分の幸せを社会や世界と切り離して考えること自体が、<wbr></wbr>じつはものすごく非現実的です。世界と切り離された幸せなんてディズニーランドのようなものです。<wbr></wbr>一歩外に出れば否応なしに現実が待っています。結局、幸福のリアリズムとは世界の物事に関心を持ち、<wbr></wbr>それと自分がどうつながっているのかを知ることにあると思う。そう考えると、<wbr></wbr>自ずから他者との交わりというものが広がっていくと思うし、<wbr></wbr>広がらざるを得ないと思うのです。その広がりの中から、<wbr></wbr>きっと幸せの方法を見つけだすことができるのではないでしょうか。

氏は、幸福は快・不快じゃなくて、”人格”<wbr></wbr>にあると語っています。
そして、社会との関わりの中で、幸せが見えてくると。
様々な社会と心の開放と繋がりが、「幸せ」<wbr></wbr>になるということなのでしょう。
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