あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

土用丑の日

2009年07月31日 | うんちく・小ネタ

                                                               7/31は土用丑の日。
鰻たちにとっては一年最大の「受難の日」であります。
 

土用丑の日は、土用の期間中にある「丑」の日。
土用は 1年に 4度、季節の変わり目とされる四立(立春・立夏・立秋・立冬)の直前に設けられた18~19日間の期間のことです。
ただし、「土用丑の日」と丑の日とつなげて語られる場合の土用は夏の土用と呼ばれる立秋前の土用のことで、7/20~ 8/7辺りがこの期間となります。

丑の日は十二支の「丑」に当たる日です。
十二支ですから12日に一度の割合で「丑の日」が登場します。一方土用の期間はだいたい18日間ですから、 2度に 1度くらいの割合で「土用丑の日」が二度ある年が有ります。今年はといえば、 2回の年です。

7月に土用の丑の日が2回あるのは1796年に一度あり、なんと213年ぶりに今年の夏の土用丑が7月中に2回あるという特別な年なのです。

現在、土用の期間は太陽の位置で決められており太陽暦である新暦ではほぼ毎年同じ日付となりますが、「丑の日」は変化します。
これは、一年の日数が 365日または、 366であるので、十二支の12で割ると5または、 6日のあまりを生ずるためで、毎年このあまりの分だけずれて行くことになります。                                                                               

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                                                        夏土用の期間は酷暑の時期(二十四節気の大暑の期間とほぼ一致します)です。この暑い時期にはどうしても食欲が減退して、夏ばてする方も多いと思います。

この、暑くて夏ばてしてしまう時期という話は昔も今も同じ。そのため、この「夏ばての時期」には精の付く食べ物を食べて体力維持を図ろうとしたのが土用丑の日の鰻の始まりだといわれています。

「精の付くもの」ということですから、なにも鰻に限った話ではなくて、昔(ところによっては今も)はこの日にいろいろなおすすめの食べ物の名があがっています。それが、

 鰻、卵、餅、しじみ、牛肉、馬肉、瓜、梅干し、うどん・・・等々

です。                                                     特にこの日「う」のつく食べ物を食べると疫病除けにもなるといわれるので、鰻、牛肉、瓜、梅干し、うどんなどは、有り難がられました。

土用の丑の日に鰻を食べるという習慣は江戸においては「安永・天明の頃より起こる《明和誌》」と有ります。安永・天明の頃というとAD1764~1781年頃ということになりますから、ざっと 250年程前からになります。
思ったより新しい行事という気もします。

◇土用丑の日と鰻の組み合わせ・・・春木屋説
神田の春木屋善兵衛という鰻屋に、どこぞの殿様から大量の鰻の蒲焼きの注文がやって来ました。とても一日で焼けるような分量ではないため、三日間焼き続けて納入することにし「子・丑・寅」の三日間焼き続け、焼き上がった蒲焼きは床下の甕の中に保存しました。

さて、いざ殿様へ納入という段になって甕から出してみると、子と寅の日に焼いた鰻は傷んでおり、丑の日に焼いた物だけが状態が良かったということで、それ以来「鰻を焼くのは丑の日」ということになったという由来説が「江戸買物独案内」という本に書かれています。

しかしこれはあまりにも作為的という気がします。だいたい三日かけないと焼けないほどの大量の注文を一つの店で受けるのはおかしい。結果的に子・寅の日に焼いた蒲焼きは傷んでいたわけで、そんな物まで納入されたら食あたりしてしまいます。                  かといって、丑の日の分だけ納入したら注文分の 1/3しかないのですから、これもダメでしょう。

どっちにしたって春木屋さんはただではすみません。
まあ、その注文主が「どこぞの殿様」とはっきりしない段階で、眉唾もののような気がします。

◇土用丑の日と鰻の組み合わせ・・・平賀源内説
食欲の減退する猛暑の時期、こんな時に脂っこい鰻は勘弁と敬遠されて困っていた鰻屋が江戸末期の万能学者として有名な平賀源内に何とかならないかと知恵を借りに行ったところ、源内先生が一計を案じて、

 「本日土用の丑」

と大書して鰻屋の前に張り紙をしたそうです。これが評判になって大繁盛したことが始まりであるという説があります。

この説はいろいろな本に、「土用の丑の日の鰻」の始まりとして採り上げられる説なのですが、なぜ「本日土用の丑」と書いただけで繁盛したのかという謎解きが不足しているように思います。

この謎については、

A.鰻屋に「本日土用丑の日」とあるので鰻を食べろということだと思う
B.土用の丑の日になぜ鰻なのかは判らないが判らないとはいえない
C.判らないけど、土用の丑の日には鰻を食べるものらしい
D.そんなのあたりまえだと、知ったかぶりしてここは買うしかない

と知ったかぶりの江戸っ子が考えるのを予想しての巧みな宣伝だったのではないかと考えています。さて本当はどうなのでしょう?

◇土用丑の日と鰻の組み合わせ・・・五行説による呪術説
夏の土用は、五行説では「火気」の夏と「土気」の土用が「火生土(火土を生ず)」という関係にあって、火の気が異常に強まってしまう時期(つまり暑すぎる時期)ということで、これを抑えるのに水気(「水剋火(水は火に剋(か)つ」)で導入するため、この期間の水気の日である「丑の日」を導入するという呪術的な行事だという説が有ります。

水気は色は「黒(玄)」。
鰻は魚ですから水気の象徴でありかつその色は黒ということで、火気を抑える水気の象徴としてピッタリ。
また、夏ばて防止の精の付く食べ物として知られていたこともあって、これが取り入れられたものだというのです。
こちらは少々理屈っぽい話なのですが、うなずけるところもあります。

 
どの由来が正しいとしても、兎に角、本日は日本中で鰻が大量に蒲焼きにされることだけは間違いなさそうですね。                                                                           

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天国に一番近いビル

2009年07月29日 | うんちく・小ネタ

                                                                今年の6月30日、アラブ首長国連邦最大の都市であるドバイで世界一の超高層ビルである「ブルジュ・ドバイ(Burj Dubai=ドバイの塔の意味)」が竣工しました。地上162階建で、尖塔部分まで含めた高さはなんと、818mとか。

この「ブルジュ・ドバイ」は、「台北101」が持っていた世界一高い超高層ビルの記録(509.2m)のみならず、世界一高い自立式建造物(カナダ・テレビ塔CNタワーの553.33m)、現存する世界一高い建造物(アメリカ・KVLY-TVアンテナ塔の628.8m)、人類史上最も高い建造物(ポーランド・ワルシャワラジオ塔の646.38m)の記録をも塗り替えることになりました。

あまりにも高すぎてイメージし難いのですが、大阪通天閣の約8倍、東京タワーの約2.5倍の高さになります。有名人で比較してみると、チェ・ホンマンの約375倍、池乃めだか師匠のなんと約545倍。
ちなみに、尖塔頂点からモノを自由落下させると、地上に落ちるまで約13秒かかってしまいます。

しかし現在、「ブルジュ・ドバイ」を越える超々高層ビルが中東でいくつも計画中。クウェートでは1001mの「マディナ・アル=ハリール」、サウジアラビアでは1600mの「マイルハイタワー」、また同じドバイでも1400mの「アル・ブルジュ」が建設予定とか。どれも軽く1km超え。
高所恐怖症の人にとっては、とことん恐怖の場所と言えそうです。


ドバイに東京大学の建築学科を出た若者が移住して、日本の建築技術を盛り込んだビルの設計をしていると聞きました。
建築計画も工程管理も、あるようでないのが、あちらの国。
そこにショートタイムスケジュールで物事を進める日本人が飛び込んだのですから、随分と苦労を強いられていることだろうと思います。
おまけに、ドバイも今は不況風が吹き荒れています。

様々な試練に耐えて、頑張って欲しいですね。

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週の始まりって、何曜日?

2009年07月25日 | うんちく・小ネタ
                                                                本日は、土曜日。
・・・週の始まりの日です。

土曜日が週の始まりとは、いきなり何を言い出すのかと思われる方もいらっしゃるでしょうが、曜日の生い立ちを考えると、どうもそのようです。

◇週とは
日月火・・・と続く週が、現在のような形で使われるようになったのは紀元前1~2世紀頃のローマだったと考えられています。

暦には、一日、一月、一年といった一定の長さのサイクルがあります。ここで挙げたサイクルは、地球の自転、月の満ち欠け、地球の公転という天体の動きに基づいたサイクルです。この中で現在の「一月」は実際の月の朔望とは無関係になってしまっていますが、元々の成立過程を考えれば少なくともその生まれた時代には月の朔望の周期によって生まれたサイクルであることは間違いありません。

一日、一月、一年の長さはこのように天体の動きから導かれたものであったので、その長さはある種必然的に定まったとも言えますが、これに対して本日取り上げた「週」は人為的に定まった長さといえます(多分、月の満ち欠けの 1/4。新月から半月、半月から満月・・・という周期とは関係していると考えられますが)。

現在の「週」はメソポタミアに栄えた古代のバビロニアで生まれたものと考えられます。歴史上有名なバビロン捕囚で、バビロンに捕虜として連れ去られたユダヤ王国の人々の子孫が、やがて故郷後に帰ったとき、バビロンで使われていた週の慣習を持ち帰えり、その慣習がキリスト教の拡がりに伴って拡がったものだと考えられます。
                                                   ◇曜日の順番の誕生
週の中における曜日の順番がバビロニアでどのように決められていたかについては、古代ギリシャの歴史家カシウスによれば、次のようだったと説明されています。

 1.太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星は星であり、
    また神である。
 2.1 日24時間はそれぞれ1の神々の支配する時間である。
 3.星は遠い順に土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月である。
 4.2の各時間に3の星を遠い順に配置する。
      ⇒土星→木星→火星→太陽→金星→
              水星→月→土星→木星→火星→・・・
 5.その日の最初の時間を支配する神(星)が
   その日の支配神(星)である。

 このように考えて一日の支配神を考えて行くとその順番は、

   土星→太陽→月→火星→水星→木星→金星

となります。
そして一日の支配神(星)の名を取って曜日としたわけです。
ちなみに「曜」とは「ひかり、輝き」という意味です。
この順番を見る限りでは、本日「土曜日」が週の始まりということになりますね。               
                                                                           
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◇日本への伝来は「占い」
曜日を日本へ伝えた人物は弘法大師空海だと言われています。
遣唐使と共に中国に渡った空海が伝えたものですが、この時の曜日は日の吉凶判断のために使われました。

日常あたりまえにこの曜日を使う私たちからすると、日の吉凶に使われたというのはなんだか奇異にうつります。誰でも今日の曜日を知っているけれど、その曜日毎にお日柄の善し悪しなど問題にしませんからね。
 
本日、土曜日はどんな日かというと、

  「この日は口舌事あり。腹中のわずらいあり・・・」

「週の始め」だというのに、あんまりいい日ではなさそうですね。
一日経って明日、日曜となれば、

  「この日は万事良し。財宝に縁あり、商人は利徳倍増」

と、目出度い一日。
ではでは、吉日となる日曜日を目指して、週の始めの残り少なくなった今日、土曜日を頑張りましょうか。                                                             
                            
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三伏の候

2009年07月23日 | うんちく・小ネタ

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「拝啓、三伏の候」

なんていう書き出しで始まる暑中見舞いを受け取ったことは有りませんか?
手紙の書き方辞典などで時候の挨拶を探すと、この「三伏」という言葉が見つかるかもしれません。

三伏は、夏の暑さが厳しい時期を表す言葉です。「三」とありますように、初伏・中伏・末伏の三つがあり、元々は暦注として暦の上に書かれていたものでした。

現在はあまり顧みられない暦注ですが、六曜などと違って平安時代の具注暦などにも登場している由緒正しい暦注です。
この日は、「季節と日の相性の悪い日」なので、占いで言えば「凶日」の一つとなります。

三伏の日がどのように決められるかというと、計算方法には幾つかの「流派」があるのですが、主流となっているのは、

  初伏 ・・・ 夏至以後、三度目の庚の日 (7/14)
  中伏 ・・・ 夏至以後、四度目の庚の日 (7/24)
  末伏 ・・・ 立秋以後、最初の 庚の日 (8/13)

とう計算方式です。( )の日付はこの方式で計算した2009年の日付です(もちろん新暦での日付)。「庚」は日の十干で「かのえ(金兄)」と読みます。

三伏の日は季節と日の相性が悪いと書きましたが、これはどんな意味でしょうか?
まず三伏の頃の季節を考えてみましょう。三伏の日付は年ごとに若干変動しますので、今年の日付で考えてみます。

  2009年の三伏は、7/14,7/24,8/13

日付を見ていただけで暑い頃だなと思いますね。この時期の季節としての特徴といえば、まずこの「暑い」をあげることになるでしょう。
暑い季節といえばそれは夏。夏は五行説では「火気」の季節です。三伏の頃は夏の暑さの厳しい時期ですから、夏の気である火気が盛んな季節です。

  三伏の季節 ⇒ 火気の盛んな季節 (夏の気の盛んな季節)

ということになります。
一方三伏の日はというと、「庚(金兄、かのえ)」の日です。金気は秋の気。ものが冷たく冷えて行く気です。「金兄」の兄は陰陽説の「兄弟」の兄で、性質の強い様を表します。
よって、

  三伏の日  ⇒ 金気の盛んな日  (秋の気の盛んな日)

ということになります。五行説には相性の良い「相生(そうじょう)」という関係と、相性のわるい「相剋(そうこく)」という関係が有ります。

相生は例えば木と火の関係があります。木は燃えて火を生み出しますからこれを、「木生火(木、火を生ず)」と書き、相性の良い関係と見ます。
相剋は例えば火と金の関係があります。火にあたると金属は融けてしまいますからこれを「火剋金(火、金に剋(か)つ)」と書き、相性の悪い関係と見ます。

上の例でも分かるとおり、三伏の日の季節は「火」、日は「金」ということで季節と日の関係が悪いのです。夏(火気)と秋(金気)という関係で言えば、

  夏の気が盛んで、秋の気を覆う(伏する)日

ということになります。
三伏は、前半部の「夏の気が盛んで」から、とっても暑い季節を表す言葉としても使われるようになり、夏という季節がその中に生まれた秋の気(庚の日の性質)を覆い尽くしてしまう日なので、季節と日の相性の悪い日ということで、「凶日」とされたのです。

「凶日」に関しては迷信以外の何者でもないので気にしないことですが、暑中見舞いに、「暑中お見舞い申し上げます」なんて書くより、「三伏の候」とさりげなく使ってみると、文面が引き締まるように思いますが・・いかがですか?

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梅雨明けって?

2009年07月20日 | うんちく・小ネタ

梅雨入りを意味する「入梅」という言葉は今でもよく使われますが、それと対をなす「出梅」の方は、入梅ほど使われることが無いようですが、「入」があれば「出」があってしかるべきと思いませんか。

【出梅】(しゅつばい)
  梅雨の終る日。つゆあがり。⇔入梅。
   

【梅雨明け・出梅】(つゆ あけ)
  梅雨の季節の終ること。暦の上では夏至の後の庚(かのえ)の日
  とする。つゆのあけ。夏の季語。「梅雨明け宣言」⇔つゆいり。

                           《広辞苑・第五版》

暦の上には生活に密着して「あると便利」なものが次第に書き込まれるようになったものがあり、特に暦が日本に伝来してから追加されたものは雑節(ざっせつ)と呼ばれています。
この雑節の中に入梅・出梅は入っています。

出梅は現在は気象庁の梅雨明け発表の日付がそれに当たるものとなっていますが、昔から気象庁があったわけではありませんから、それ以前は地方地方に伝えられてきた天気俚諺(てんきりげん)、あるいは暦に書かれた出梅の日付がその目安となってきました。
暦の上の「出梅」がどのように決められるのかというと、

昔の出梅・・小暑の後の最初の壬(みずのえ)の日・・2009/07/16

最後の日付は、昔の出梅の定義で求めた今年の「暦の上の出梅」の日付です。
広辞苑の説明には、出梅は夏至の後の最初の庚の日となっていますが、この日取りは雑節の定義としては少数派です。
一応その日付を求めてみると

昔の出梅・・・夏至の後の最初の庚(かのえ)の日・・・2009/06/24

となります。梅雨期間は地方毎に異なりますから一概にはいえませんが、広辞苑の示した少数派の日取りはやや早すぎる気がします。

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さて昔の暦の上の出梅の定義(と日付)を示しましたが、では現在の定義はどうなっているのかというと・・・、残念ながらどうも明確な定義は無いようです。
現在でも暦の上の入梅は「太陽の視黄経が80度となる日」という定義があります。
入梅があって出梅が無いとは片手落ちの感がありますね。

ちなみに、現在の入梅の定義は昔の定義であった「芒種以後の最初の壬の日」の日付を平均して、その平均に近い日を太陽黄経で定義し直したようなもの。
・・だとしたら、出梅だってこの手で定義出来そうです。

ではどうなるか?

今の出梅・・・太陽の視黄経が110度となる日・・・2009/07/12

ということになります。(というのは私の定義です)
そうこうするうちに関東地方では暦の上での、・・ではない梅雨明け発表が気象庁から7/14にありました。
関東での梅雨明けは例年より 6日早く、本州では最も早い発表となりました。
7/14なら、私の勝手な定義の出梅の日付もいい線いってますね。

今のところ、近畿地方などは「梅雨明け発表」はありませんが、気象庁の発表はまだでも、もう気分は夏ですね。

皆さんはのお住いの地域での今年の「出梅」は?
さていつでしょうか。

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