あんなこと こんなこと 京からの独り言

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稲荷と九尾の狐

2011年06月20日 | うんちく・小ネタ

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狐は昔から妖力を持つと信じられてきました。 古来より、狐は狸とならんで、人を騙し、病気にさせ、また人化けすると言われ、そういう伝説や昔話は全国に分布しています。

平安初期の仏教説話集「日本国現報善悪霊異記(僧景戒撰)」には、狐が女に化けたという噺が見られます。
昔は狐の数も多く、人里に現れることが頻繁で、生殖・採餌の行動が特異なことなどから、農耕神の示現のように考えられたり、田の神の使いとして信仰されるようになったとされています。稲荷神社の狐がその現れなのだとか。

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元々は「稲成り」であったという説もあります。
稲荷神社の秋祭りで神輿の鳳凰鳥が稲をくわえていますが、「豊作」の感謝の意であり、また春祭りは「豊作」の祈願(民間信仰の農村祭り)ではないかというのが説が元になっています。

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              茶吉尼天 (お稲荷さん)

民間信仰において、動物を神の使いとするものがあり、狐は、蛇と同様に代表的で狐神の信仰があり、霊的動物と見られたことによるのかも知れません。
これは「善霊」とした話です。

                                                              妖狐----------------------------------
狐が霊となり神となった「霊狐」の事で、300年以上生きると妖術を身につけ、妖狐になると言われでいます。 妖狐は二種類に分けられます。

                                                                     ●善狐
人々に幸運を運ぶという縁起の良い妖狐。憑くと幸運になる。
善狐は農業の神の使いとされ、お稲荷さまとして皆に慕われた。
稲荷神社祭りの時、神輿に稲をたずさえるのは、春なら米の豊作を祈り、秋は収穫を感謝するものである。
金狐-----日をシンボルとした妖狐
銀狐-----月をシンボルとした妖狐
白狐-----善狐代表的な幸福の妖狐
人々に福をもたらしてくれる善狐。
一説ではこの狐にも九本の尾が生えているらしい。安部清明の母がそうだと言われている。霊力に、とても長けている。
黒狐-----北斗七星の化身と呼ばれる妖狐
天狐-----千歳を超えた九尾の狐より上ランクの妖狐
玄中記にも記され、『狐は千歳になると千里の外の事を知るようになり、天と通じて天狐となる』という。                                                           四つの尾を持っているとされている。
空狐-----3000歳を超え、通力を自在に操れる大神狐。
これらが善狐である。

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善狐とは逆の存在で人々に不幸与える者。
人を病気にしたり女に化け悪戯をしたり・・・。                                      人を悩ます事を喜びとする。
狐憑きとは、大抵は野狐が憑いているのだが、善狐が人に憑くと病気が治ったり幸運になったりする。

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野狐最高ランクの最もタチの悪い妖狐。
                                

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野狐の一種。有名な妖狐。九本の尾を持ち、高い妖力を所持する。
ただ、金毛九尾狐は野狐といっても少し違い、自分を信仰すれば、善狐のように崇める人を助け、祝福はするが崇めない場合は野狐としての災いや不幸を及ぼす。

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           歌川国芳 「班足太子と九尾の狐」

                                                                  

☆金毛九尾狐伝説
中国の殷(いん・・・前17世紀~前11世紀半ばにかけて黄河中流域を支配した古代王朝。 日本では殷とよばれるが、これは次の周王朝がつけたもので、自らは商と称した。商人と言葉の発祥である。
周がなぜ殷と呼称する理由は明らかではない。)、中天竺(ちゅうてんじく)の耶掲陀国(まがだこく)の班足(はんそく)太子の前には華陽(かよう)婦人として、中国の周(しゅう)の幽王(ゆうおう)の時には褒似(ほうじ)と名乗って現れた金毛九尾の妖狐は、王を巧みに惑わして暴君に変身させ、国を滅亡へと導いた。
妖狐は、その後天平7年、遣唐留学生として唐(から)に渡っていた吉備真備(きびのまきび)が帰国する船の中に乗り組み、若藻という美少女に化け、日本に渡って諸国を歩き、数百年を過ごし、堀川院の時代には女の捨て子に化け、山科で謹慎中の武士・坂部友行に拾われ、藻と名付けられ育てられた。藻は成長するに従って和歌の才能を発揮し、7歳になると宮中にあがり、やがて玉藻前として鳥羽帝の側女に取り立てられ寵愛された。
玉藻前が側女に取り立てられてからというもの、鳥羽帝は原因不明の病に冒され続けた。陰陽師安倍泰親に占わせてみると、神鏡に白面金毛九尾の妖狐が現れた。
それが玉藻前であることを突き止め、見破られた妖狐は、東国の那須野が原へと逃げ去り、またまたここで数々の悪事を働いた。
下野(しもつけ)の国那須郡の領主・那須八郎宗重は、朝廷に対して訴え、泰親から妖狐が恐れる神鏡を借り受けた。
神鏡の威光に恐れをなしてか、妖狐の悪事は間もなく収まった。

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    葛飾北斎 『三国妖狐伝 第一斑足王ごてんのだん』

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妖狐は、泰親の祈祷と三浦介・上総介によって退治されたが、天が俄にかき曇り、天地は鳴り動き、稲妻が頻繁に起こったかと思うと、その屍は大きな石と変った。
それから二百数十年後、石化した妖狐の凄ましい怨念は残り、毒気を放って近づく領民や獣、上空を飛ぶ鳥などを死に至らしめたので、人々は「殺生石」といって恐れおののいた。
災禍が止まないことを憂いた朝廷は、会津の示現寺に住んでいた玄翁和尚(げんのうおしょう・「源翁」とも記される)が遣わされ、長い祈祷の後に玄翁が持っていた杖で石を叩くと、殺生石は砕け散り、ようやく妖狐の霊は成仏した。

                                                                      

以上が「絵本三国妖婦伝」の小説のあらすじです。
玄翁和尚が調伏した殺生石は、栃木県那須郡那須町湯本に存在しており、現在の殺生石付近は観光地となっていますが、かっては那須岳の火山性有毒ガスが噴出し、近づく者を死に至らしめたとされています。
中国の歴史書や「日本書紀」は、音をたてて翔ける流星のことを「天狗」(あまきつね)と呼んでいました。 天狗(てんぐ)の起源なのか、夜空に尾をたなびかす流星は、天を駆ける妖狐の姿を思ったのではないでしょうか。

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                                                            〇付記
稲荷寿司の語源は、稲荷神の使いである狐の好物に由来します。
狐の好物は、古くから鼠の油揚げとされており、狐を捕まえる時にも鼠の油揚げが用いられたそうです。そこから、豆腐の油揚げが稲荷神に供えられるようになり、豆腐の油揚げが狐の好物になったとされています。
その豆腐の油揚げを使うことから、「稲荷寿司」や「狐寿司(きつねずし)」「揚寿司(あげずし)」と言われるようになりました。

                                                                   「しのだ寿司」の名称は、信太の森に住んでいたとされる葛の葉狐に由来しているとかで、 発祥は、愛知県豊川市にある豊川稲荷の門前町で、天保の大飢饉の頃に考え出されたと言われています。

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           豊川稲荷 / 「しのだ寿司」

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謎のヴォイニッチ手稿

2011年06月06日 | うんちく・小ネタ

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ヴォイニッチ手稿 (ヴォイニッチしゅこう)またはヴォイニッチ写本(ヴォイニッチしゃほん:Voynich Manuscript )とは、 暗号とおぼしき未知の文字で記され、多数の彩色挿し絵が付いた230ページほどの古文書のことです。

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14世紀から16世紀 頃に作成されたと考えられていますが、暗号が解読できないので、何語で書かれているのか、内容が何なのか不明です。
また、多数の挿し絵も本文とは無関係であるとの説もあり、謎に満ちています。

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手稿は1912年に、ポーランド系アメリカ人の古書商ウィルフリッド・ヴォイニッチによって、イタリア・ローマ 近郊のモンドラゴーネ寺院で発見され、発見者の名に因んで「ヴォイニッチ手稿」と呼ばれています。
現在はエール大学付属バイネキー稀書手稿ライブラリが所蔵しています。

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ここに出ている植物などは、この世に存在しません。
言語も存在しないものなので、内容も不明です。
はたしてこの写本は何の目的で作成したのか?                            何もかもが謎なのです。
ただの空想好きな者が作ったのか?何か意味があるのか?

たとえばJ.R.R.トールキン (ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン1892~1973) の指輪物語のように、言語まで作ってしまった凝り性のオタクであるのか?

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                                                                 エール大学に所蔵されているということは、学術的にも重要である・・・・という証拠です。

                                                                たとえば「ラハブ」を表しているのでしょうか。
                                                            ◆ラハブについて
ラハブは超古代に火星と木星の間に存在していたとされる惑星です。火星と木星間にある小惑星帯(アステロイドベルト)がそうではないか?
何らかの原因で惑星ラハブが崩壊した痕跡ではないか?とされています。

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探査機が太陽系惑星、衛星の写真を公開したが、不思議な古代人工建築物らしきもの(幾何学的に並んだピラミッドなど)が写っています。有名な火星の人面岩などは数多いもっとも不思議なもので。その痕跡は太陽系のあちこちにおよんでいて、皆、遺跡らしきものの特徴が似ているそうです。

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これは崩壊した惑星ラハブに高度な文明を築いた人類がいて、宇宙空間を行き来していたのではないか?という噂もあります。
崩壊後、その一部の人類は地球に来たのでは・・・などと語っている学者もいるそうです。
いろいろな想いが宇宙まで巻き込んで壮大に広がっていきますね。

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