あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
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渋谷に「モヤイ像」がある

2010年04月26日 | うんちく・小ネタ

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巨石に掘られた人間の顔といえばイースター島のモアイ像ですが、渋谷にある巨石の顔はモヤイ像。モアイではありません。

「モヤイ」というのは東京・新島の方言で、「力をあわせる」という意味です。
モヤイ像には、新島特産の抗火石の表側に若者の顔、裏側には老人の顔が彫られています。

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それがなぜ、渋谷の井の頭線ガード近くに出現したかというと、新島には渋谷区の青少年センターがあり、区と島との交流を記念してのことなのだとか。

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そしてもうひとつ。
渋谷の駅前には、「忠犬ハチ公」の銅像があります。
こちらは新島のモヤイ像とはちがって、昔から全国的に知られている銅像です。

週末ともなると、ハチ公前は待ち合わせの人たちであふれかえり、駅前はパンク寸前になることも。

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そんなことから、モヤイ像の登場には、待ち合わせ場所となるほかの目印をつくって、駅前にあふれかえる人の数を分散しようという狙いもあったのだそうです。

しかし、効果は期待したほどのことではなかったようです。

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昨夏、ロードショーとなった、リチャードギア主演のハリウッド映画「HACHI約束の犬」は、ベッドリッジ駅が舞台となりますが、まさしく「忠犬ハチ公」をテーマに描かれた映画で、今年に入ってからブルーレイ・DVDで販売とレンタルがスタートしました。

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これで益々、「ハチ」の人気は高まり、待ち合わせ場所に指定されそう・・ですね。
モヤイ像は、寂しく佇んでるのかも知れません。

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【ご報告とお願い】
今週からGWですね。 そこで、誠に申し訳ありませんが、次の更新予定日の5月2日深夜(3日)をお休みとさせて戴き、その次の週の9日深夜(10日)に更新とさせて戴きたくお願い申し上げます。
また、この記事のコメントにつきましても、今週末までとして戴けないでしょうか。
何卒、ご配慮の程をお願い致します。

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清濁併せ呑む

2010年04月19日 | うんちく・小ネタ

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【清濁併せ呑む】 (せいだく あわせのむ)
善・悪のわけへだてをせず、来るがままに受け容れること。
度量の大きいことをいう。
               《広辞苑》

(大海は清流も濁流も区別することなく迎え入れることから)善人も悪人も、善も悪もわけへだてせず、来るものはすべてあるがままに受け入れる。                          広く大きい度量があることのたとえ。        《成語林》                                                                                        


実生活でこの言葉を口にしたことのある方は多いこととと思います。
しかし、改めてこの言葉の意味を考えてみると、これはなかなか大変なことです。

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                                                                「善も悪もわけへだてなく」と言いますが、すでにこの段階で「善」と「悪」を分別しています。
こうして分別してしまえば、どうしても悪よりは善を選びたくなってしまうもので、善を選んで悪を排除すれば、分け隔てしてしまっていることになります。

善と悪が有るなら、善だけを選んで何が悪いとも思います。無分別に一緒くたに扱う方がよっぽどまずいとも思えます。ですが、ここで気を付けなければいけないことが一つ。

善悪を分けるのは良いとして、その善悪をどうやって分けたかと考えてみると、善悪を分けたのは結局自分の判断のはずです。

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さて、自分の判断は100%間違い無いものなのでしょうか? 

善悪を判断したつもりでいて実は、好悪の感覚で分けているかもしれません。
善悪の判断材料としたものに誤認があるかもしれません。

 
Aの点では優れているがBの点では欠点のある人と、その逆の人とがいた場合、どちらが良くてどちらが悪いと考えるのか?
そんな風に突き詰めて考えて行けば善悪の 判断自体があやふやに思えてきます。
そんなあやふやな判断での分別が果たして正しいのか?
いっそのこと、そんな判断は止めて、

 Bの点では問題もあるが、Aの点では優れているじゃないか

と考えれば、受け入れる余地が有るはず。つまり減点法ではなくて加点法で考えれば、誰れも排除する必要はない。そう考えれば、清も濁も受け入れられるのでしょう。
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『大海は』とありましたが、清濁いずれも嫌わず受け入れたことによってはじめて大海は大海となったのです。そして、どんな濁流を呑み込んでも、海は全体としてみれば、相変わらず「青く澄んだ海」。
清濁併せ呑んで大きな海になりましょう(と言は易いですが・・・)。
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江戸時代の食事

2010年04月12日 | うんちく・小ネタ

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                                                                 「隠れ家」を標榜する居酒屋がえらくはやっているというので、繁盛店をのぞいてみました。
入口か裏口かわからない地味な木戸をくぐり、トンネルのような薄暗い廊下をくねくね歩いて、予想以上に暗い個室に案内されました。

お決まりのアンティークフィニッシュ加工で、新品の壁もテーブルも昔風に黒く光っています。
味は平均的でしたが、暗くて食材がよく見えないのです。
肉の質をごまかすため、照明をわざと暗くした焼き肉屋があると聞いたこともありますが、確かに魚や野菜の鮮度がわかりません。

少し不安になりました。

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その時、ふと、江戸時代の食事を想像しました。昔のテレビ時代劇の食事シーンは夜でもかなり明るい部屋に設定されていましたが、ハイビジョン放送が普及した今日では、画質が鮮明になり、リアルに暗い映像を流せるようになりました。
ただ、江戸時代の行灯は60ワット電球の100分の1程度の明るさしかなく、闇鍋状態ではなかったでしょうか。

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                                                          だから、江戸人は朝も夕も明るいうちに食事をしたのです。
明六ツ(日の出の約35分前)に起きて支度をし、明るくなって朝食。
明るいうちに夕食をすませ、暮六ツ(日没の約35分後)には就寝。
太陽と寝食を共にする自然児のごとき時間軸は、お仕着せの「エコ」などかすんでしまう究極のサマータイム制なのです。

ならば件の「隠れ家」も照明を全て行灯に変え、「開店時間:暮六ツ、閉店時間:明六ツ」としてはどうか。

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昼間の長い夏期は営業時間が短くなってしまう欠点もありますが、光熱費は抑えられるに違いありません。
そして、食材はもちろん、待ち合わせの相手の顔もよく見えません。
見えない方が都合のいい時もたまにはあるのですが、まずは相手を確認しなければ始まりません。

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「誰そ彼(たそかれ)?」

たそがれ時の語源が体感できる居酒屋として、けっこう繁盛するのではないかと思うのですが・・・。

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サクラサク

2010年04月05日 | うんちく・小ネタ

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「サクラサク」

受験の合格を知らせる合格電報によく使われる言葉で、合格の「サクラサク」に対して、不合格の場合は「サクラチル」が使われます。

七十二候の「桜始めて咲く」もやって来ました。(今年の場合は3/26でした) 

各地で桜が咲いた、満開、という報せも届く頃ですし、今回は「サクラ」にまつわる言葉を採り上げてみました。(あまり時期がピタッと合いすぎても、複雑な想いでいらっしゃる方もいることでしょうし、もう進路が確定したと思われるこの時期を選んでの記事としました)
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「サクラサク」は合格を知らせる電報の代表的な文言。
この合格電報とは元々は大学生サークルのアルバイトとして始められたものだそうです(『スープのさめない距離』 道浦俊彦著より)。

1957(昭和32)年の朝日新聞には、早稲田大学の入試の際に新宿電報局が出張して合格電報(合否電報?)の受付をしたことが記事になっているそうです。
元々は学生たちの「私設電報局」がこの合格電報を打っていたわけですが、誤報なども多かったことから、大学側と電電公社(現 NTT)が話し合って設置を決めたものだとか。
これを見ると学生による合格電報の始まりは、この年より更に前ということになりますから、合格電報は1950年代前半には既にあったようです。
                                                                      
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                                                       なお、この1957年の新聞に採り上げられた電報局の出張サービスが用いた合否を表す言葉は

      「オメデトウ」と「ザンネン」

だったそうです。
意味は分かりますが、ちょっと身も蓋もない表現ですね。

前述の『スープのさめない距離』によれば同時代の東京大学の不合格電文は一次試験は「ウメノハナチル」で、二次試験は「サクラチル」だったとか。
とすると、「サクラサク」の発祥は東京大学の合格電文だったのか?この辺りはつまびらかではありません。
                                                               
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ウメといい、サクラといい、合格発表の時期と受験生の心情を汲んだ、なかなか良い表現。
きっと受け取った人達にも好評だったのか、この時期に片仮名で「サクラサク」と書けば、合格を表す言葉だと分かるほど広くこの言葉が普及しました。

「サクラサク」以外にも、季節やその大学に因んだ合否電報の名言が幾つもあります。一例を示せば

 「オチャ カオル」・「コノメドキ マテ」(お茶の水女子大)
 「トラ トラ トラ」・「チンボツ」(東京商船大)
 「コマクサノハナ ヒラク」・「シナノジハ ユキフカシ」(信州大)
 「ダイブツヨロコブ」・「ダイブツノ メニ ナミダ」(奈良教育大)
 「クジラ ツレタ」・「リョウマノ メニ ナミダ」(高知大)
などなど。
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                                                          現在は、メールやインターネットですぐに合否が知らされる時代となり、合格電報も過去の物となってしまいましたが、この季節に

       「サクラサク」・「サクラチル」

の文字を見れば、過ぎし青春の時代を思い出す方も多いのでは?

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