あんなこと こんなこと 京からの独り言

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靴を脱ぐ場所があけてある

2011年03月14日 | うんちく・小ネタ

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卒業式シーズンを迎えます。
どんな記事が良いかを考えていた時、ある学校の校長先生の式辞に出会いました。
何年か昔の記録ですが、とても心に浸み入る珠玉の言葉が連なっていました。
記事として加工するよりも、そのすべてを丸ごとお伝えしようと思い、無修正で掲載致します。

この式辞で送られて巣立って行った人たちは、その後の人生に何らかの糧を得られたのではないでしょうか。

あの日、あの時のクラスメイトや先生方を想い出しながら、是非、最後まで読んでみて下さい。

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小田和正が「言葉にできない」という歌を歌っています。

 あなたに出会えてほんとうによかった
 うれしくてうれしくて
 言葉にできない

私たちも同感です。
あなたたちと出会えてほんとうによかった。
たくさんの感動をいただきました。
たくさんの思い出をいただきました。
あなたたちがいたから、私たちは生きる張り合いがありました。
ありがとうございました。
あなたたちと掛け替えのない出会いをしてしまったことで、わたしたちは今こうして、あなたたちとお別れをする日を迎えねばならない。
そう思うと、万感胸に迫り、悲しみが心にしみとおります。
別れというものは、それがいかにささやかな別れであろうと、その中に永訣の兆しを含んでいます。
朝、「行ってらっしゃい」、「行ってきます」という何気ない日常の別れが永遠の別れとならないともかぎりません。そうであるならば、そうであればこそ、わたしたちは生かされている命をひたむきに生きなければならない。

                                                                      平安時代中期に「古今和歌六帖」という歌集が作られました。
誰がつくったのかわっていません。兼明親王だとう説もありますが、定かではありません。

その歌集の中に、こんな歌があります。

あるときは ありのすさびに語らはで 恋しきものと別れてぞ知る
あるときは ありのすさびに語らはで 恋しきものと別れてぞ知る


「あるときは」、そこにいるときはということです。
そばにいるときは、いっしょにいるときは、「ありのすさび」、いっしょにいることのありがたさに慣れてそれが当然のように思い、「まあ明日でもいいか」「また今度にしよう」と、ついついいい加減に生きて、そうして、心を込めて語ることもしないで、別れてしまってから、その人がいかに自分にとって大事な人であったのか、どんなに掛け替えがない人であったのかということを、別れたあとで思うものです。

私たちは、生かされている命を大切にして、ひたすらに生きなければならないと分かっていながら、ついつい、ありのすさびにいい加減に生きています。でも、そうであってはならない。どのように生きたらいいのか?

                                                                   小説家の井上靖が『北国』という詩集を出しています。
その中に、「流星」という散文詩があります。
流れ星という意味です。

高等学校の学生のころ、日本海の砂丘の上で、ひとりマントに身を包み、仰向けに横たわって、星の流るのを見たことがある。11月の凍った星座から、一条の青光をひらめかし忽焉とかき消えたその星の孤独な所行ほど、強く私の青春の魂をゆり動かしたものはなかった。私はいつまでも砂丘の上に横たわっていた。自分こそ、やがて落ちてくるその星を己が額に受けとめる、地上におけるただ一人の人間であることを、私はいささかも疑わなかった。

そのように、気概を持って生きなさい。
自信と誇りを持って堂々と生きなさい。
志を高く持って、大きな世界に羽ばたきなさい。
広くものを見て、深くものを考えて、自分の力を必要とするところで、自分の力を発揮しなさい。
あなたたちを待っている人はたくさんいる。
そこで、自分の力を尽くしてください。
でも、そうは言っても、時には力無くすこともあるでしょう。
くじけそうになることも、つまずくこともあるでしょう。
ときは転ぶこともあるでしょう。
生きることが辛くなることもあるでしょう。
そういう時、一人で悩むな。
この高等学校に帰って来い。
中学校に帰りなさい。小学校に帰りなさい。
家に帰りなさい。ふるさとに帰りなさい。

                                                                  中島みゆきが「異国」という歌を歌っています。

  忘れたふりを装いながらも
  靴を脱ぐ場所があけてある
  ふるさと

私たちは心の中に、あなたたちが靴を脱ぐ場所をちゃんとあけておきます。
いつでも帰って来なさい。
そうして元気になったら、またもう一度、自分たちが生きるべきところへ戻っていけばいい。
そうして、より一層の活躍をしてもらいたい。
そうして、いつか、いつでもいい。どんな形でもいい。
あなたたちを育んでくれた、このふるさとに報いてもらいたい。
お願いします。
4月以来、あなたたちにいろんな言葉をさしあげてきました。
ときには歌も歌いました。
最後にあなたたちに、私から差し上げるものとして何がいいのか、そう考えて、

  重圧に押しつぶされそうです。あの歌を歌ってください。
  不安で不安でたまりません。あの歌を歌ってください。
  元気が出ません。あの歌を歌ってください。

あなたたちから最もせがまれたあの歌を最後に歌います。
これが最後です。

                                                                    松山千春「大空と大地の中で」

  生きることが つらいとか苦しいだとか言う前に
  野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ
  生きることが つらいとか苦しいだとか言う前に
  野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ
  生きてやれ 生きてやれ


見果てぬ夢を描いて 力一杯 青春を駆け抜けてもらいたい。
このこと最後にお願いをして式辞といたします。

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         地震お見舞い申し上げます。

想像をはるかに超えた震災となりました。
さらに近郊各地で頻発する地震が後追いをし、収拾の目途はまったく見えない状況となりました。

罹災された方々には心よりお見舞いを申し上げます 。

この時期のブログの更新は如何ばかりかと苦慮致しましたが、今月に「卒業」という人生における節目を迎えられる方々にとっては、一生に一度となる記念事でありながらも、震災によってその貴重なる祝席に参席出来なくなった方々も多いと知り、あえて、卒業に関した記事を掲載することに決めました。
私の言葉でまとめた内容ではありませんが、まさに「卒業」を迎える方々と、そして被災地の方々へも、早く元気にこれまでの日常に戻って戴けたらとの願い等も含め、今回の記事の更新に踏み切らせて戴きました。


未曾有の時節だけに、コメントの投稿は控えて戴きたくお願いを申し上げます。
また、次の更新に関しましても、様々な観点からの判断により、時期を検討させて戴きたいと思います。

何卒、ご容赦、ご理解を賜りたくお願い致します。

                               京のほけん屋

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