あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
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満潮と大潮

2010年02月22日 | うんちく・小ネタ

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                                                                ◇満潮=大潮 ?
出産は満月、新月といった潮汐の「大潮」と呼ばれる時期にやや集中している(平均より1~2割程度増加する)ようです。

さて、こうした話とともに昔からの言い伝えに「人は満ち潮の時に生まれ、引き潮の時に息をひきとる」というものがあるようです。こうした傾向が本当にあるのかどうか、私には判りません(疑わしいのでは無いかと思いますが、根拠になるデータがありません)が、この満ち潮、つまり満潮と大潮という言葉を混同して使われるていることが多いことを知りました。
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                                                             ◇大潮は毎月、満潮は毎日
潮汐が起こる原因として、月と太陽の動きが重要だと言うことはご存知のことでしょう。地球の潮汐は、月による起潮力と太陽による起潮力が合成された力によって生み出されています(惑星の起潮力もあるにはありますが、月と太陽に比べればほとんど 0なので無視しても問題ない)。比率は月 を1.0とすれば太陽はその半分の 0.5程。

この潮汐の主役の月と脇役の太陽の起潮力が一緒になるとその強さは、一緒になって強くなる場合と分散して弱くなる場合があります。

1.0 + 0.5 = 1.5 ・・大潮:月と太陽の起潮力が合わさって強くなるとき                             
1.0 - 0.5 = 0.5 ・・
小潮:月と太陽の起潮力が分散して弱くなるとき

と考えて頂けると解りやすいと思います。                                             とても単純ですが、こうしてみると同じ起潮力でも大潮のときは小潮の3倍も強いことになります。                                                     
この「力が合わさる」状態とは、月の満ち欠けで言えば新月の時と満月の時、つまり太陽・月・地球が一直線に並ぶような位置関係になるときとと一致します。そして力が強くて一日の海の満ち干の差が大きくなるのでこれを大潮と呼びます。

それに対して太陽・月・地球の位置関係が一直線から一番離れる時(90°の角度になる時)、力は弱くなり一日の海の満ち干の差は小さくて、この時期が小潮と呼ばれます。この時の月の形はというと、半月の頃です。

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新月、満月はそれぞれ一月に 1回ずつ計 2回、半月は上弦と下弦の半月の計2回(いずれも「ほぼ」です)。ですから大潮の時期も小潮の時期も同じく一月に 2回ずつ、つまり大潮・小潮は「月毎」に起こる現象と言えます。これに対して満潮、干潮はといえば新聞を見て頂ければ

 明日の満潮は○○時と●●時、干潮は△△時と▲▲時

のように毎日 2回ずつあります(時々は 1回の場合も)。つまり満潮、干潮という現象は「日毎」の現象と言えます。

このように満潮、干潮は毎日起こりますが、大潮や小潮が毎日あるわけでは無いのです。

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                                                            ◇月と太陽の起潮力によって海水が引っぱり上げられ満潮になる?
よく聞く大きな誤解にこの「海水が引っ張り上げられて満潮になる」というものがあります。

もしこの話が本当であれば、月や太陽の起潮力は地球上どこにでも働きますから、海でなくとも湖や沼や池でも毎日満潮と干潮を見ることが出来るはずです。それどころか、家のお風呂や、コップの中の水まで干満をおこさなければおかしいはずですが、多分どなたもコップの水の満潮と干潮を観測した経験は無いと思います。

海で干満が起こる最大の理由は、月や太陽の起潮力で「引っ張り上げる力」が働いた部分ではこの力の分だけわずかに海水が軽くなるように見えます。すると、この部分の水圧が低くなりますから、その周囲のより水圧の高い部分から、海水が流れ込んできて起潮力が強く働く箇所に沢山の水が溜った状態が満潮です。海の満ち干にはこの「海水の移動」が必要なのです。

お風呂やコップの水が干満をしないのは、そんな狭い範囲では起潮力の大きさの差がほとんど無いことと、外から流れ込む水がどこにも無ことによります。もし、差し渡し1000kmもある巨大なお風呂をお持ちの方がいれば、ご自宅のお風呂でも満潮と干潮が観測出来るはずです。(ちなみに、「ほぼ閉じた小さな海」である日本海の干満の差が太平洋の干満等に比べてずっと小さいのは、このためです)

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                                                          ◇潮の満ち干と起潮力の大きさ変化の時間的な差                                このように海の満ち干には「海水の移動」が必要だということから、海の満ち干の変化と、月や太陽が生み出す起潮力の大きさの変化の間には時間的なずれが生じてしまいます。

お風呂の水を抜くようなもので、排水口が小さければ、水が抜けるのに時間がかかるように、海水だってその流れる経路の広さ(断面積)が狭ければ、流れるのに時間がかかってしまいます。また経路が長くなればなるほど、通過に時間がかかってしまいます。

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日本でいえば、瀬戸内海などはこの影響が顕著です。それは瀬戸内海は狭くて浅い海でかつ細長い海ですから、同じ瀬戸内海でも場所が違うと満潮の時間が何時間も違うことがあります。
もし、干満の時刻が起潮力の大きさ変化に完全に連動するとしたら、地球全体から見ればほとんど同じ場所と言える瀬戸内海でこんな時間差が生じるはずはありません。

海の満ち干に月や太陽の動きが関係していることは誰でも知っていることですが、この誰でも知っていることには随分沢山の「誤解」も含まれているようです。

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長篠の戦の“三段撃ち”戦法って?

2010年02月15日 | うんちく・小ネタ

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鉄砲の威力をぞんぶんに発揮したのが、長篠の戦。無敵を誇った武田家の騎馬軍団も、その新兵器の前に、バタバタと倒れていったそうです。

     22_2 武田勝頼                                     

・・・が、
この戦いを語るとき、かならず、クローズアップされるのが織田側のとった戦法です。

  _500                                            織田信長                                                                                    イエズス会の画家ジョヴァンニ・ニッコロによる信長の肖像画                                                 (1583年-1590年頃作成)

                                                                 鉄砲の威力は、十分に知っていた信長ですが、その鉄砲にも、ひとつだけ弱点がありました。火縄銃に弾丸をこめ、火をつけてから撃つまでに時間がかかることでした。そんなモタモタしている間に攻め込まれると、鉄砲の威力も半減してしまいます。

433                             武田勝頼本陣                                                                      

                                                                  そこで、信長がとった戦法が、“三段撃ち”。つまり、鉄砲隊を3つに分け、交替に撃たせることによって、時間のロスを防ぎ、しかも連射させることができるというものでした。

ところが、いくら種子島銃だからといって弾丸を撃つまでに、それほど長い時間はかからなかったという説もあって、この“三段撃ち”は“三重の柵”の誤りではないかというのです。

111_2                      織田・徳川連合軍 馬防柵                                                                        一部分復元されていますが、周囲の地形が                                                           当時から変わっていないこともあり、当時を偲ぶことができます。                                                                   

                                                                というのも、この長篠の戦は、信長にとっては、武田騎馬軍団をどう防ぐかが大きなポイントでした。そのため、馬防ぎの柵を2重3重につくり、そのうしろに鉄砲隊を控えさせたという、数にまさる織田側が、まず、柵で動きがとれない武田軍を弓矢や槍、鉄砲で攻撃する作戦だったようなのです。

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現実に、武田軍は三重の柵を破ることができず、織田軍はほとんど無傷のまま勝利を手にしています。

この三重の柵の話が、“三段撃ち”にすりかわったのではないかと考えられているのですが、さて、この史実を知る術は無いようで、残念ながら豊かなる想像に頼るしかありません。

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富士山測候における気骨とは

2010年02月08日 | うんちく・小ネタ

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明治時代に生きた人物の話を読むと、「気骨」という言葉以外、評する言葉がない人がいます。
                                                               その人物の名は野中至とその妻野中千代子。

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野中は、日本の気象学発展のためには高層気象の観測が是非とも必要と考えました。そしてその観測の最適地は富士山頂で、ここでの通年観測することが必要だと訴えました。しかしいくら主張してもそんな高所での通年観測など出来るはずもないと相手にもされません。富士山は昔からよく知られた山であり、夏の富士は登山客で溢れるほどですから、登りやすい山と思う方もいるかも知れませんが、さにあらず。単独峰で風雪風雨の影響が強く、またもろい土質で落石も多い危険な山です。ことに冬の富士山は現在の登山技術を持ってしても大変危険な山なのです。

強風と厳寒、そんな冬の富士山で気象観測なんてとても出来るはずがないというのが当時の分別ある人達の一致した意見でした。

野中はこうした当時の常識を覆すためには実際にやってみせるしかないと考え、私財を投じて富士山測候所の元となる野中測候所を作りました。(明治28年、1895年)

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野中もやはり一番問題と考えたの冬の富士山頂の風と寒さ。そのため実際の「富士山の冬」を経験するため、この年の 1、2月に冬季の富士登山を行っています。当時のことですから冬山用の登山用品などあるわけもなく、ツルツルの氷と化した雪面を登るための靴作りから始めなければならない有様だったようです。

野中測候所が完成し、通年観測を目指して観測が開始されたのは10月1日。2 時間毎に 1日12回の気象観測をたった一人で行い始めます。
毎日一日中 2時間毎の観測を一人でするのですから寝る間もないことになります。ちょっと考えれば計画段階で「無理がある」と解りそうなものですが、そこはそれだと、野中さんは無理だとは考えません。やってしまうわけです。

とはいうものの、少なくとも衣食住の世話くらしてあげないと。そう考えて山に登ったのは野中千代子。つまり野中至の細君です。

細君の支援を受けて多少は現実的になった観測でしたが、それでもやはり無理なものは無理でした。結局、この無謀な冬季観測は途中で中止せざるを得ませんでした。

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寒さと高山病、栄養失調で野中至は歩くことも出来ない状態になり(それでも膝に草鞋をくくりつけて這って観測をしていたそうです)、このままでは野中夫妻の生命が危険と考えた支援者の送った救援隊に観測中止を説得されて夫妻はついに観測継続を断念、 12/22に富士山頂から担ぎ下ろされました。

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救助隊の救援によって一命は取り留めた野中でしたが、健康が回復するとまた何度も富士山に登って観測を継続し、こうした彼の活動が徐々に認められるようになって、彼の提唱した富士山での高層気象観測の重要性も認識され、ついには、富士山測候所が建設されることになりました。
この日は、富士山測候所の記念日であるとともに、気骨ある一人の大馬鹿者とその妻の記念日でもあると言われています。

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ちなみに、富士山頂の連続滞在日数の記録は、現在でもなおこの明治28年に記録された野中至の滞在日数83日。そして第 2位の記録はその妻、野中千代子の滞在日数71日です。

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「水」についての考察

2010年02月01日 | うんちく・小ネタ

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インド北部で、琵琶湖4個分に相当する地下水が6年で失われたとの分析を米航空宇宙局(NASA)のチームがまとめました。
食料需要の増加で水を大量消費したのが原因だとか。

米航空宇宙局チームは、何らかの改善対策を取らないと、約1億人の地域住民の飲み水などに打撃を与えるほか、国境を接するパキスタンと水確保をめぐる紛争の火種になりかねないと懸念しています。

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分析には、米独が開発した重力観測衛星「グレース」を使いました。
この衛星は2機1組で、重力が大きい場所の上空を通過するとき、2機の間隔が狭まるのを利用して重力を測ります。
この性質を利用し、インド北部のラジャスタン、パンジャブ、ハリヤナの3州での貯水量の変動を調査しました。
その結果、2002年8月から08年10月にかけて、同地域の地下水位が毎年4cmずつ低下し、失われた水量は琵琶湖の約4倍の109立方キロに達することが分かったのです。

この期間の年間降水量は通年と同じ約500mm。ヒマラヤ山脈の氷河溶解で供給されたり、降水で溜まる以上の水量を、一時的に大量に汲み上げたのが原因と結論付けています。

地球上の水資源は、地下、表層、大気に蓄えられていますが、絶対量には上限が存在します。
海水を飲用水にするための処理に必要なエネルギーは莫大であり、今のところ海洋を水源とみなすのは現実的ではありません。

利用出来る水資源とは、淡水のみに限定されているのです。

                                                           ■水の危機の顕在化■

・安全な飲み水を得ることができない11億人の人々。

・地下水の過剰な汲み上げによる農耕地の不毛化。

・水資源の過剰利用と汚染による生物多様性の低下。

・水資源の不足による地域紛争。

・水系感染症と不衛生な生活用水は、世界でもっとも主要な死因で  あり、疾病の80%の原因となっているという算定も。
                                     

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自国民を多く抱える中国やインドだけではなく、21世紀自体が「水の世紀」といわれるほど、世界では水不足が深刻化しています。
世界の60%が適切な飲料を確保できない事実と、開発国で児童が下痢単症により3900人強が死亡していることが、より深刻さを物語っています。

世界レベルでの水に関する様々なバランスの欠如が、こういった悲劇を生んでいます。
私たち日本も例外ではなく、多くの食物を輸入することは間接的に「水」も輸入していることであり、同時に、多くのミネラルウォータなどの輸入によって飲料を賄っている実状は、国内の水への不安や不満、健康思想から発する「安心な水」摂取願望を一層駆り立てていて、それだけ、水が身近な問題となって来ているのです。

水も大切な資源であることを、今一度認識したいものですね。

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