ペリーの黒船が日本にやってきて鎖国が終わったのが1854年。
当初は下田と函館を寄港地として開港したのですが、1858年に「日米修好通商条約」が
締結されると下田は閉鎖され、函館、長崎、横浜、神戸、新潟の5つを開港して、
対外貿易の拠点としました。
この開港都市から西洋のさまざまな食文化が日本に入り、独自の進化で和の食卓に定着します。
1859年、横浜開港。
食文化とともに西洋野菜がもたらされ、イチゴ、セロリ、キャベツ、トマト、アスパラガスなどの栽培が
はじまったそうです。
当時の日本の野菜料理は根菜の煮炊きが中心。
西洋野菜を生で食べるサラダは新鮮だったことでしょう。
特に栽培が盛んだった子安地区では、清水與助がトマトケチャップの加工法を学び、
1903年に「清水屋トマトケチャップ」(1)を創業。ナポリタンスパゲティも広がっていきます。
1859年、函館開港。
場所柄ロシアとの交易が盛んで、1879年にはハリストス正教会でロシア料理を学んだ五島英吉が、
日本人向けロシア料理店「五島軒」(2)を開業します。
1859年、長崎開港。
鎖国中も出島で交易していた長崎の開港は1570年が最初。日本で最初にハムを作ったのは
長崎の片岡伊右衛門(3)といわれています。
1868年、神戸開港。
但馬牛を食べた外国人がその味を絶賛して「神戸ビーフ」ブランドが生まれます。
その後、「神戸にはおいしい牛肉があるのに、おいしいソースがない」というドイツ人技術者
ワークネル博士の言葉に奮起した教え子の安井敬七郎が、ウスターソースを開発。
1885年に「阪神ソース」(4)を創業しました。
1869年、新潟開港。
1874年に国内最古の日本人向け西洋料理店である「イタリア軒」(5)が開業しました。
定番料理はカレー。
その結果、新潟県はカレールウの世帯当たり年間消費量が全国2位の1758gとなりました。
ちなみに1位は鳥取県の1943g。
日本の良さは異国の文化を柔軟に受け入れ、咀嚼して独自文化に展開すること。
食文化もしかり。
開港の味をめぐる旅に出たいなぁ、と思う今日この頃です。