あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
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たのしくおいしく

2014年11月26日 | うんちく・小ネタ



友人が学生時代、フランス料理のテーブルマナー講師助手という大それたバイトをやっていました。
対象はほとんどが高校3年生で、社会に出る前に最低限のマナーを身につけるという主旨。
当然、メインのひな壇には立派なマナー先生が鎮座していて、友人は各テーブルに張り付く個別指導係なのです。



事前の研修で、トークのツボや高校生のくすぐりネタを伝授され、もちろんナイフ・フォークの使いこなし実習も受けて、本番に臨んだとか。
たとえばテーブル上の配置で、2番目に使うスープスプーンが最も右端に置かれている理由は、「料理の始まりはスープから」という定義ゆえ。

最初に出てくるオードブルは「作品の外」という意味で、来客の時間調整を起源とする番外料理。

だからオードブル用ナイフ・フォークの配置は外側から2番目、と高校生に語るのです。
けれど、こんな講釈、当の高校生は聞く余裕もなく緊張。
そして、最後のデザートはナイフとフォークでバナナ1本丸ごと皮をむいて食べるという離れ業。



苦労する高校生を手取り足取り教えるのは意外と楽しいものの、バナナが丸ごと出てくるレストランなんてあり得ません。バナナ世代真っ只中のマナー先生の嫌がらせじゃないかと、そんなことを友人は思ったようでした。

そもそもが食事なんですから、細かいマナーなど気にせず楽しくおいしく食べればいいのにと・・。

1533年、イタリアの大富豪の娘カトリーヌが後のフランス国王アンリ2世に嫁いだ際に伝えたとされる食事マナー。



その後、17世紀末にナイフ、フォーク、スプーンが食卓に並ぶようになったのですが、美食王ルイ14世はフォークを嫌って手づかみで肉料理を食べていたそうです。
結局、現在のフランス料理のスタイルが広まったのは、1789年のフランス革命以降。

貴族が没落し、失職したお抱え料理人が街でレストランを次々開業したからなのです。



貴族は意外と手づかみを好んだようですが、上流階級のまねをした庶民の方がマナーにこだわり、手づかみスタイルは消滅したと、当時の記録に残されています。

そう考えると、何のためのマナーかよくわからなくなってしまいますね。

とにかく、楽しくおいしく食べるのが一番だと、そう思いませんか?


ファスト

2014年11月26日 | うんちく・小ネタ



ある番組で、にぎり寿司の値段について潜入調査を行う企画をやっていました。
似たような感じの2組のカップルが別々に高級寿司店に入って、全く同じメニューを注文するのですが、片方がよれよれのジャージ姿で、片方がブランド服に身を包んだ成金風。



結果は予想通り、成金風の客の支払い額が圧倒的に高かったのです。
当然ですね。メニューに値段表示がないのはそういうこと。
明朗会計を望むなら回転寿司に行けばいいのですから・・・。


ちなみに、1800年代初頭の江戸市中でも、にぎり寿司は明朗会計のファストフードでした。
かけそば一杯が16文(240円)の当時、にぎり一貫が4~8文(60円~120円)。
確かに回転寿司並みです。
ネタはタコ、ハマグリ、キス、サヨリ、コハダ、クルマエビ、穴子などでマグロは不人気だったとか。
気軽に手早く食べられるから「ファスト」なわけなのですが、にぎり寿司はその生い立ち自体もファストなのです。


古来、寿司といえば魚を米飯に漬けて乳酸発酵させた「なれずし」で、製造には長期間を要していました。
気の短い江戸っ子はとても待てません。

そこで、乳酸をあきらめ、酢酸(お酢)で寿司飯を調整してネタを乗せるだけのファストフードが完成したのだそうです。



ここで重要なのがお酢の開発。家業の酒造りにおいて禁忌とされる酢酸発酵にあえて取り組み、にぎり寿司を企画した花屋與兵衛のリクエストに応えてお酢を供給したのが、尾張の中野又左右衛門。ミツカンの創業者です。
中野家が酒造メーカーからお酢メーカーに転換を図った19世紀、日本人にとっての酸味が乳酸から酢酸に変わったのでした。



自然界にほとんど存在しない酢酸が、主役に躍り出るほどのファストフード革命。
やはり、反対されるようなことに取り組まなければ時代は創れないのでしょうか。

・・・なんとなくコハダをつまみたくなりました。



コードによる影響?に期待

2014年11月16日 | うんちく・小ネタ


某日、フィギアスケートNHK杯のエキシビションで、アイスダンス2位のイタリア代表の演技が始まった瞬間、この曲だ!と感動しました。
曲名を知りたくてずっと気になっていた曲が演技曲として使われたのです。

それは、南アフリカの黒人女性歌手ミリアム・マケバの「パタパタ」。
1967年に米国でヒットし(全米チャート12位)、国内では社団法人フォークダンス連盟の推薦盤としてシングル発売されたので、運動会でよく使われていたようです。


記憶の封印が解かれ、すっきり感と昔日の郷愁をたっぷり浴びつつも、反アパルトヘイトを歌に込めたミリアム・マケバの思いなど微塵も感じず浮かれていたことをちょっと恥じていました。
フォークダンスの曲としては、なかなか奥が深い選曲と言えそうです。




ネイティブアメリカンを意味する「オクラホマ」をタイトルに冠した名曲「オクラホマミキサー」。

小林亜星先生がサントリーオールドのCMソング「夜が来る」を作曲する際にモチーフとした「ワシントン広場の夜は更けて」。
どちらも名曲ですが、「ワシントン広場…」の方が社会主義国家風の暗さをEマイナーで表現していて味があるように感じます。




そして、亜星先生はCマイナーを使って、ウィスキーが飲みたくなる切ないメロディーを完成させたのです。
「ダンダンディダン シュビダディン オデーエーオエーオー」
この暗さがたまりません。まさに昭和のCMソング。

最近のCMは元気で明るくてさわやかすぎる曲ばかり(?!)です。

くしくも、宗教学者の山折哲夫先生が「茶の間からマイナーコードが消えて、いじめが増えた」と語っていました。マイナーコードの暗い曲を聴くことで弱者の気持ちがわかり、助け合う心が生まれるというのです。

明るい曲は強者の曲、弱いものを思いやる気持ちは生まれないのだとか。




 
ならば、中学校で必須となったダンスの授業では、明るいヒップポップではなく、暗いフォークダンスを踊ろうではないですか。
「パタパタでいじめ撲滅!」
反アパルトヘイトに負けないムーブメントを期待してしまうのです。