今年も広島原爆の日と、長崎原爆の日を迎え、多くの犠牲者のご冥福をお祈りする時期となりました。
・ 8/6午前 8時、 B29爆撃機エノラ・ゲイ号が広島市上空に原子爆弾リトルボーイを投下した。実戦に使用された初の原子爆弾であった。
・ 8/9午前11時、 B29爆撃機ボックスカー号が長崎市上空に原子爆弾ファットマンを投下した。 実戦に使用された二番目の原子爆弾であった。
長崎で炸裂した原爆
8/6,8/9の記念日データにはよく似た記述が続きます。
記念日とはは本来、何か特別なことがあったことを忘れないように暦の上に記された日です。
しかし、記念日の多くは、目出度いことで占められます。
人間誰しも目出度い事柄が起こった過去を思い出し、その事柄が起こったことを感謝するとともに、事柄が起こった時と同じように祝うことで、再びそうした目出度い事柄を招来しようとするからでしょう。
その一方で、少数ながらも、辛い思い出の日も記念日のリストの中には含まれています。
前者の記念日を「正の記念日」だとすれば、後者は「負の記念日」といえるかもしれません。
正の記念日は、思い出したい記念日でしょうから、記念日リストに載るのは当然ですが、出来れば思い出したくない負の記念日がリストに残るのは、思い出したくない日ではあっても、思い出さなくてはならないという正の記念日以上に強い意味があるからだと思えます。
正の記念日が生まれるのは自然な感情の発露で、負の記念日は理性によって生まれるともいえるかもしれません。
8/6,8/9はそうした、負の記念日といえるでしょう。
広島への原爆投下では14万人が、長崎への原爆投下では7万4千人が、その日のうちに死亡。
原爆症等でその後亡くなった方も含めれば、この何倍もの方々が後日に亡くなっています。
この原爆投下の年からすでに64年。
人間でいえば 2世代から 3世代分の年月が経過しています。
人間一人一人の記憶はそれを引き継ぐことが出来ませんから、 2世代 3世代分の歳月が過ぎ去る間に、そうした個人の記憶や感情は失われていきます。
一人一人の記憶が失われて行く中、それでも人間全体の記憶の中からは消し去ってはならない日として、年ごとにその日を確認する日なのかもしれません。
【原爆忌】(げんばくき)
広島 8/6,長崎 8/9 を原爆忌という。
原爆忌は、秋の季語。
季語は、連歌・連句・俳句で、句の季節を示すために、詠み込むように特に定められた語。
季の詞ことば。季題。
季語には鶯といえば春、金魚といえば夏、月と言えば秋、雪と言えば冬と、それを聞いただけで季節の情景が浮かぶ言葉が選ばれています。
季語というと、古くから決まってしまっているものと誤解する方がいるのですが、そうではなく、その時代時代に生きた人々が季節を思い浮かべる言葉が新しい季語として加わっていきます。
そうした新たらしい季語の一つにこの「原爆忌」があります。
人間が初めて原子爆弾の光を目にしたのは1945年の 7月。
一般の人々の目にふれたのはその年の 8月。広島と長崎に投下された原子爆弾によってでした。
そして一瞬にして数万人もの命を奪ったその光の光った日が、原爆忌として、新しい季語の一つとして記憶されることになりました。
あわれ七ヶ月のいのちの はなびらのような骨かな
なにもかもなくした手に四枚の爆死証明 (松尾 あつゆき)
言葉は変わって行くものですから、生まれて行くものが有れば消えていく言葉も有ります。
無くしたくない言葉もあれば、そうでない言葉もあります。
「原爆忌」と言う言葉も、いつか使う必要がなくなって、誰も思い出せなくなるような日が来ればいいのかも知れませんが、そんな日は、個人的には絶対に来てはいけないと思っています。
そして、未来永劫、この言葉が忘れられなければいいなと思います。
原爆投下直後の長崎市の惨状 : 長崎大学付属病院