極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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昨今の人生と経済力・富

2020-07-15 21:40:35 | 日記

以下文はウィキペディア、レムナント出版社・富を築く、カーネギー伝、カーネギー回願録等々を参考に記しています。

私達は人生の全ては経済力・富により、その人の価値が決まると思いがちですが、やはり人生には何か違った価値・生き方等もあるのではないでしょうか・・・

ドラえもんの「のび太と静香チャンとの結婚前夜に結婚を躊躇する静香ちゃん、静香ちゃんのパパとの結婚前夜の会話・・・パパは「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことの出来る人」であるのび太を信じなさいと優しく答えました。」が過ぎります。

しかし、現実を直視した場合、人生は経済力・富により生かせれていることは間違いなさそうで厳しい実に直面します。
以下の話は、富を得るのは誰でも平等で、原資は大きな資産ではなく、アイデア等であることを示した話と、如何に社会に還元し人々の幸せの向上に寄与したかの一例です。

 

若い青年夫婦が、アメリカ・サウスダコタ州のある町で、小さな商店を営んでいました。それは将来の成功を夢みて、希望で胸をいっぱいにして始めた小さな店でしたが、しだいに失望感がつのってきました。

この小さな町では、人口が少なくて、客があまり来ないのです。夜遅くまで働くようにしても、生活は苦しくなるばかりでした。夫妻は商売はもうやめようと考え始めました。しかし、ある夏の暑い午後のこと、いつものように店は閑散としていましたが、そのとき妻の脳裏に聖書の言葉が思い浮かびました。「何事でも、人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ。」

妻は夫に言いました。「そうだ。いいアイデアがあります、ここから2キロ先のハイウェイに毎日何万台もの車が走っているわね。この辺はずっと砂漠です。車で走っているときは、本当にのどが渇くでしょう(当時の車には冷房がついていなかったそうです)。これが私のアイデアよ。あなた、1キロ位先の道路沿い大きな手作りの看板を立てて来て」、夫は妻のアイデアに従って道路沿いに大きな看板を立てました。それにはこう書きました。

「1キロ先にレストラン、冷たい水無料、コーラ、アイスクリーム等あります」、夫は長男と共にこの看板を立て終わり「本当に人が来るかなぁ」と言いながらゆっくり店に戻りました。すると店にはもう人がいっぱい並んでいたのです。

「水を一杯」、「私にも一杯」という具合で妻がひっきりなしに応対していました。人々は冷たい水をと思って店にやって来ると、コーラもある、アイスクリームもあるということで、それらも買い始めました。そればかりか、ついでに飲食物以外の雑貨等も飛ぶように売れ始めたのです。こうして、小さかったその店も、その後デパートにまで発展したそうです。

富を築く秘訣は***何事でも、人々からしてほしいと望むことは、人々にもその通りにせよ***という聖書のゴールデン・ルール(黄金律)にあります。

現代のビジネスにおける偉大なアイデア等は考えて見れば、殆どこの教えを実行したものと言っていいでしょう。サービス精神からアイデアが生まれるのは確かです。

富を生かす能力

アンドリュー・カーネギー(1835年~1919年)はスコッランド生まれのアメリカの実業家、崩れ行く橋を見て着想を得てカーネギー鉄鋼会社を創業し成功を収めて鋼鉄王と称されました。立志伝中の人物で、ロックフェラーに次ぐ史上2番目の富豪とされています。事業で成功を収めた後、教育や文化の分野へ多くの寄付を行ったことから、慈善活動家(フィランソロピー)としてよく知られています。カーネギーは残りの人生を慈善活動に捧げ、図書館建設、世界平和、教育、科学研究などに多額の寄付をしています。

 

カーネギーは聖書の教えを最も実践した一人とも言われています。

聖書では、「神を愛すること」また「自分と同じように隣人を愛すること」が人生でいちばん大切だと言われています。

聖書に記されている気をつけなさいは、あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れが増え、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心が高ぶり、あなたの神を忘れる、そういうことがないように・・・

あなたは心のうちで、「この私の力、私の手の力が、この富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。

私たちは、富を得たとき、それは自分の力によったのだと思ってはなりません。それは神が私たちを祝福して富を私たちに預けて下さったに過ぎないのです。

その富は自分のものではなく、神から預けられたものです。私たちはそれを、神と人のために運用して役立てなければなりません。

カーネギーは、これをよく知っていた人で、それを実践しました。

彼は貧困を追い出してやると決意し、貧困の中から這い上がって世界有数の金持ちになりました。しかし、彼の事業はむしろそれからだったのです。彼は富豪となったとき、その富をすべて投げ出して社会の向上と福祉、教育、医療、科学研究、奨学金、また教会への援助等のために使ったのです。

彼は富を、自分の息子や娘たちには残しませんでした。自分のためにも、通常の老後を過ごせる程度にして、後は全て社会のために捧げたのです、と言ってもお金を欲しがっている人々に、考えもなく富をばらまくようなやり方をしたのではありません。

自助努力のない、向上心のない怠惰な人達には、彼は決して富を与えようとはしませんでした。富が役立てられる分野、人、団体を注意深く選び、適切な額を援助しました。

カーネギーは富を築くことにおいて優秀だっただけでなく、富を生かすことも真剣に考えた人でした。

彼は自著の中にこう記しています・・・富豪でなければ味わえない満足と幸福というものがある。その幸福とは、自分が生きている間に、公益を目的とする財団法人を組織し、そこに基本財産を寄贈することである。そしてそれが生み出す利益が、社会を潤し続ける状況を、自分の目で確認することである。そのような行為が、富豪の生涯を高尚なものにし、神聖なものにすることができる。

カーネギーは富は決して自分のものなのではなく、自分にけられたものに過ぎない、と言う明確な認識に立っていました。

自分が幸いにも富むことができたのは、富が自分に預けられたということであって、それを賢明に運用し役立てることは富んだ者の責任なのだと。

さらに、カーネギーにはもう一つの口癖がありました。それは、富を持ったまま死ぬのは恥であるということでした。

世の中には、築いた富を単に自分のために使っただけの富豪が、多くいます。また自分の生存中、富を人々のために役立てようとしなかった富豪が多くいます。富は天国へ、あるいは地獄へ自分と一緒に持っていけないという理由から、自分の死後やむなく人に遺贈したという富豪もいます。カーネギーは富を持ったまま死ぬのは恥である。しかし、富を持ったまま死ぬのはじつに不名誉であり、人間として恥ずかしいことだと、カーネギーは考えていました。富が自分に預けられたものであるなら、それを自分の生存中に、自己の責任の範囲内で、活用を考えることは当然のことなのです。もし生存中にそれを真剣に考え、努力しないなら、死ぬときに自分が持っている富は、単にその人の不名誉となるばかりか、その人を天国に行かせないように引き下げる、大きなおもりとなることだけは疑い得ません。

新型コロナ・ウイルスが潜む今日の日本、これらの遠因で企業が自己の利益のみを追求し、従業員を物のごとく扱い、最後は契約等々終了で退職・・・従業員の幸せの向上を考えない企業が現れないことを願うばかりです。カーネギーのような事業主が日本に多く現れ、企業のリーダーシップを取り、多くの従業員・国民を幸せにしてほしいものです。


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