極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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沖縄と内地(本土)

2015-05-30 12:10:25 | 沖縄
沖縄と言うと沖縄県民と内地(本土)側は民族的に違うんじゃないかと思いがちですが、精査すれば内地(本土)と沖縄は血族的にも繋がりがあると言うことができます。勿論中国等から沖縄へ渡った人も多かったと思われます・・・現在の那覇市久米地区に住んで琉球王国を支えた優秀な官僚達等々

過去天皇が詠んだ歌に「思はざる病となりぬ沖縄を、たづねて果さむつとめありしを」これは昭和天皇が1988年正月に詠んだ歌です。1987年10月に沖縄で開催された海邦国体に出席するはずでしたが、腫瘍を切除する手術のため見送りになった。沖縄訪問を強く希望されていたようです。この歌は同胞である沖縄県民を気ずかって詠んだ歌だと思います。

昨今の中国側の対日策等の根底等には、過去琉球王国は中国に貢いでいたではないか、以後日本が不法に支配してると言うことでしょうか・・・こうなると沖縄県民にとっても何か複雑なアイデンティテイとなるでしょう。確かに精査すれば、過去(戦前、戦後等)沖縄は一部差別されていたことは間違いない事実です、これらの諸問題に対し、歴代天皇等は危惧されていたと言われています、何度も同胞という言葉を使われ、沖縄をきずかっておられました、この流れは現天皇にも受け継がれていると思います。

沖縄は日本本土と違い、縄文時代はありますが、弥生時代が有りません・・・稲作は12世紀位に主に南九州から南下してきた人達により始まったと思うのが自然に思えます。
言語学的にも日本語は本土方言と琉球方言に分かれると言われ、内地(本土)と沖縄の繋がりを見ることが出来ます。

一説では琉球の人達は、元は原住縄文人で九州、西日本等の広範囲に住んでおり熊襲と言われる人達で、本当のネイティブ日本人です・・・大和朝廷等々の策等々に従わない為、南方に追いやられ琉球の民となったようで、アイヌ同様等と言われています。紛れも無い原住日本人と言う事が出来ると思います。このれらの細部はタブーと言われているようです。

 昨今の遺伝子研究から中国や台湾の集団とはかなり離れていることが判明しているようです。
九州以北の日本本土住民との近縁性と共にそれを介して北海道のアイヌ民族との近縁性も指摘されているようです。
 
 父系遺伝子Y染色体ハプログループD1b(YAP型)を持つのは世界で本土日本、アイヌ民族、沖縄だけであり、台湾や中国、韓国には全く見られないと言われており、中国、台湾とは非常に離れているそうです。

 世界的にも珍しいY染色体ハプログループD1b系統を日本人では40%~50%、アイヌでは90%、沖縄本島では70%もの人が持っており、日本本土との関係は切っても切り離せないようです。

 高宮広士氏(那覇市生まれ、自然人類学・先史文化学)が述べているように、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降・・・10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘しています。

 有名な源氏の源為朝(源頼朝の叔父さんで、弓の名人として有名です。)は、1156年の保元の乱で敗れ、八丈島へ流され、自害したとされていますが・・・自害せず沖縄に行った可能性が極めて高いと言われております。

沖縄の本部半島の運天港の近く(沖縄県国頭郡今帰仁村運天)には源為朝の上陸の碑があります。フェリーターミナルの近くで、簡単に見つけることが出来ます。碑建立は、日露海戦で有名な東郷平八郎が建てたもので、琉球と内地(本土)の歴史等を相当勉強していたと言われています。

中山正鑑(1620年に編纂された琉球王国初の正史、これは国史で極めて正確に記録されています。)に、「源為朋の子は琉球王国の祖」と明確に記載されております。
更に驚くべきは琉球王家の家紋と、神道八幡宮の総本山、大分県の宇佐八幡宮の神紋は全く同じです、如何に内地(本土)と沖縄が結びついているかを知る事が出来ます。

近代では明治、大正時代には八丈島から、沖縄の南大東島等への移住・・・当時島民は殆どが八丈島等の人達で、不思議と沖縄と八丈島との続がり等々を見ることができます。


 内地(本土)、沖縄側も同じ日本人同士・・・沖縄には難問が山積していますが、平和を愛した琉球王国の人達・・・琉球王国から沖縄県・・・時代に翻弄され続けた沖縄県、沖縄県民の幸せを願わずにはおれません。

散文になってしまいすみません。

高宮広士氏、勝岡寛次氏等々の資料を参考にしています。

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