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エイリアン3 完全版 A.E.(D.フィンチャー 監督作品) その1

2009年09月16日 23時02分41秒 | MOVIE
 こちらはちと趣向を変えてメイキングが収録されたボーナス・ディスクから観てみた。なにしろこのボックス・セットに入った作品の中でも「エイリアン3」は最大の話題作なのである。なぜかといえば、この完全版はオリジナルよりなんと30分以上も長く、作品自体の様相が随所でかなり変化している上、その編集には監督のフィンチャーが関わっていない、つまり作品を制作した主体が不在のまま、その意図を復元?したらしい、かなり奇妙なヴァージョンなのである。以前から「エイリアン3」の制作プロセスの異常さは話としてはあれこれ聞いていたが、今回はまずそのあたりの事情を知りたいと思って、このメイキングを観始めた訳である。

 さて、このメイキングも長く、まだ半分くらいを観ただけだが、それでもこの作品が成立していく過程がいかに難産で、かつ制作サイドが不完全燃焼であったかがよく分かる。ストーリーや核となるアイデアも曖昧なまま制作がスタートし、監督もレニー・ハーリンからヴィンセント・ウォードに交代、ウォードの描いたストーリーを元にセットも脚本も作られるが、経営側から難癖がついて頓挫、しかし、金をかけたセットを使わないわけにいかず、監督にはこれがデビュー作となるデビッド・フィンチャーを起用、別動の脚本チームが書き直しつつ、そのセットを利用して撮影が開始したという混乱ぶりなのだ。しかも内容もストーリーや登場人物の性格がころころ変わる変更が次々と訪れるという最悪の事態だったらしい。つまり20世紀フォックスの社運をかけた超大作を、拙速なプログラムピクチャーみたいにつくってしまったのである。

 それにしても、降板したヴィンセント・ウォードが語るオリジナル・ストーリーは興味深い。中世の修道僧のようなストイックな人たちが住む木造の衛星が舞台で、まるで中世にエイリアンが出てくるような設定、そこにSF的なムードやハイテクな描写がクロスするようなものだったらしい。こうした要素はできあがった映画もけっこう残存していてはいるが、オリジナル・ストーリーのまま作ったらさぞやユニークな作品になったであろうことは確かだ。もっとも1,2作目を超える作品になっていたかどうかは、怪しいところだが、メガトン級のカルト映画になっていた可能性はあると思う。思えば、こうしたストーリーのために作ったセットを再利用しつつ、もうすこし商業的な受けを狙って改変したのがあのストーリーだった訳である。
 
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