これもニックネーム付き。タイトルの由来は一聴瞭然、全楽章を通じて、随所にホルンが活躍する場面があるからで、その活躍振りや賑々しさはほとんど協奏曲的です。当時、ハイドンはエステルハージ家というところの楽団副楽長をやっていたようですが、偉い軍人さんでも来客として訪れるイベントでもあったんでしょうか、それともホルンの名手でも楽団に編入されたのかな?。ことに第1楽章については、機会音楽的な一種独特な高揚感ががあり、とても充実した楽章になっています。途中登場するフルート・ソロによる上昇する音階もいいアクセントになっていますし、まさに「ノリにのったハイドン」が楽しめるといったところでしょうか。
第2楽章はホルンの他、ヴァイオリンやチェロのソロ・パートも登場し、実に優雅な仕上がり、ピチカートのリズムにのって前記ソロが展開される様は、在りし日の宮廷のけだるい午後の光景を思い起こさせます。さながら極上のサロン・ミュージックといった感じ。第3楽章のメヌエットはホルンに加えて、ヴァイオリン、オーボエ、フルートのソロが登場し、これまた典雅な雰囲気に満ちています。
最終楽章は10分近い長大なもので、先行した2楽章と3楽章の雰囲気をそのまま引き継いだようなムードのテーマ始まり、その後7つのヴァリエーションが続く変奏曲になっているようです。各変奏ごとにソロされる楽器がことなり、多彩な音色を楽しめる仕上がり。そして聴きどころといえば、変奏が終わった後、突如プレストに転じる部分でしょう。ここで第1楽章のホルンと似たようなモチーフが登場させ、さすがハイドン芸達者なところをみせています。
という訳で、こちらは全4楽章で演奏時間も26分、前回取り上げた30番のほぼ倍の長さがありますし。前述のとおり非常に華やいだムードがあり、ほとんど対照的な仕上がりになっていると思います。この曲が「特別なイベントのため機会音楽」だったのかどうかは、よくわかりませんが、長大な最終楽章を含め全体の長さなどからしても、全体から受ける感触としては、構築された交響曲というよりは、即興的なディベルティメントだとかセレナードに近い趣を感じさせますね。
第2楽章はホルンの他、ヴァイオリンやチェロのソロ・パートも登場し、実に優雅な仕上がり、ピチカートのリズムにのって前記ソロが展開される様は、在りし日の宮廷のけだるい午後の光景を思い起こさせます。さながら極上のサロン・ミュージックといった感じ。第3楽章のメヌエットはホルンに加えて、ヴァイオリン、オーボエ、フルートのソロが登場し、これまた典雅な雰囲気に満ちています。
最終楽章は10分近い長大なもので、先行した2楽章と3楽章の雰囲気をそのまま引き継いだようなムードのテーマ始まり、その後7つのヴァリエーションが続く変奏曲になっているようです。各変奏ごとにソロされる楽器がことなり、多彩な音色を楽しめる仕上がり。そして聴きどころといえば、変奏が終わった後、突如プレストに転じる部分でしょう。ここで第1楽章のホルンと似たようなモチーフが登場させ、さすがハイドン芸達者なところをみせています。
という訳で、こちらは全4楽章で演奏時間も26分、前回取り上げた30番のほぼ倍の長さがありますし。前述のとおり非常に華やいだムードがあり、ほとんど対照的な仕上がりになっていると思います。この曲が「特別なイベントのため機会音楽」だったのかどうかは、よくわかりませんが、長大な最終楽章を含め全体の長さなどからしても、全体から受ける感触としては、構築された交響曲というよりは、即興的なディベルティメントだとかセレナードに近い趣を感じさせますね。