「酔いどれ天使」と「野良犬」の間に作られた1949年の大映作品。野戦病院で梅毒に感染していた患者を手術中に誤って指に怪我をしてしまい、自分も感染してしまった医師が戦後日本に帰国してからの苦悩を、許嫁との悲恋を中心に描いたメロドラマ風の作品。主演は三船で共演には志村、千石、中北といったところだが、製作が大映ということもあって、当時の看板女優三条美紀が出てくるのが楽しいし、また黒澤作品としては、唯一伊福部先生が音楽を担当したということも珍しい。
序盤の野戦病院のシークエンスは、いからも黒澤らしい映像的な緊張感と迫力があるが、帰国してからのドラマは割と普通のメロドラマみたいな感じ。三船はなにやら苦悩するインテリみたいな風情の演技で、前作の「酔いどれ天使」とは180%違った趣で、むしろ次の「野良犬」に近い感じ。黒澤作品での三船といえば多襄丸、菊千代、三十郎みたいな豪放なイメージが強いけれど、このメロドラマ風な部分での抑圧した三船の演技もけっこう悪くない。ともあれ、ごく初期の段階ではいろいろやらせていだろうとは思うが、今の視点からみると、黒澤らしい登場人物はむしろ千石規子の方で、彼女が演じた社会の底辺で世間を斜に構えて見るようなシニカルなキャラクターは、三船と三条のメロドラマのところより「立って」いたように思う。
また、共演の三条美紀はまさにお人形さんのような美しさ(しかも和風ではなくて、西洋風な彫り深いモダンなイメージなんだよな)。この人は私にとって「品格ある-だがしたたかそうな-貴婦人」みたいイメージ」みたいなイメージがあったけれど、昭和20年代にはこんな清純派キャラを演じていたのかと思うと、ちょっとびっくりしてしまった。あと、梅毒患者の妻で悲惨な境遇に落ち込む妊婦の役をしていたのは中北千枝子だが、これはほぼ「酔いどれ天使」と同じパターンで地味。ともあれ前述のとおりこの作品では、いいところを全部千石規子にもっていがれてしまっているが....。
という訳で、全体としては際だって優れたところもないけれど、最後近く思いあまって主人公が激情を吐露することになるハイライトまでそつなくまとまっていて、最後まで飽きることことなく観れた。
ちなみに伊福部先生の音楽だが、非常におとなしい。冒頭はパーカスのみ、途中に入る音楽もごくごく地味なものだし、クロージング・テーマでようやく先生らしい音楽が聞こえてくるという感じだ。ふたりのコラボレーションがどのようなものだったか、よくはわからないが、おそらく黒澤自身が望むモダンで西洋的な音楽と伊福部先生の土着的な情感溢れる音楽とは、そりが合わなかったのだろう。この作品でも先生の音楽は一応聴こえてはくるが、黒澤の締め付けが厳しかったであろうことを伺わせる生彩のなさである。先生としては「こりゃ、オレの出番はないわ」といったところではなかったか。
序盤の野戦病院のシークエンスは、いからも黒澤らしい映像的な緊張感と迫力があるが、帰国してからのドラマは割と普通のメロドラマみたいな感じ。三船はなにやら苦悩するインテリみたいな風情の演技で、前作の「酔いどれ天使」とは180%違った趣で、むしろ次の「野良犬」に近い感じ。黒澤作品での三船といえば多襄丸、菊千代、三十郎みたいな豪放なイメージが強いけれど、このメロドラマ風な部分での抑圧した三船の演技もけっこう悪くない。ともあれ、ごく初期の段階ではいろいろやらせていだろうとは思うが、今の視点からみると、黒澤らしい登場人物はむしろ千石規子の方で、彼女が演じた社会の底辺で世間を斜に構えて見るようなシニカルなキャラクターは、三船と三条のメロドラマのところより「立って」いたように思う。
また、共演の三条美紀はまさにお人形さんのような美しさ(しかも和風ではなくて、西洋風な彫り深いモダンなイメージなんだよな)。この人は私にとって「品格ある-だがしたたかそうな-貴婦人」みたいイメージ」みたいなイメージがあったけれど、昭和20年代にはこんな清純派キャラを演じていたのかと思うと、ちょっとびっくりしてしまった。あと、梅毒患者の妻で悲惨な境遇に落ち込む妊婦の役をしていたのは中北千枝子だが、これはほぼ「酔いどれ天使」と同じパターンで地味。ともあれ前述のとおりこの作品では、いいところを全部千石規子にもっていがれてしまっているが....。
という訳で、全体としては際だって優れたところもないけれど、最後近く思いあまって主人公が激情を吐露することになるハイライトまでそつなくまとまっていて、最後まで飽きることことなく観れた。
ちなみに伊福部先生の音楽だが、非常におとなしい。冒頭はパーカスのみ、途中に入る音楽もごくごく地味なものだし、クロージング・テーマでようやく先生らしい音楽が聞こえてくるという感じだ。ふたりのコラボレーションがどのようなものだったか、よくはわからないが、おそらく黒澤自身が望むモダンで西洋的な音楽と伊福部先生の土着的な情感溢れる音楽とは、そりが合わなかったのだろう。この作品でも先生の音楽は一応聴こえてはくるが、黒澤の締め付けが厳しかったであろうことを伺わせる生彩のなさである。先生としては「こりゃ、オレの出番はないわ」といったところではなかったか。