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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

JERRY GOLDSMITH / Alien - complete score - Disc.2

2009年09月18日 23時14分42秒 | サウンドトラック
このところ度々話題に出していた「エイリアン」の完全盤が先日ようやく到着した。ディスク1に、劇中で使用されたサウンドトラック23曲に、その別テイク7曲。ディスク2には先日取り上げた従来盤のソース10曲に、デモや別テイク等7曲を収録した完全と呼ぶにふさわしい仕上がりである(全47曲、計126分)。レーベルは Intrada という初めて聞くレーベルだが、ウェブサイトなどみると、ここ四半世紀くらい比較的新し目の-サントラとしてはあまりメジャーでない-ソースを扱っているサントラ専門メーカーらしい。本作を初めてとして、ジェリー・ゴールドスミスの作品が多いが、こういう権利関係に太いコネクションのあるメーカーなのだろうか?。ともあれ、まずは従来盤リマスター+ボーナス・トラックの構成をとるディスク2の方から聴いてみた。

 まずと驚くのはそのリマスターの効果である。どういう仕掛けなのかわからないけれど、一聴して解像度、レンジなどが驚異的に向上している。余談だが、「エイリアン」と同時期の製作された「スター・ウォーズ」のサントラも、後年のリマスターで驚異的に鮮度が甦ったが、一体、どういう条件が揃うとこんな仕上がりのリマスターが出来るのだろう?。ともあれ、従来盤は1979年の収録の割に、音が放送録音的に平板すぎたのは確かだ。こうした現代音楽風の音響をメインに据えたサウンド・トラックだと、音が良ければ良いほど聴き映えがする訳だけど、従来盤はそれこそ発売当初のアナログ盤からして、残響の少なく乾き気味で、かつ妙にダンゴ状の冴えない音質だったので、このリマスターは大歓迎である。「The Landing」「The Alien Planet」などメインの旋律を奏でるトランペットとストリングスの絡み、その背後で蠢くような動きをする低弦など、その役割がきっとりと把握できるし、「The Droid」の巧みな音響設計もビビッドに伝わってくるという寸法だ。

 ボーナス・トラックも興味深い。「Main Title (film version)」は文字取り、映画に利用されたメインタイトルなのだろうか、それともそれをベースにした別録音なのか、ちと検証が必要だが(多分後者の方だろうとおもうが)、とにくか映画のオープニングをいやおうなく思い起こさせるトラックだ。「The Skeleton」は「The Alien Planet」の映画ヴァージョンか?。あと3曲収録された主に宇宙船内の描写の時に使われた思われる音楽のデモ・トラックも、おそらくディスク1に収録された本チャンのヴァージョンとの差異など考えれば興味津々のトラックということになるだろう。という訳で次回はディスク1を聴いてみることとした。

(DISC 2)
---The Original 1979 Soundtrack Album ---
01. Main Title
02. The Face Hugger
03. Breakaway
04. Acid Test
05. The Landing
06. The Droid
07. The Recovery
08. The Alien Planet
09. The Shaft
10. End Title

---Bonus Tracks---
11. Main Title (film version)
12. The Skeleton (alternate take)
13. The Passage (demonstration excerpt)
14. Hanging On (demonstration excerpt)
15. Parker's Death (demonstration excerpt)
16. It's A Droid (unused inserts)
17. Eine Kleine Nachtmusik (source)
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高慧君(フランチェスカ・カオ)/轉身

2009年09月17日 23時40分25秒 | 台湾のあれこれ
 1999年の作品だから、たぶん3回目か4回目に訪台した時に購入した作品である。購入直後はけっこう聴きこんだものの、その後すっかり放置してしまっていたのだが、なんとなく取り出してきて、久しぶりに聴いているところである。高慧君(フランチェスカ・カオ)は台湾ポップのシンガーとして(ジャケ内部の写真を見ると、高勝美なんかと同じく、高砂族系の人なのだろう)、どのくらい売れたのか良くわからないが、1999年にデビュー作を出し、同じ年のうちに二作目を出しているところを見ると、かなり期待のシンガーだったのだろうと思う。実際、私が購入してきたくらいだから、いまは亡き西門町のタワーでもかなり目立つところにディスプレイされていたに違いあるまい。

 さて、このアルバムだが、約10年も前の作品になってしまったから、感じるのもしれないが、まさに一昔前の台湾正統派というか、台湾らしさ全開のバラードばかりを集めた秀作といってもいい作品だ。1999年の作品だから、一部、モダンなリズムなども取り入れているが、やはり基本はアメリカのウェスト・コースト的なAORをベースに、人なつこい旋律を歌うゆったりとした作品ばかり収めている。
 1曲目のタイトル・トラックなどピアノのイントロから、次第に厚みを増していくサウンドにのって、ドラマチックに盛り上げていく展開はその典型。4曲目は後輩の周(チョウ・ワイ)の抒情を先取ったようなメロディアスさがいい。7曲目はデュエット・ソングも既視感を誘うような懐かしいムードがいかにも台湾ポップしていて聴かせてくれる。9曲目だけぜだか突然、イケイケなダンサンブル・ナンバーになってしまうが、こうしう曲はターシー・スーもほぼ同じ頃やっていたし、当時台湾を一世風靡していたハウス・ブームを思い押させる曲といえようか。

 という訳で、この作品、高慧君の歌唱はテクニック、個性とも「そつがない」といった優等生レベルだけれど、10年振りくらいに聴いて、その内容をけっこう覚えていたくらいだから、きっとそれなりに自分の琴線に触れていたのだろうと思う。おそらく後年の作品であれば、もっと歌手としての味わいも増しているに違いない。最近の作品でも探してみようか....。もっとも彼女は、現在ではどうも本業を女優に移行して、そちらで大成功しているらしいのだが。そりゃ、そうだよな、この顔はどう考えても女優面だ。
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エイリアン3 完全版 A.E.(D.フィンチャー 監督作品) その1

2009年09月16日 23時02分41秒 | MOVIE
 こちらはちと趣向を変えてメイキングが収録されたボーナス・ディスクから観てみた。なにしろこのボックス・セットに入った作品の中でも「エイリアン3」は最大の話題作なのである。なぜかといえば、この完全版はオリジナルよりなんと30分以上も長く、作品自体の様相が随所でかなり変化している上、その編集には監督のフィンチャーが関わっていない、つまり作品を制作した主体が不在のまま、その意図を復元?したらしい、かなり奇妙なヴァージョンなのである。以前から「エイリアン3」の制作プロセスの異常さは話としてはあれこれ聞いていたが、今回はまずそのあたりの事情を知りたいと思って、このメイキングを観始めた訳である。

 さて、このメイキングも長く、まだ半分くらいを観ただけだが、それでもこの作品が成立していく過程がいかに難産で、かつ制作サイドが不完全燃焼であったかがよく分かる。ストーリーや核となるアイデアも曖昧なまま制作がスタートし、監督もレニー・ハーリンからヴィンセント・ウォードに交代、ウォードの描いたストーリーを元にセットも脚本も作られるが、経営側から難癖がついて頓挫、しかし、金をかけたセットを使わないわけにいかず、監督にはこれがデビュー作となるデビッド・フィンチャーを起用、別動の脚本チームが書き直しつつ、そのセットを利用して撮影が開始したという混乱ぶりなのだ。しかも内容もストーリーや登場人物の性格がころころ変わる変更が次々と訪れるという最悪の事態だったらしい。つまり20世紀フォックスの社運をかけた超大作を、拙速なプログラムピクチャーみたいにつくってしまったのである。

 それにしても、降板したヴィンセント・ウォードが語るオリジナル・ストーリーは興味深い。中世の修道僧のようなストイックな人たちが住む木造の衛星が舞台で、まるで中世にエイリアンが出てくるような設定、そこにSF的なムードやハイテクな描写がクロスするようなものだったらしい。こうした要素はできあがった映画もけっこう残存していてはいるが、オリジナル・ストーリーのまま作ったらさぞやユニークな作品になったであろうことは確かだ。もっとも1,2作目を超える作品になっていたかどうかは、怪しいところだが、メガトン級のカルト映画になっていた可能性はあると思う。思えば、こうしたストーリーのために作ったセットを再利用しつつ、もうすこし商業的な受けを狙って改変したのがあのストーリーだった訳である。
 
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アンソニー・バークリー/毒入りチョコレート事件

2009年09月15日 23時51分52秒 | Books
 ちょいと前に「幻の女」の後に読んだもの。これを最初に読んだのは確か中3か高1の初読以来、カーの諸作品やなどと同様、もう何度読んだかしれない、私にとってのエバーグリーン的作品である。この作品の眼目は登場する6人の探偵たちが、様々な方法に立脚した推理合戦を行うところにあり、私はこのプロセスに異常に興奮した。ひとりの探偵から一見合理的で非の打ち所がない推理が披露されると、たちどころに他の探偵から難点や矛盾が指摘され、あっという間にその理論が瓦解したり、前の探偵が全く無視した手がかりから、意外な推理を導きだしてみたりと、大げさにいえば価値観の転換が連打するその展開は緩急自在、興奮しながら読みながら、「自分のこういう探偵小説が好きなのか」と妙に納得してしまったところすらあるくらいである。

 以来、私はこの種の推理合戦が火花を散らす作品が大好きになり、その後、「虚無への供物」や「匣の中の失楽」といった作品に遭遇、再び大興奮したりする訳だけど(順番違ったかな)、わたし的にはこの作品がそうした走りだったような気がする。ちなみにこの手の作品はその性格上、いわゆる本格物のパロディにならざるを得ないところがあり、この作品も多分にそういうところがある。「理論的に犯人の条件を満たすのは自分しかいない、しかし自分は犯人ではない」みたいなものである。そのあたり「虚無」だと文学性、「匣の中」はポストモダン的なペダントリーみたいなものが、本格推理が逸脱する領域に浸食したりするのだけれど、この作品は理論づくで推理していくプロセスをシニカルに眺めていて、まっとうな本格物にもかかわらず結果的にパロディになっているみたいなところが、今読むとよく分かっておもしろい。

 ちなみに、バークリーは第二次大戦前の本格が黄金時代だった頃の英国の推理小説作家だが、「ピカデリーの殺人」とかアイルズ名義の「試行錯誤」、「レディに捧げる殺人物語」、「殺意」といった、通常の本格物をひねりまくったような設定の作品が多く、個人的には大好きな作家だ。「試行錯誤」などパロディ的な側面からすれば本作を上回る作品だし、チタウィックがひょんなことから事件に巻き込まれる「ピカデリーの殺人」の冒頭部分の、英国的としかいいようがない雰囲気などもずいぶん楽しんで読んだ記憶がある。ふと気がついたので、検索してみたら、以前は翻訳されておらずタイトルだけ知られてた「最上階の殺人」とか「レイトンコートの謎」も、現在ではしっかり翻訳されているようだ。気がむいたら読んでみたい。
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エイリアン2 完全版 アルティメット・エディション(J.キャメロン 監督作品)

2009年09月14日 21時33分38秒 | MOVIE
 前作から7年を経て公開された続編の完全版である。私は既に完全版のDVDをもっているせいもあり、それをもう何度も観ているから、今回購入したボックス・セットの中で「エイリアン2」はあまり有難味がない。もっともこちらには「アルティメット・エディション」という表記もあるから、更に新たな追加シーンでもあるのかと思ったが、一度通して観てみたところ、大きな異同はなかったような気がした(ニュートの家族が例の遺跡を探検しにいく場面、前の完全版からあったよね?)。なので、今回観ても特段新味はないが、こうやってあんまり間隔を空けず続編として本作を観たせいだろう、以前はこの「エイリアン2」は一作目にかなり肉薄した傑作だと思っていたが、やはり映画自体のオリジナリティや完成度といった点で、この作品は一作目の「エイリアン」には敵わない....と思ってしまった。

 ゴシック・ホラー的な前作から、本作ではベトナム戦争を想わせるアクション映画的な趣に一転して、あえて同じ土俵で勝負しなかったキャメロンの着眼点はさすがで、性格豊かな兵士の描写も良く、この部分については何度観てもおもしろい。ただ、アメリカ的といってしまっていいのかどうか、とにかくオプティミズム全開の人間ドラマ的な部分になると、どうもまっとう過ぎて、時にありきたりな感じがしてしまったのだ。もっとも、完全版になったおかげで、終盤で彼女を駆り立てる「母性本能」がよく表現されて、その意味ではドラマ的な説得力は出てきたと思うのだが....。ジェームス・キャメロンが監督した作品は、アクション・シーンの冴えに対して、ドラマが割りと凡庸になってしまうところは常々感じていたが、一作目の「エイリアン」とほぼ繋げてみることによって、それが期せずして浮き彫りになってしまったというところか。

 ボーナス・メイキングでは、特におもしろかったのはジェームス・ホーナーが出てくる音楽の場面だ。前作と同様にここでも監督と音楽家は鋭く対立しているのだが、今度は時間だ。製作のタイムリミットが迫っている状況で、結果的に最後の作られる音楽に当てられる時間がどんどん短くなってしまい、やがてブチ切れてしまう様をホーナーは語っている。多少誇張もあると思うが、本当に現場が彼の語っているその通りの状況だったなら、ホーナーのおかれた状況というのは、実質的に「良い音楽云々の前に、とにもかくにもそれらしい映像につけること」で手一杯にしまった訳で、本当に同情してしまう。そういえば「エイリアン2」の音楽は一作目に比べて、アクション・シーンの音楽が多少インパクトがあるくらいで、あとはホーナーらしいところはおろか、印象的に残るとこがほとんどない。おそらくそれは、作曲家に過剰な拙速を要求されたせいもあるのだろうとつくづく思った。
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Beatles In Mono (ザ・ビートルズ・モノ・ボックス)

2009年09月13日 16時10分56秒 | Beatles
 09年09月09日発売ということで大いに盛り上がるビートルズのリマスター盤であるが、昨日、我が家にも到着した。先日も書いたとおり、今回のリマスターは2本立てであり、まずは今後これがレギュラーの公式音源となる全曲ステレオでリマスターされたもの。そして、何かとマニアで話題になるモノラル・ヴァージョンのリマスター化となる。前者ついては分売もされるが、今回の発売は、いわゆる「大人買い」をするリスナーのためのボックス・セットがメインというなのは間違いないだろう(87年にはボックスセットとか出たかどうか記憶にない)。当然、私はその両方を予約したが、さすがに国内盤は高すぎるので、輸入盤で購入した。それでも両方で6万円近くの買い物となってしまい、初めて聴くならいざしらず、既に何種類のフォーマットで所有している「同じ音楽」を聴くのに、これだけの大枚をはたくとは、我ながらマニアの悲しい性を感じずにはいられない。

 さて、まずは「In Mono」から聴いてみた。こちらは「イエローサブマリン」と「レット・イット・ビー」を除く全オリジナル・アルバムが、紙ジャケ仕様で白いボックスに収まっているが、これの「売り」としては、やはり中期ビートルズのモノラル・ヴァージョンが聴けるというところだろう。「ペパーズ」や「ホワイト・アルバム」といったアルバムの音楽は、ステレオ・ヴァージョンより、モノラル・ヴァージョンの方が音圧、音のまとまりといった点で、大昔からビートルズの意図したサウンドに近いといわれているし、それを肯定するかのようなジョージ・マーティンからの「お墨付き」があったりもしたせいで、音にうるさいマニアから需要がけっこう高いのである。また、ステレオとモノとはリミックスに際して、聴こえてくる音の細かい異同、収録時間の長短なども少なからずあって、そのあたりも、マニアには見逃せない点になっているのは周知のとおりだ。いずれにしても、キャピトル盤に続いて、モノラル・ヴァージョンもようやく粗悪な海賊盤業者の餌食から解放されたというところだろうか。

 とりあえず、今「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴いているところだ。久しぶりにメインのオーディオ・システムに電源を入れ、あまりに子細とはいえないものの、とりあえず旧盤と聴き比べしてみたが、ことリマスターによる音質の向上という点に関していうと、少なくとも旧盤とそれほど極端な違いはないように感じる。少なくも洋楽アーティストの国内リマスター時にあるような、メーターを振り切りそうなくらい不自然に音圧を上げてみるとか、異常に高域と低域をブーストするみたいな「あざとさ」は一切ない。リマスターの方向性としては、むしろ昨今のリマスターとは逆に、音の暴れやノイズを出来る限り抑制して、「聴き飽きない落ち着いてサウンド」を目指しているようにすら感じる。この時期のビートルズのサウンドは、ボーカル、ギター2、ベース、ドラムというシンプルそのものなアンサンブルだが、その隙間だらけサウンドから一瞬浮かび上がる静寂感といった部分は旧盤にはなかなか感じとれなかった感触だと思う。

 そんな訳なので、このモノ・リマスター盤、音がシャープになって、ディテールが一層細かく聴き取れるようになった....みたいな分析的高解像度が大好きな日本人が好むリマスターとは、ちょっと違うかなという感じだが、ボーカルのリアルさ、全体のサウンドの「太さ」のようなものは、大分向上しているように感じている。ひとくちにいえば「SNをぐっと向上させ、アナログライクな太い音に仕上げ直した」といったところだろうか(さぞやむずかしいリマスタングだったろう)。聴こえてくる音楽では、特にジョンのボーカルの生々しさが素晴らしい。個人的にあまり好みではない「アンナ」とか「ベイビー・イッツ・ユー」が、こんなにじっくりと聴けたのは久しぶりだ、リマスターのせいだと思いたい。もちろんラストの「ツイスト&シャウト」の絶叫ぶりも一層リアルになってぐっと来るし、なにしろ「これからはこの音だ」という感が強い....おっと、これからはモノじゃなく、ステレオ・ヴァージョンなのか、そっちも近日中に聴いてみよう。うーむ、楽しみである。
 
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FFXI <メリポカンスト>

2009年09月12日 21時11分00秒 | GAME
 先月末くらいから、からくり士のメリポをカンストさせようと、赤魔道士に回帰して再開したメリポ・パーティーですが、一日おきくらい参加で、からくり分は数日であっという間にカンストしました。本当ならこれでやめても良かったのですが、せっかく昔の勘も甦ってきたことだしと、どうせならしばらく前のヴァージョン・アップで拡張されたカテゴリー2の未消化分も埋めてしまおうとという気になり、そのまま続行して本日ようやく残り6ジョブ分のメリポを全てカンストさせることができました。私はハイエンド・コンテンツをあしげく通いつめている訳でもなし、いまさらメリポをカンストさせたところで、装備が貧弱であまり役にも立たないジョブばかりでは、「だからなんなよ」みたいなところはありますが、「レベル上げ&経験値オタク」としては、上げずにはいられなかったというところでしょうか。

 さて、この2週間ほどいわゆるメリポ・パーティーにもたくさん参加しましたが、意外にさそわれたのがMMMというコンテンツで、30分で終わる「お手製のダンジョンでの殲滅作戦」みたいなものです。お手製のダンジョンということですが、本来ならいろいろヴァリエーションがあってもいいわけですが、まだユーザーがそうしたものを作れるほどに馴染んでいないということなのかもしれませんが、現状ではほとんど誰かが作ったダンジョンのコピーを利用して、30分×回数という感じレベル上げしたりメリポをしたりしているようです。調度、アサルトにあった「秘密訓練基地急襲作戦」みたいな感じですかね。場合によっては、2時間半~3時間くらいで4万以上稼げたりしますから、ガチなメンツでメリポやった時ほどではないですが、けっこうお世話になりました。

 そんな訳でメリポもカンスト、今は典型的な構成で前衛が強いと、1時間で3万くらい稼いでしまうことも珍しくないです(今回最高は270チェーン)。前回も書いたとおり、昔は常連だった白魔道士が消え、コルセアが銃も撃たずにロールして、サポ白でディア+ケアルをしているみたいな、完全な支援ジョブとしてコルセアが後衛的スタンスでご一緒することも多かったですね。さぞやコルセアさんつまんねーだろうと思います(笑)。ともあれ、こうしてメリポをカンストしたおかげで、細々と続けていたカンパニエにも積極的に行く意義がなくなり、そこそこ強くしたからくり士で何をしようと思案中です。
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エイリアン三部作/various artists

2009年09月11日 21時15分36秒 | サウンドトラック
 先日「エイリアン」のサントラのところにちょっと書いた完全盤については、未だ自宅に到着しておらず、目下、楽しみにしている最中なのだけれど、その渇望を癒すべく聴いているのが、このスコア盤である。アメリカのサントラ専門レーベル、ヴァレーズ・サラバンデから出たアルバムで、「エイリアン」から7曲(約25分)、「エイリアン2」と「エイリアン」から各3曲(約15分)を収録して、アルバム一枚でシリーズの音楽の概要を俯瞰できるという、けだし優秀企画といっても良いアルバムである(同レーベルの似たような企画に「バック・トゥ・ザ・フィーチャー」がある)。演奏は同レーベルでは常に安定サウンドを聴かせるスコッティッシュ・ナショナル・オーケストラ、指揮はクリフ・エーデルマンという布陣だ。

 で、アルバム収録曲でやはり注目されるのは「エイリアン」だろう。ここ数日、久しぶりにサントラ盤との方も聴いてみたけれど、やはりあのアルバムには妙な違和感を覚えずにいられない点がいくつかあって、どうも落ち着いて聴けないのだ。なにしろこのアルバム、曲順がバラバラ。冒頭と掉尾こそメイン・タイトルとエンドタイトルではあるものの、メインタイトルが終わるとすぐに、幼虫が顔に張り付く例のフェイス・ハガーの音楽(The Face Hugger)になって、ずっと後の方に惑星に着陸する音楽(Landing)や惑星を探索する時の音楽(The Alien Planet)だのが出てくる寸法なのである。恐らく単体アルバムとしての聴くときにメリハリをつけるために、あえてこうした曲順に並べ替えたのだと思うが、1979年にもなって、どうして昔の007シリーズのサントラみたいことをやってたのかと、ちと釈然としない思いにかられるのである。

 また、このアルバムの音楽とサントラ盤がかなり違うということも大きい。おそらくゴールドスミスとスコットが対立した部分は、映画では監督のスコットに裁量権があったものの、サントラ・アルバム(実はこれもスコア盤らしいのだが)の作成に当たってはゴールドスミスの意向が優先されたのではないか?。とにかく先日のメイキングでも出てくる、ゴールドスミスとスコットが対立した冒頭のシーンから冷凍睡眠から目覚めるまでのシーンについては、アルバムの方はかなり映画とほとんど違った音楽になっている。映画ではエイリアンの惑星に着陸するシーンで初めて登場し、その後しばしば現れるテーマが、ここでは最初から朗々と登場するである。おそらくこのあたりが「隠された欲望」の音楽との差し替えの部分なのだろうが、いずれにしても「映画の最初にはコレ鳴ってなかったじゃん」という違和感は残る訳だ。

 さて、そのあたりを踏まえてこの再録スコア盤はどうかというと、こちらは実際に映画に使用された音楽を、努めて正確に再現することをコンセプトにしているようで、サントラ盤に比べても遙かに映画の雰囲気が出ている。冒頭のメインタイトルから冷凍睡眠装置での目覚め(Hyper Sleep)の部分も映画そのままである。またサントラ盤ではバーナード・ハーマン流のエキセントリックでグロテスクな音型のブラスが随所に聴こえたりしたけれど、ここでは映画同様、隠し味程度背景に追いやったバランスになっているのも納得できる仕上がりといえる。そんな訳で、映画のムードを音楽で味わうならやはりこちらだろうと思う。また、音質も全般にナローな放送的バランスで収録されていたサントラ盤に比べ、こちらは深々と鳴る優秀録音でまずは文句なしで、どうして全曲録音してくれなかったのかと悔しくなるほどのクウォリティ。さて、もうすぐやってくる完全盤は、まずはこれを越える仕上がりなっていて欲しいものだが....。
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鳩山代表がどんな昼食しようと関係ないが

2009年09月10日 23時25分34秒 | others
 某巨大匿名掲示板軍でけっこう伸びているスレに、『【政治】 民主・鳩山代表、「一番安いランチでも1万円」の高級店で昼食…でも、マスコミはスルー?』というのがある。鳩山代表が最低予算一万円以上の高級日本料理店で昼食をとっていたことが判明したことからちょっとした騒ぎになっているようだ。中には「こいつも所詮ブルジョアじゃん」みたいないわゆる庶民感情に基づいた書き込みもあるのだが、おそらく本筋は「マスコミは麻生がバーに行ったら大騒ぎして、鳩山には何故黙っている」というものだろう。

 これについての個人的な意見を云わせてもらえば、高官や要職にある人達がどんな場所でどれほどの高い物を食おうが、それに文句つける気などさらさらない。むしろ、そういう人達は借金してでもそうした高級店に行ってもらって、多少なりとも内需拡大に貢献してもらいたいと思うくらいだ。そもそも高級店、高級品とはそういう人のためにあるものではないのか。それを「オレが何百円の昼飯くってるのにコイツらは....」というのは感情論としては分かるけれど、あんまり行きすぎると、すべからく「全てを平等に分け与えろ」みたいなヒステリックな原理主義なものになりかねない。そもそもこういう平等思想みたいなものを社会にシステムとして組み込んで、「人という生き物」がうまくいかなったことは既に歴史が証明しているではないか。

 おっと、話が横にそれた。先日、私は「民主党圧勝」のところで『夜どこで飯食ってそれがいくらだのといった些末な次元の問題や、言葉尻をあげつらってブレたブレたとうれしそうに取り上げていた、愚劣なテレビのワイドショーだのなんだので、是非とも大々的にとりあげていただきたいものである。建前にせよ、なんにせよ公正中立を謳い、不平等を糾弾するマスコミならば、そうするのが筋というもんだろう。』なんて、ずいぶんと偉そうに書いたけれど、今回の件などその公正中立、不平等という観点からすれば、まさに取り上げるに足る格好のネタとはいえまいか。

 ところが、某ニュースに出てきたのは、それとは別の『都内で映画「サマーウォーズ」を鑑賞。夫人と映画を見たあとは、「モスバーガー」で夕食を買った。連立協議の難航は、よほどの心労だったのか、つかぬ間の息抜きを楽しんだ。』というものだ。ずいぶんと同情的で好意的である。まさにお里が知れるとはこのことであろう。私はそういうマスコミの二枚舌に大きな違和感を覚えてしかたがない。
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FUJIFILM FinePix Z100fd(デジタルカメラ)

2009年09月09日 23時07分39秒 | PC+AUDIO
 私は常用のデジカメとして、ここ2年ほどFinePix Z100fdバックに入れ、必要に応じて出先で使っていたのだが、実はこのカメラに私は常々不満を感じてきた。そのスタイリッシュでコンパクトなデザインは文句なく好きなのだが、撮れる写真がどうにもこうにもイマイチなのである。常々書いていることなのだが、私は音質にはうるさいが、画質についてはそれほどこだわる方ではない。そんな私が見てこのカメラで撮影した写真は、どことなくピントの甘く、くっきりしないボヤけたようなものが多いのだ。さきほど、 これより以前に使っていたFinePix F401で撮った、似たようなシチュエーションの写真を見比べてみたところ、愕然としてしまった。なにしろFinePix F401で撮った写真の方が断然シャープで精細感のある「明るい写真」ばかりなのである。

 念のため、知人にも見比べてしてもらったところ、やはり「こりゃ、一目瞭然だね」ということだった。どうも、私の好みの差ということでもないらしい。思えばこのカメラは一昨年末に台湾に行った際、成田空港の免税店でみかけたのが購入のきっかけだった。早い話がポスターで微笑む、エビちゃんのビジュアル効果におじさんは幻惑されてしまい(笑うしかねー)購入したのだった。いや、本機の仕様だのスペックだの多少は考えない訳でもなかったのだろうが、「あれから5年も経ったのだし、デジカメの世界も進化したのだろう、800万画素というし、簡単にキレイな写真がとれるに違いない」とか考えたのがまずかった。やはりデジカメは画素数やソフトウェアではない、レンズ、その他の基本スペックに左右される。「そういえば、昔使っていたオリンパスのC-2020ZOOMなんて、キレイな写真とれたよなぁ....」などと、今思い出してどうするという感じなのだが(笑)。

 そんな訳で、次に購入するデジカメはコンパクト・サイズというのは大前提としても、値段は多少張ってもカメラとしての基本スペックの高いものが欲しい。買うとしたら、ニコンCOOLPIX P6000、パナソニックLUMIX DMC-LX3、リコーGX200、同リコー GR DIGITAL III、キャノンPowerShot G10といったところだろうか。なんか、すっかり購入する気になったりしているが(笑)、目下のところ、単焦点F2.0のレンズを搭載したGR DIGITAL IIIにひかれている。でも7万円台後半とちと高い....型落ちで、GR DIGITAL IIでもどうか。ただいま思案中である。あぁ、やばいホントに買う気になってるわ。
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JERRY GOLDSMITH / Alien (OST)

2009年09月08日 23時00分44秒 | サウンドトラック
 昨日取り上げた、「エイリアン」のボーナスディスクのメイキングを今日も観ているところだ。このメイキング、プリ・プロ、プロダクション、ポスト・プロと順を追って構成されていて、優に2時間以上はあるだろう。とにかく長く詳細を究めたマニアックなドキュメンタリーという感じである。今夜はようやくプロダクション、音楽のところに来たところだが、サウンドトラックについても、けっこうな時間を費やして検証していて、当然、この音楽を担当したジェリー・ゴールドスミスの証言なども出てくる。

 おもしろかったのは、ゴールドスミスとリドリー・スコットが、主に前半の音楽で対立していたことだ。スタッフ側は前半部分に「フロイド/隠された欲望」の音楽(これはゴールドスミスが1960年に書いた作品)などをテンポラリー・サウンドトラックとしてつけておいたらしいのだが、結論からいうと、ゴールドスミスが新しく付けた音楽が気に入らず、結局、制作側は「フロイド/隠された欲望」の版権を買い取ってまで、その音楽を使い、それを知ったゴールドスミスが激怒したとかいうものらしい。

 その部分が(「子守歌」の部分らしい)、どんな音楽だったのか明確に記憶にないのだが、いずれにしても制作サイドが版権を買ってまで使ったというのはよほどのことであり、なんとなれば、ぜひ独立した音楽として聴いてみたいと思っていたところで、ハタと思い出した。昔から出ている「エイリアン」のサントラは前半部分がほとんど収録されておらず、もっはら中盤から後半にかけての音楽ばかりで収録されていたのはそういう理由だったのだったのだろう。ゴールドスミスとスコットの対立なのか、版権上の問題なのか、ともかくいろいろあったせいで、できあがったサントラはああいう中途半端なものになったのかもしれない。

 いずれにしても、年月が経ても全く評価が下がらない「エイリアン」のことである。昨今の趨勢からいえば、サントラの方も「ジョーズ」や「スーパーマン」同様、ボーナストラック満載のコンプリート盤が出ているのではないかと、あちこち探してみたらつ、案の定出ていた。2枚組で従来のサントラ・アルバムの音源は当然だが、くだんの前半部分、ゴールドスミスが作ってボツになったトラックなども入っているらしい。当然即座に購入ボタンを押してしまったが(そのくらいこのサントラが好きなのである-笑)、これについては到着しだいレビューすることとしたい。
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エイリアン ディレクターズ・カット(R.スコット 監督作品)

2009年09月07日 23時19分56秒 | MOVIE
 エイリアン アルティメット・コレクションを先日中古で購入してきた。このボックス・セットは9枚組で、その特徴は各編の完全版だの、ディレクターズ・カットを収録していることに加え、それぞれ一枚ボーナス・ディスクが付いていることだ(ついでにボックス・セットだけのボーナス・ディスクもついてる)。エイリアン各編については、実は既にほとんどDVDを持っていたりするから、このセットも発売当初はあまり興味も感じなかったのだが、今回9枚組で4500円くらいで出ていたから、まぁ、悪くない買い物だろうと思った訳だ。エイリアン・シリーズはいずれブルーレイ化されるだろうから、そうなるとまたぞろ買い換えるということになるかもしれないが....。

 さて、まずはシリーズの冒頭を飾る「エイリアン」である。土曜の夜に本編を観て、昨日今日とボーナス・ディスクを観ているところだが、本編の方はディレクターズ・カットと銘打たれたヴァージョンで、リドリー・スコットによりシーンの追加だけでなくも削除もされた結果、オリジナルよりむしろ1分短くなっているのがおもしろい。追加シーンとしては、あまりにも有名な終盤近くリブリーが繭化しつつあるダラスとブレットに遭遇するところ、あと、惑星からうめき声のような信号を聞くシーン(ここはなかなかいい)、医務室前でランバートがリプリーに殴りかかるシーンなどがあるが、だいたいは前回のDVD化の時にボーナス映像として収録されていたから、それほど目新しい感じはしない。

 逆に削除されたシーンとしてはリプリーがダラスにアッシュについて詰問する場面、ダラスがマザーコンピューターから、エイリアンについての情報を入手しようとする場面等が削除されているが、これらのシーンはそれほど重要でもないと思うので、総体的にはこれらのシーンの差し替えによって映画の仕上がりに変化はないように感じた。シーンの追加に当たって、映画の流れが緩慢になることをおそれた結果であろうが、出来うることなからば、従来の版に追加シーンを加えた「完全版」を観てみたかったという気もする、追加といったところで数分だ、それほど全編に影響を与えるものとも思えないのだが、そのあたり完全主義者リドリー・スコットのこだわりなのだろう。

 ボーナス・ディスクに収録されているのは、定番のメイキングだがプリ・プロダクションの段階からポスト・プロクションまで、監督はもちろん、主要な出演者に制作サイドの面々まで登場し、レアな現場シーン満載で、詳細にメイキングを追っている。昔から本だの、ムックだので知識としては知っていたプロセスが具体的な映像として見れるのはうれしい限り。これらのメイキングを見てつくづく思うのは、この「エイリアン」という映画は、海の物とも山の物ともつかない、せいぜいB級ホラー向けの素材が、紆余曲折の果てにギーガーのデザインとリドリー・スコットという監督と出会ったことで、一気に「一級の映画作品」になりえたということ。これは観ていて感慨すら感じる。原作者のダン・オバノンもできあがった作品を観た時は感無量だったろう。
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スーパーマンII <リチャード・ドナーCUT版>

2009年09月06日 21時03分59秒 | MOVIE
 PS3購入と一緒にレンタルして確か7月4日に観た作品。近年はDVD発売時に劇場公開とは違ったヴァージョンを発売することが多いが実に多い。多くは劇場公開に際して、主に制作サイドから横やりによって、刈り込まれることをやむなきに至ったシーンを復活させて、長尺ヴァージョンとして発売することが多いのだが、これの走りとなった「ブレードランナー」の例からも分かるとおり、単に原版にシーンを付加しただけではなく、作品そのものの様相を変えてしまうような版になっていることも少なくない。この「スーパーII」なども、その制作プロセスの紆余曲折ぶりから、きわめて珍しいヴァージョンになっている。

 「スーパーマンII」はリチャード・レスター監督の名義で1981年に公開されているが、実は前作の段階で、リチャード・ドナーのメガホンの元「スーパーマンII」分も多数撮影されていたらしい(そもそも続編というより、前編・後編という構想だったようだ)。ところが制作サイドとドナーが衝突して降板、続編は早撮りの名人として知られるレスターの手に委ねられたという経緯があった。このあたりは公開当時から、噂として日本でもかなり知られていた話だったのだが、あれから四半世紀を経て、この作品では降板したドナーが本来の構想に基づき、残っているフィルムなども総動員して、それに近づけ再構成した作品ということなのだ。つまりこのヴァージョンは『監督が違う「スーパーマンII」』なのである。

 で、再構成された本編だが、基本的ストーリーは同一なものの、さすがに興味津々のシーンが連続する。例えば、予算の都合でカットされたとおぼしきマーロン・ブランドもココではきっちり登場するし(その分、スザンナ・ヨークのシーンがなかったりする)、クラーク・ケントとロイス・レーンのやりとかも多数追加(テスト映像まで活用している)、ストーリー的に結末へのもっていき方も違ったりするのだが、なにより原版とは雰囲気がかなり違うのに驚く。レスターはスラップスティック&ドタバタ調の演出でうまみを見せる監督なので、原版ではそういうムードが横溢していたが、ドナー版では、古き良きパラマウント調みたいなロマンティックさがかなり濃厚なのだ。これはまさに前編と共通するムードであって、その意味では確かに先行した「スーパーマン」の後編らしい仕上がりなったといえる。

 ただし、続編の素材を全て取り終わっていた訳ではないだろうし、その構想だって全部が煮詰まっていた訳でもないだろう。また、レスターの撮った分も多数使っていると思われるところから、本作はドナーが「本来の構想した後編に出来る限り近づけ」ただけで、前作の充実した完成度からすると、ちと薄手な感じは否めないし、ぎくしゃくしたところも感じてしまう。ストーリー的には結末を前作で先取りしてしまったので、ここではおなじやり方をもう一度使ってしまっているなど点などその最たるものだ。おもしろいことはおもしろいが、前編と比べるのは酷だしとしても、「スーパーマンII」のオリジナル版と比べても、こちらの方が優れた仕上がりと言い切れるかといえば、いろいろと考えさせる....というのが正直なところだ。
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ハイドン 交響曲第31番『ホルン信号』/フィッシャー&AHハイドンPO

2009年09月05日 17時25分40秒 | ハイドン
 これもニックネーム付き。タイトルの由来は一聴瞭然、全楽章を通じて、随所にホルンが活躍する場面があるからで、その活躍振りや賑々しさはほとんど協奏曲的です。当時、ハイドンはエステルハージ家というところの楽団副楽長をやっていたようですが、偉い軍人さんでも来客として訪れるイベントでもあったんでしょうか、それともホルンの名手でも楽団に編入されたのかな?。ことに第1楽章については、機会音楽的な一種独特な高揚感ががあり、とても充実した楽章になっています。途中登場するフルート・ソロによる上昇する音階もいいアクセントになっていますし、まさに「ノリにのったハイドン」が楽しめるといったところでしょうか。

 第2楽章はホルンの他、ヴァイオリンやチェロのソロ・パートも登場し、実に優雅な仕上がり、ピチカートのリズムにのって前記ソロが展開される様は、在りし日の宮廷のけだるい午後の光景を思い起こさせます。さながら極上のサロン・ミュージックといった感じ。第3楽章のメヌエットはホルンに加えて、ヴァイオリン、オーボエ、フルートのソロが登場し、これまた典雅な雰囲気に満ちています。
 最終楽章は10分近い長大なもので、先行した2楽章と3楽章の雰囲気をそのまま引き継いだようなムードのテーマ始まり、その後7つのヴァリエーションが続く変奏曲になっているようです。各変奏ごとにソロされる楽器がことなり、多彩な音色を楽しめる仕上がり。そして聴きどころといえば、変奏が終わった後、突如プレストに転じる部分でしょう。ここで第1楽章のホルンと似たようなモチーフが登場させ、さすがハイドン芸達者なところをみせています。

 という訳で、こちらは全4楽章で演奏時間も26分、前回取り上げた30番のほぼ倍の長さがありますし。前述のとおり非常に華やいだムードがあり、ほとんど対照的な仕上がりになっていると思います。この曲が「特別なイベントのため機会音楽」だったのかどうかは、よくわかりませんが、長大な最終楽章を含め全体の長さなどからしても、全体から受ける感触としては、構築された交響曲というよりは、即興的なディベルティメントだとかセレナードに近い趣を感じさせますね。
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静かなる決闘(黒澤明 監督作品)

2009年09月04日 08時18分14秒 | MOVIE
 「酔いどれ天使」と「野良犬」の間に作られた1949年の大映作品。野戦病院で梅毒に感染していた患者を手術中に誤って指に怪我をしてしまい、自分も感染してしまった医師が戦後日本に帰国してからの苦悩を、許嫁との悲恋を中心に描いたメロドラマ風の作品。主演は三船で共演には志村、千石、中北といったところだが、製作が大映ということもあって、当時の看板女優三条美紀が出てくるのが楽しいし、また黒澤作品としては、唯一伊福部先生が音楽を担当したということも珍しい。

 序盤の野戦病院のシークエンスは、いからも黒澤らしい映像的な緊張感と迫力があるが、帰国してからのドラマは割と普通のメロドラマみたいな感じ。三船はなにやら苦悩するインテリみたいな風情の演技で、前作の「酔いどれ天使」とは180%違った趣で、むしろ次の「野良犬」に近い感じ。黒澤作品での三船といえば多襄丸、菊千代、三十郎みたいな豪放なイメージが強いけれど、このメロドラマ風な部分での抑圧した三船の演技もけっこう悪くない。ともあれ、ごく初期の段階ではいろいろやらせていだろうとは思うが、今の視点からみると、黒澤らしい登場人物はむしろ千石規子の方で、彼女が演じた社会の底辺で世間を斜に構えて見るようなシニカルなキャラクターは、三船と三条のメロドラマのところより「立って」いたように思う。

 また、共演の三条美紀はまさにお人形さんのような美しさ(しかも和風ではなくて、西洋風な彫り深いモダンなイメージなんだよな)。この人は私にとって「品格ある-だがしたたかそうな-貴婦人」みたいイメージ」みたいなイメージがあったけれど、昭和20年代にはこんな清純派キャラを演じていたのかと思うと、ちょっとびっくりしてしまった。あと、梅毒患者の妻で悲惨な境遇に落ち込む妊婦の役をしていたのは中北千枝子だが、これはほぼ「酔いどれ天使」と同じパターンで地味。ともあれ前述のとおりこの作品では、いいところを全部千石規子にもっていがれてしまっているが....。
 という訳で、全体としては際だって優れたところもないけれど、最後近く思いあまって主人公が激情を吐露することになるハイライトまでそつなくまとまっていて、最後まで飽きることことなく観れた。

 ちなみに伊福部先生の音楽だが、非常におとなしい。冒頭はパーカスのみ、途中に入る音楽もごくごく地味なものだし、クロージング・テーマでようやく先生らしい音楽が聞こえてくるという感じだ。ふたりのコラボレーションがどのようなものだったか、よくはわからないが、おそらく黒澤自身が望むモダンで西洋的な音楽と伊福部先生の土着的な情感溢れる音楽とは、そりが合わなかったのだろう。この作品でも先生の音楽は一応聴こえてはくるが、黒澤の締め付けが厳しかったであろうことを伺わせる生彩のなさである。先生としては「こりゃ、オレの出番はないわ」といったところではなかったか。
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